第二幕
死霊術師、とは只の自称であり本来魔法士が呼称されるべき一般的な名称ではない事は先に伸べた通り。
分類すれば彼らが命題とする悪魔の召喚や再臨やらは詰まる所は概念の具現化に過ぎず、それは到達点を同じくする事からも知れる様に呪術師と呼んで然るべき存在な訳ではあるのです……が。
私が可能性を失念する程に先の……いや、元の時代ではこの手の邪教徒の存在は滅多にお目に……どころか耳にする事もない廃れた絶滅危惧種の類いでありまして、私を見てお分かりの事とは思われますが、国体からして良くも悪くも極まった個人主義が蔓延していた我が麗しのルクセンドリアでは正教と呼ばれた真っ当な宗教ですら数少ない信徒の確保に目を血走らせ躍起になっていた信仰と呼ばれるモノが随分と希薄な国家でありまして。
なので光と影、信仰の負と闇の側面を反映する悪魔信奉者を含めた邪教などはそれこそ勢力的にも私の内では考慮に当たらぬ埒外で、その為にうっかり失念していても仕方がなかった事なのです。それにこの時代の見識がまだまだ浅い私に対して誰も彼もが思わせ振りに、やれ伝承、これ伝承、それ伝承、と繰り返し鸚鵡返しの如く聞かされては純粋無垢で知られる私の脳内に語られる単一で誇張された固有の悪魔としての印象のみが刷り込まれ、それが邪教徒の存在と結び付かずとも私が責められる謂れはないのでございます。
ゆえに何が言いたいのかと申しますと、無用な固定観念を私に植え付けた皆が悪い、と言う事ですね。やれやれ是非に反省して頂きたい……とは言え、このままでは確実に面倒事に巻き込まれるのは目に見えている訳で、賢明な私としては即座に全てを『見なかった』と定める事に致します。
はい、何も見ていません……見ていませんからね。
「ではお邪魔しました。失礼します」
軽く祭壇に一礼を済ませて転移魔法を発現しようとした私の指が、ぴたり、と止まる。その原因は酷く単純で……仰々しく台座に置かれている一冊の古びた本を視界に捉えてしまったゆえに。
はた、と小動物が如く周囲を見渡すが幸いにして人の気配は皆無であり、良く良く見れば砦の方角から続く手掘り感が漂う坑道の壁は相応に年期の入ったモノで百年単位では効かぬ労苦を感じさせる。ともなれば、その坑道の果ての祭壇に後生大事に飾られた古書に私が興味を惹かれたとしても無理からぬ事なのです。もしも邪教の経典の類いであれば……これは中々にお目に掛かれぬ珍品な訳であるのですから。
「ちょっとだけ……ええ、本当に少しだけ」
迷っている時間が惜しいので其処は即断即決で、ささっ、と祭壇へと歩みを寄せると台座に鎮座するその分厚い背表紙を手に取って、ぺらり、と表紙を一枚捲る。
『我が愛しき愛娘、最愛なるフェルミナに捧ぐ』
冒頭に綴られたその一文を以て記述者が誰であるかを私は知り、同時に読み進めて行く事でこの書物が経典などでは無く細部に渡る『当時』の描写からも自ずと察するに恐らくはバルシュミーデ伯爵当人の手記である事が窺えた。
であればこれは失われた歴史を紐解く貴重な文献……である事は言うに違わぬのではありますが……速読の如く捲る手記の内容は実に、ええ、冒頭に記された家族愛とおぼしきモノとは性質が異なる実に生々しい愛欲の日々が年月の経過と共に克明に記されておりまして……。
血を分けた実の母親と息子。
血を分けた実の父親と娘。
描写される実の家族が互いを求め肌を重ね合い悦楽に喘ぐ排他的で如何わしい儀式の数々。
「なるほど……これが歴史の事実であるのなら、王国と神殿が結託してまで抹消しようとした本当の真実とは、国王暗殺未遂に端を発する王家に連なる者の不祥事などではなく」
傍流とは言えど尊き王家の血筋から悪魔信奉者の一族を輩出してしまった事への激烈なる怒りと羞恥、からであろうと推察出来る。
神殿にして見ても邪教徒などは異端中の異端。以前、私は魔女狩りの如き理なき無法な異端裁判などは作劇の内だけの空想と評した事があったが訂正せねばならぬだろう。当時の文献から王都で行われた不合理な虐殺に神殿の聖職者たちが関わっていた事実を知る今の私であれば、この事実関係を踏まえて予想出来る解釈において、王国の暴虐に率先して神殿が荷担した事で多くの無辜の魂が失われた事実は否定出来ぬのだから。
それは王国と等しく神殿にとっても消し去らねばならぬ黒歴史……類を見ぬ歴史的な汚点であろう事は言うまでもない。つまりこの地に残る伝承とは王国と神殿が絶対に表には出せぬ一つの真実を隠す為に虚実入り混じる風説を敢えて流布し異なる陰謀論を真しやかに根付かせる事で人々が過去の虐殺の本質に気づかぬ様に巧妙に仕組まれた策謀、と言う訳であろうか。
秘密を他者に知られぬ為に虚言を並べ立てる手法は愚策。本当にそうと信じさせるには九分九厘の真実に一厘の嘘を忍ばせるが上策……とは良く言ったものである。
そして手記の最後はバルシュミーデ伯爵家、末娘のフェルミナの懐妊の一文で終わりを告げる。追記された愛娘への賛辞と祝福が綴られた文面……これが実の娘に己の子を孕ませた父親のモノであるのだからまさに常軌を逸した狂気の沙汰である。
ですが、バルシュミーデ伯爵家最後の姫君として知られるフェルミナ・バルシュミーデが何故家族と共に王都に赴かず単身で領地に残っていたのか、と言う歴史的な疑問の解答としては自由が効かぬ身重の身体であったから、と言うのはこの手記から得た新たな解釈の上では成り立つ話ではあろうか。
「これはこれは、マクスウェル殿ではありませんか」
背後から響く声。勿論の事それは私の心の声、などでは無く……そろっ、と振り向く先の視界に松明の淡い炎に照らされる三つの人影を見る。
速読は得意とは言えど、中々に分厚い手記を始めから最後まで読み切ってしまっていた事実に今更ではあるが我ながら驚愕してしまう。集中すると時間を忘れてしまうのは私の悪い癖ですね……状況的に見てもどうやらそれなりの時間が経過していた模様であります。
私は大袈裟に、ぱんぱん、と埃を払う仕草を披露してから手記を丁寧に台座へと戻す。そして満面の笑顔で再度振り返った。
「済みません、地下聖堂を探していて道に迷ってしまった様です。あっ、断じて何も見ていないのでこれで失礼しますね、少々……いえ、性急にお花を摘みに行きたいもので」
と、彼らが来た道……当然ながら坑道は一本道なのでそちらに戻ろうとする私の進路を向かい合う先頭の老人以外の二人が左右に広がる形で身を以て塞ぐ。
ですよねぇ……。
「いえいえ、マクスウェル殿、そう急がず御緩と成されるが宜しかろう。貴女様は我らが最後の夜会の主賓の御一人。御子に捧げる贄となる前に個人的に是非とも御訊かせ願いたい話もありますれば」
「いやぁ、叡知を以て知られる呪術師ギルドの皆皆様方に私如き無知蒙昧な輩が御力になれる事が何かしらでもあれば良いのですけれども」
などと奮発して愛嬌良く盛大に揉み手などをして見せる……が、主犯格とおぼしき老人は好好爺然とした風貌とはそぐわぬ鋭利な眼差しを私に向けてくる。
これは犯る……こほんっ、殺る気満々でございますね。さてっ、どうしたモノでしょう。餅は餅屋の例えの通り、この方々が実行犯と言われれば然り、と頷けはするのですが……背景を知る今となっては今回の黒幕かと申しますと関連性と配役としての側面からもやや見劣りすると言いましょうか、ふうむ、と首を捻らざるを得ません。
なので此処は様子見と決め込み、私は体感的には先程まで席を共にしていた調査団の面々に対して最高の愛想笑いを浮かべて見せるのであった。




