第四幕
「貴殿方の協力者が誰なのか、それを素直に教えて下さるのなら私の知的好奇心を刺激してくれた感謝の意味を籠めて皆さんを『見逃して』上げても良いですよ」
私の脈絡も無くしかも突然の上からの物言いに、老人を含めた全ての者が呆気に取られている様子が場の空気からも伝わって来る。
そして軈て変化する彼らの冷ややかな眼差しに秘めたる苛立ちと敵意は伝播するが如く犇々と感じ取れるのではあるが、然るに彼らの困惑とある種の怒りの感情は分からぬでもない上に、提案としては最大限に譲歩した妥当性のあるモノだと言う自負が私にはあるので此処は大人しく返答を待つ事とする。
私としてはこの地で悪魔崇拝者が何を企もうが正直に言えばどうでも良い。問題なのはこの連中を焚き付けて回復薬の秘密を探ろうとする輩が居る事の方である。穏やかざる害意を以て私を貶めようとする個人や組織が存在するのであれば今後の事を踏まえても安易に見過ごす訳にもいかぬので事が円滑に進むのであれば前者の存在に対しての少々の妥協は許容の範囲内であると言えるのだ。
「奔放なる若さとは無謀さの裏返し、とは良く言ったものですな。その傲慢さと冷静さは己の魔法士としての才覚への自負ゆえであるのでしょうが……貴女は我々との彼我の実力差をまるで弁えてはおられぬようで残念ですよ。同じ魔導を求める者であっても攻撃性の乏しい魔法しか修練せぬ薬術師と戦闘に耐え得る魔法を有する我ら呪術師とではこの様な相対する場での優劣など比するべくもないと言うのに」
高位の呪術師としての自負ゆえか、或いは未熟な小娘如きに自尊心を傷つけられたと言う短絡的な感情によるものか、どちらとも定かとは言えないが、浅慮に過ぎるその言質からも交渉の余地なし、と言う意思の程ははっきりと伝わってきた。
「なるほど、では取引は決裂……ですかね、私が明らかに釣り合わぬ条件で交渉を持ち掛けるのはかなり異例で破格な対応なんですけれど、まぁ、それでも断ると言うのならそれはそれで仕方がないですね」
破談となったとて特に何かしらの感情が揺さぶられる事もないので自然と私の口は軽くなるのだが、相反して場の空気は重く緊張感を孕んだモノとなっていく。眼前の老人は未だ動きを見せないが背後の二人は既に外套の内から短杖を取りだして利き手に握っていた。
「人間の体とは脳への負荷と負担を制限する為により激しい痛みが他の痛覚を飲み込み麻痺させる、と訊き及んだ覚えはありますかな、ゆえに手足の一本でももいでしまえば口先も滑らかにこの先に待ち受ける破瓜の痛みも和らぎましょう」
眼前に居る筈の老人の声が遠く虚ろなモノとなっていく。
同時に私の視界に映る世界は徐々に薄闇へと覆われ……気配が消失していく呪術師たちの姿からもこれが攻撃性の魔法の効果である事は間違いないだろう。
「この様な不条理な結末は迎える事については真に遺憾である事だけは最後に申し上げておきますぞ。同じ魔法士として、確かな功績を残された貴女への敬意の証として、慈悲を以て報いようとした我らを無下に扱った己の短慮を苦痛の内に後悔なされるが宜しかろう」
暗闇から漏れる老人の妄言に私は指を一本指し伸ばし、流れる仕草で虚空に呪印を刻み込む。
『限定解除』
刻み名を成す一字を以て、私は抑制していた『流体抗膜』の攻性防御を解放する。
「不条理ねぇ、私は結構……好きですよ」
光源が閉ざされているにも関わらず私の眼前に見上げる程の長大な影が現出する。色濃く実体感を有する漆黒の影は曲り形りにも人の姿を象っているあたり、恐らく砦の兵士たちはコレを悪魔と見間違えたのだろう。
直接目の当たりにして見れば想定の範囲を越えぬ程度の魔法。幻術系が具現化系か……判然とはしないが後者であれば長年に渡り引き継がれた知識を元に実験と研鑽を積み重ねた成果と素直に称賛を贈るのは吝かではない。
「祭壇の魔方陣……あれは外部から取り込んだ魔力を生体として変成する為の疑似装置。恐らくは魔物を生み出す遺跡の技術を流用した紛いモノなのでしょう。根本的な理解と知識がないゆえに不完全に過ぎる術式では直接地脈からの魔力の供給は負荷に耐えられぬゆえに態々砦の生物から細々と魔力を調達していたのかと思えばその百年にも渡る不条理な努力には本当に涙が出そうになりますね」
暗闇の彼方から震える怒気に呼応する様に振るわれた象る影の右腕が私の体を側面から薙払う。
瞬間、生じた質量を伴う銀の流体が影の腕に巻き付くと私の肌に触れるか否か、僅かな狭間を残して、ぴたり、と制止するとその風圧で大きく靡く私の長い黒髪の流れる髪先の隙間から、ぼろぼろと泥屑の如く崩壊を始める影の腕の変質を瞳に映す。
その光景に私が抱いたのは歓喜であった。
姿の見えぬ呪術師たちが息を飲む気配と共に、ぱちぱち、と打ち鳴らされる柏手の音だけが坑道に響き渡る。勿論の事、その音源の正体は私である。物理的な影響に留まらず触れた物質に侵食し内部構成を破壊する『流体抗膜』の攻性防御が発動した事でこの魔法が先の予測の後者である事を確認した私は感動の余り思わず拍手を贈っていたのだ。
こうした感覚は金髪坊やが見せてくれた輝きと同質のモノで、今の世に現存する知恵と技術を以て成し遂げた功績に、その軌跡の結果は実に気分良く私の心を高揚させてくれる。
「素晴らしい……祭壇に残された術式の簡易化なのでしょうが、拙いながらも良く考え練り上げられていますね。無謀な高次元の具現化には挑まず、概念の内でも最も単一で想像し易い影を質量化させた点も流石は年の功、分相応、着眼点も悪くありません」
腕から侵食した銀鎖の如く流体抗膜が影の本体へと至ったのだろう、術式を破壊された魔法は消失し、べちゃり、と象る影は暗闇の地に崩れ落ち……尚も私の周囲に展開する這い寄る銀蛇が鎌首を擡げるが如く光景に……次第に松明の炎が坑道の闇を払い除けていく。それは何より暗闇を齎した術者の魔法が、幻術系の魔法が、受けた精神的な衝撃の余り崩壊した事を現していた。
驚愕の表情で私を見つめる三人の呪術師の姿を前にさて、どうしたものかと再度思いを廻らせて見る。
見知らぬ地で私に関わらぬ他者が何をしようと、何をされようと、関心はない訳で、彼らの下卑た人間性は不快ではあるがこの地で行われたであろう『行為』自体に激しい義憤に駆られる一般的な倫理観に基づく共感性と言うモノを生憎と私は持ち合わせてはいない。まして下地となる動機が魔導の探求ともなれば尚の事である。
詰まる所、所詮私とこの悪魔信奉者共は同じ側の人間、同じ穴の狢。なので披露して頂いた成果の程も上出来で中々に愉快でありましたし、受けた依頼は彼らの排除と言う具体的なものでもない訳なので本当に見逃して上げても良いのですが……。
さてさて、本当に迷ってしまいますね。




