固定観念とは人の目を曇らせるモノである
城内~二階廊下~
既に時刻は昼を大分過ぎ夕刻の鐘が迫る刻限、日没を前にして城内は慌ただしさを増していた。今では悪魔への対処法として日が落ちる前に城主を始めとした主要な面々は地下聖堂に避難して夜を明かす事と定められているらしく、その為の移動や夜間の城内での兵士の配置、巡回組の編成などでこの刻限は色々とばたばたとするらしい。
直前で慌てる位ならその辺りは事前に取り決めておくべきだろう、と思わなくもないが毎夜に渡り士官を含め多数の犠牲者が出ている為に常に現場は指揮官不足に悩まされ、まともに予定していた編成が組めないのだと訊けば弱り目に祟り目と心情的に分からぬ話でもない。それに最も安全とされている聖堂に配置されるのは広さからしても精々十数人が限度であろうし他に配属されるにしても巡回組が一番危険だと言われているのだから武家に連なり王国への忠誠心も厚い士官らとは異なり平民で構成される兵士たちにして見れば率先して其処に志願する者もいないのだろう。
などなど色々と面倒事も多くこの乱れた非常時に下手に強権を振るって統制すれば離脱者を生み出し兼ねない現状で城主も頭を悩ませているらしい。幸いにして、と言うべきか家族を王都に残して単身で赴任している為に城主自身の身の回りの警護は近親者が居ないだけ比較的に楽だと言うのが責めてもの救いと言えるのであろうか。
そうした城内の事情もあり、一人廊下で不機嫌な様子で待ち人の到来を待っている可憐な少女……おほんっ、私に時折通り掛かる兵士の皆さんはぎょっ、とした顔や二度見など各々に興味深い反応を示してくれやがるのですが、見世物小屋の動物ではない私としては済ました笑顔でそれに応対しつつも辟易と心中穏やかざる点はお察し願いたいところではあります。
それもこれも悪魔への対策などと埒が明かぬ議論を長々と訊かされた挙げ句に退席する事も出来ず、結局この様な時刻にまで引き伸ばされてしまった会議のせいでありまして、それでも内容に多少なりと実りでもあれば諦めも出来ますが思い返しても前提として悪魔とやらの存在を肯定されてしまっては不毛であったの一言に尽きざるを得ません。
大体が空間に規則的に並ぶ三つの点を顔だと識別してしまう視覚に頼る人間の認識など魔法的な要因を排したとしても危うく脆いもので『見た』と言う固定観念は大方の場合当てにはならぬモノなのです。なので薄暗い城内で変装をした襲撃者を悪魔と見間違える事は十分に有り得る話でしょう。まして相手側はそうと信じさせたいと計画的に行っている犯行な訳なのですから。
やれやれ本当に困ったモノですね。悪魔なんて絶対に絶対に存在なんてしないというのに……別の意味合いで事態は思う以上に深刻なようですね、ええ本当に。
「お待たせ、クリスちゃん」
背後から不意に声を掛けられて、うひゃあああああっ、と私はその場で跳び跳ね、即座に振り返り向けた視線の先……赤毛君が立っていた。
待ち人の姿を目にして、ほっ、と胸を撫で下ろす……が、背後から急に忍び寄られて少しだけ驚いただけでこれは過剰反応などではありません。決して怖かった訳では……ありませんからね。熟達した戦士とは気配を上手に隠せるとは訊きますが寿命が縮むので素人を相手に止めて頂きたいものです。
「いやいや此方こそ済まなかったねアベル君、早々と切り上げて抜け出そうと思っていたのだけれど、思いの他、予想以上に長引いてしまってね」
動揺していると思われるのは癪なので、言いたい事は数あれど顔には出さず少し余裕ぶってみる。最近は手慣れたモノで我ながら中々上手に演じられている自信もあるのです。
「それは仕方がないんじゃないの、それに個人的に動ける時間ってのは貴重でね、返って良かったさ」
「んっ、あれ……随分と濡れている様だけど、まさかこの雨の中、城外に出ていたのかい?」
赤毛君の言葉に改めて良く見直すと服こそ着替えて来たようではあるが、湿った髪の度合いからも好んで寒空の中、水浴びなどは考え難いので雰囲気的にもつい先程まで雨に打たれていた事を窺わせる様子であったのだ。
「常に最悪の場合を想定して退路を確認しておくのは冒険者の鉄則でね。まして護衛であれば尚の事、雇い主のクリスちゃんだけは連れて逃げれないと不味いからさ」
「へえ、意外に真面目なんだねぇ」
本当に意外だったので素で感心してしまう。正直これまで腕は立つのだろうが奔放で無節操な馬鹿だとしか認識して来なかったが、実は色々と考え考慮していた事を知り少しだけ赤毛君の評価を上方修正してあげる事にする。流石は腐ってもマリアベルさんの紹介と言うべきであろうか。
「ああ、そうだ、冒険者たちはちゃんと帰してくれたかい?」
「ああ、ちゃんと伝えておいたよ、今頃は宿場に着いている頃じゃない」
「ふむふむ、結構結構」
赤毛君からの報告に私は満足げに頷く。
これで此方の近況は宿場に待機している冒険者たちにも伝わり情報を共有出来る筈。想定にはないが万が一の場合は彼らの助力を仰ぐかも知れないので保険は掛けておく事に越した事はない。もし不測の事態に陥っても事態に対応して商会に使いを出してくれるだろうし、外部からの支援も当てに出来るのであれば、この先は色々と後顧の憂いなく動けるというものである。
「んでクリスちゃん、此れからどうすんの、助祭の姉ちゃんたちは先に地下聖堂に向かってるんだろう?」
「この部屋で少しだけ調べ事があってね、ただ日没には間に合わないかも知れないからもしもの時は宜しくお願いするよアベル君」
さらっと宣う私に正気か、と言う表情を赤毛君が見せる……が、其処は構わず、
「中で何をするのかは乙女の秘密なので絶対に覗かないでね、後、私が自ら扉を開けるまで中には誰も入れない様に」
と、加えてお願いしておく。
態々、窓が無く外に面していない奥まった一室を用意して貰ったのには相応の理由がある。確証こそ無いが恐らくは鴉の瞳を介して砦全体を監視しているだろう不届き者に好んで手の内を見せてやる必要性が無いからである。主とする要の大規模術式さえ壊してしまえば関連する悪魔の正体などは何れは露呈する付属に過ぎぬモノ。しかし術式を破壊した後にどの程度の報復や反発があるのかは読めぬ面もあるので、私と言う魔法士の実力は可能な限り隠していた方が得策だろうと言う判断からである。
「なぁ、口振りや態度からしてもクリスちゃんが悪魔の存在を信じていないのは分かるけどさ、けれど伝承や逸話を軽視するってのは随分と軽率でらしくない判断な気もするけどねぇ」
西方域の生まれだと言っていただけに、この地の伝承は赤毛君と言えど心情的に一笑に付せぬのは珍しく神妙な面持ちからも察せられる。物心ついた折から童話として逸話として伝承として親から子へと伝えられる躾の為の教訓めいた話の類いである為に西方の人間にとっては簡単に割り切れぬと言うのもあるのだろう。
「別に軽視も無視もしてはいないよ、ただ今回の件について言えば余談ではあると思ってはいるけどね」
「じゃあもしも本当に伝承は真実で悪魔が存在するとしたらどうする?」
その時は、と私は赤毛君の厚い胸元を、ぽんっ、と軽い調子で拳で叩く。
「少し前に言ってくれたじゃないか、君が私を護ってくれるんでしょ、信じているよ」
片目を瞑ってそう応えて見せた。




