第一幕
悪魔崇拝……邪教徒?
そんな狂信的な馬鹿共の相手は実に反吐が出る程に陰鬱で不愉快極まるモノだった。だが……今日で、この日で全てが終わる。誰かと比較され続けて来た人生は終わりを告げるのだ。
成人を迎え家督を継いでから十年。王宮での栄達すら望まず、誰もが忌み嫌い敬遠していたこの地の城主に名乗りを挙げたのも全てはこの日、この時の為。俺が伝承の悪魔を討ち滅ぼした英雄として、伝承の祟りを終わらせた英傑として、エイベル・アシュトンの名を王国の歴史に刻み付ける為だ。
俺の眼差しの先、脇に控える兄の姿を視界に映す。
幼年期、亡き両親から妄執の内に夢枕にまで訊かされた。
優秀であった兄を見習え、そして兄を越えよ、と。
同時にその向けられる瞳が物語っていた。
お前の器は兄には遠く及ばぬ。何故家督を継ぐのがエルベントでは無く才気に劣るお前なのだ、と。
物心着いた頃より俺はそんな周囲の失望と落胆の内を生きてきた……もしも兄が家を出奔しなければ恐らく俺は生まれる事すらなかっただろう、劣った代用品なのだと気づかされるのに然したる時間を必要とせぬ程に。
両親の絶大な期待を裏切った兄への想いと奔放に育て過ぎたと悔やむ後悔と反省ゆえか、幼少期より厳しく規範を求める俺への教育は過度な体罰を含む苛烈なモノとなり、その内なる反動は歳を経るにつれ、生まれ歪んだ劣等感は軈て肥大する承認欲求へと転嫁していった。そして、ふとした折りに耳にしたこの地の伝承への興味は行き着く妄想の先に俺の自己顕示欲を満たしてくれる術となる。
取り憑かれた如く妄執は俺に一つの天恵を授けてくれた。
だからこそ俺はこの地の城主となってから周到に準備を整えて奴等を探し唆しその愚かな計画に協力してやる事にした。だが半端なモノでは意味がない。ゆえに男爵家の持ち得る全ての財と人脈を使って事を大きく神殿も王国すらも無視出来ぬ程の事態を作り出してやったのだ。
その過程の内、思い掛けず手にした情報で、冒険者を引退し流れ着いた先で商人などに身を窶していた兄の所在を掴み、商工組合の伝手を頼ってこの地に呼んだのも全ては計画の内。俺が……兄を越え、名声を手にするこの瞬間を己が目に見せ付け焼き付けてやる事で俺の欲求は満たされる。ただの添え花として、俺の為だけの生き証人として惨めにその在り方を嗤ってやるのだ。
だが、長き歳月とは忌々しいモノで、
この砦の内ですら当主である俺よりも兄を頼り俺の劣等感を煽る家門の愚物共は年月を掛けてゆっくりと恐怖を与え哀れな末路を楽しむ様に連中に殺させた。そんな月日を十年……俺は忍耐強く待ち続け、そして宿願の時、ついに待ち焦がれたこの日を迎えたのだ。
連中が産み落とした哀れなる悪魔の誕生と共に。
それは王家の血を受け継ぐ遺児……いや、遺児だったモノ。
悪魔崇拝者共にとっては正に仰ぐべき御子だったのだろう、フェルミナ・バルシュミーデの子はこの地での合戦の折り早産の末に母体の腹を裂き未熟児として取り上げられた。勿論、結果は死産。其処に救いなどはなく、遺骸は古城の地下、先に続く坑道の祭壇に供物として捧げられた。
その残骸を愚かしくも連中は半世紀も後になってから蘇生を試み、試行錯誤の果て、数多の犠牲の先で一個の触媒とする事で醜悪な化け物を産み落とす事に成功したのだ。全く狂信者の執念には恐れ入る。俺に討たれる為だけの哀れな生け贄を本当に作り出してくれたのだから。
アルキス・グレゴリオ。
極秘裏に神殿に密告する事で大いなる伝手も出来た。
計画の要であった筈の前任の司祭が連中に殺された時は少々焦りもしたが、流石は次期司教と噂に高い司祭長殿は補完すべき更なる一手を用意してくれていた。
視線を移す先には流れる黄金の髪を靡かせる美しい助祭の姿が在る。
作劇の舞台に必要なのは主役と敵役だけではない。彩る華は必要不可欠で正に舞台は整ったと言える。聖女を守護し悪魔を討つ英雄の物語はさぞ王都を賑わす興行となるだろう。神殿として……いや、司教となる前に歴史の汚点の『全て』を葬り去りたい司祭長のこの完璧な筋立ては機会を与えた俺への感謝の手向けと言う事なのだろう。
今頃は宿場に戻った冒険者たちが騒ぎ始めている頃合い。先触れとして連中が王都に俺の功績へと繋がる異変を伝えてくれている筈。都合良く姿が見えぬクリス・マクスウェルの存在も全ては仕込みであるならば不自然な態度や行為も言い含められた段取りと合点がゆくと言うものだ。
「助祭殿、案ずる必要はない、何も心配は要らぬゆえ」
緊張した面持ちで事態を見守る可憐な花に俺は優しく声を掛けてやる。俺の物語を彩る大切な聖女様の身に危害など加えも及びもせぬゆえに掛けた言葉は真実で其処に含みなどは毛頭ない。
が、まるでそれが合図であったかの様に、何の前触れすらなく聖堂内の明かりがか細く心持たぬモノへと変わり果てていく。
突然の異変に兵士たちの間でざわめきが起こるが、内心一人俺だけが平静を保っていた。実際に明かりが消えて行く訳ではなく、これは視界を欺き暗闇を齎す幻術系の魔法……呪術師共の何時もの手管だと知るゆえに。
仕込みは既に終えている。
増築の際にこの地下聖堂の下には隠し部屋が用意されており既に準備は済んでいる。如何に神殿が誇る秘術、神聖結界が魔を寄せ付けぬ聖域を構成しようとも、神の意思に背く邪なる存在が初めから内に潜んでいるのなら意味など成そう筈もない。
後は悪魔共々、狂信者共をこの場で斬り伏せてしまえば全てが終わる。百年に渡るこの地の伝承は俺の名を讃える英雄譚へと塗り替えられるのだ。
さぁ、物語を始めよう。
俺は懐に忍ばせていた遺物へと手を伸ばした。




