夜会《サバト》
「ティリエール助祭、結界の発現を確認しました。お疲れ様でした」
地下聖堂の内、多くの衆目の前で祭壇に膝を折り主に祈りを捧げていた私は背後に控えていた修道司祭様の呼び掛けに役目を果たした事を知り、額から流れて落ちる滴もそのままに安堵感から、ほっ、と息を付く。
周囲に意識を向ければ聖堂全体に漂う荘厳なる気配。満たされしモノは闇を払い魔を退ける、神殿に伝わる儀式系魔法『神聖結界』
本来であれば司祭の位階、その内でも更なる教義の先を知る敬虔なる聖職者のみが行使出来ると言われる……それは神の奇跡、神の威光。
私が知らずそれを扱える様に為ったのはこの身がクリスさんに預けられ、御好意に甘える形で西方協会の慈善活動に従事してからの事。そして助祭の身でありながら過ぎ足る恩寵を賜った私が司祭長様からこの地での使命を授かったのも一重にこの神の御業ゆえ。
「では助祭殿、後は手筈通りに……此処はお任せします」
「どうか、無力な私に代わりクリスさんの身を……私たち神殿の行いに巻き込んでしまった善良なる御方の身の安全と保護を……どうか、どうかお願い致します」
彼らの本当の役目と使命を知りながら、私はそれでも願わずにはいられない。そんな私に修道司祭様は、善処します、とだけ短く告げた。
誓約とは言い難く何一つとして保証などない口約束……しかしそれが彼らに出来る最大限の誠意の現れであると知る私は尚も開きかけ震える唇を必死に堪え結ぶ。
各々が神殿から与えられた役割を、使命を全うする為にこの地に赴いている。砦の悪魔の討滅……これより命を賭して神の御心を成さんとする使徒たちにこれ以上身勝手な願いを背負わせる様な真似は私には出来なかった。
身に湧き上がる焦燥の念に耐えきれず私は知らず胸に両手を添えていた。
私の役目は前任者の後を継ぎ、城主様の御命を悪しき者の魔手から御護りする事。そしてこの身を以て悪魔を誘い出す囮と成す事。その与えられた使命は光栄で殉じる事に一つの不安も不満もない……けれど恐らく、いいえ、間違いなくクリスさんは神殿の内なる事情を訊かされてはいない。
もし知っていれば絶対に私の身を案じて何を以ても止めた事だろう。それは自負ではなく確信。私はあの方以上に高潔で他者に優しい人間を知らないからだ。
あの方は私に多くを与え教えてくれた。
癒しの力を……誰かを救える力を持ちながら教義の内に私的な解釈を作り出し、制約と言う名の檻に囚われていた私を救い出してくれた恩人。頭ではなくこの身に汗を流し他者との触れ合いの内に献身のなんたるかをクリスさんは肌身に教えてくれた。
報われぬ環境に懸命に抗い立ち向かう人々の姿を……それでも私に向けてくれる子供たちの笑顔を、儀礼的な訪問などでは触れられぬ厳しい現実を。それは温室の窓辺からでは決して見られぬ光景で……凍える様な冷たさも仄かに点る温もりも、全ては人の営みの内にしか求められぬ真実にクリスさんが私を導いてくれたのだ。
聖職者とは道徳の規範ではなく命の救済者なのだ、と。
信仰とは綴られた教義の文面に非ず内なる導きなのだ、と。
それに気づかされた時、宿命の先に私は自らの運命を知る。クリス・マクスウェル……彼女こそが神が紐付けて下さった強く穢れなき私の運命なのだと。
「我が騎士からも人数を割いて協力させよう。クリス殿だけではなく調査団の内でも団長を含む数名の姿も見えぬ、これが会合で話し合われた対処法に基づく行動ではないのだとすれば何かしら城内で異変が起きているのかも知れぬしな」
この場……地下聖堂に残る調査団の呪術師たちを一瞥し思案げな面持ちで城主様が告げる。
「しかし、数少ない武官を動かせば地下聖堂の防備が手薄となります。悪魔の活動が活発となっている現在、事は慎重に運ぶべきかと。クリス様の側には護衛であるアベル様もおられるのですし此処は巡回の兵士からの報告を待ってからでも遅くはないと存じますが」
「しかしエルベントよ、遅きに失する、ともなれば家名の名折れとなろう。ギルドに属し責務あるご老体たちは兎も角としても私的に雇用したクリス殿は商人、言わばそなたと同じ市井の者である。その様な者が悪魔の毒牙に掛かり命を落としたともなればそれは武家の恥と言うものだ」
進言した商人風の男性を嗜める御城主様の口調には身分について殊更に含んだ様子が見られたが、反発する事もなく発言を控えた男性の表情は平静で特に感情の変化は窺えない。
「それに神殿の修道司祭と言えば神の尖兵と名高い剛の者と訊く。結果的にではあるが、その助力を仰げるとあれば此方としても心強く都合も良いであろう」
司祭長であるグレゴリオ様は政治にも精通された御方。
私などには預かり知れぬところで御城主様とも何かしら取り交わしている事柄があるやも知れない。クリスさんが知らずとも恐らくは商会の方々とも。事の成り行きが想定通りに進むのを目の当たりにして私はそれを強く確信する。
砦の悪魔は必ずこの身を欲し地下聖堂に姿を現すだろうと司祭長様は事態を予見されていた。そして悪魔に荷担する悪しき者たちの目を逸らす為に修道司祭様を一時的に私の側から離す段取りもこうして自然に進んでいる。
「案ずるなエルベント。悪魔は神の定めた聖域には立ち入れん。即ち助祭殿がおられるこの聖堂こそが砦の内で最も安全であるのだ。それに万が一の時は武人として我が剣を以て悪魔の首、必ず跳ね飛ばしてくれようぞ」
御城主様の自信に満ちた宣言に私は瞳を伏せる。
『神聖結界』は聖なる護りであると同時に悪魔にとっては破る事敵わぬ聖なる檻となる。ゆえに最後はこの身を以て悪魔を捕らえる檻と成す。果たすべき使命の前にはそれがどれ程に危険な行為であるのかは問題ではない。
クリスさん……どうか御無事で。
けれどこの場に彼女が居ない事に僅かながら安堵している自分が居る。怒った顔で私の無謀を叱る少女の姿が瞼に映り心が少し温かくなるのを感じる。
悪魔が私を狙うならクリスさんは大丈夫……だから貴女は私が必ず護ります。
授けられた使命ゆえでなく、私が抱いた……それはただ一つの願いであった。




