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王都の錬金術師  作者:
第二章 北の遺跡と呪われた古城
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悪い予感とはまま当たるものである

 はあはあ、と乱れる乙女の吐息が車内に漏れる。


 上気する頬を朱に染めて珠の汗が零れる首筋は艶っぽく艶かしく……不謹慎にも見蕩れしまう己の浅ましさを律して私は震える背を撫でてやる。


「大丈夫ですか、クラリスさん? 一度馬車を止めて外の空気に触れた方が良いのでは」


「いえ……乗り物酔いとはお恥ずかしい限りですが……砦まではあと少し、多少体調が優れぬからと言って此処で皆様の足を止めさせご迷惑をお掛けするのは本意ではありません。私は大丈夫ですのでどうかお気遣いなく」


 明らかに顔色が優れぬにも関わらず無理に微笑むクラリスさんに内心では心配しながらもその意思を汲み、手綱を握る赤毛には無用な指示を出さぬ事にする。


 クラリスさんは称して可憐でたおやかな乙女ではあるが、反して芯の強い一面を秘めた女性である。此処で私が体調不良を理由に馬車を止めて無理に休ませようとしても、それを無下に扱う女性では無いが、例え感謝を伸べて好意に甘えたとしても、その内で己を責め恥じる潔癖さと高潔さを持つ女性である。ゆえに後を思えばこそ彼女の内なる負担を軽減させる為にもその意思は尊重するべきだろう、と判断したからだ。


 一見すればクラリスさんのこの急な体調の変化は自己診断通り、乗り物酔いの症状に酷似しているし深刻なモノでもない……が、酔う、と言う症状に至る要因に関して言えば一般的な乗り物酔いとは別のモノである確信と確証が私にはある。


 瞼を閉じればジジジジッ……と不規則に不協和音を奏でる波長ノイズが脳裏に響く。それは実に煩わしく不快な感覚であり、これがクラリスさんの体調を崩させているモノの正体である事は間違いない。


 魔法の適正の高い者は感応力にも優れている為に地脈と呼ばれる魔力の流れが形成する力場の影響を受け易い。尤も正常であれば魔力の補正を伴う影響とは人体には良好なモノで精神的な安定を促進させる有意義な効果を齎す筈ではあるのだが、この様に『乱れた』地脈の力場の波長は逆に自律神経を揺さぶり人体に悪影響を及ぼすモノとなる。


 これは私の時代には当たり前の知識ではあるが、この時代においてはまだ解明が成されていない不可思議な現象であるのだろう、それが対処法を知る私と知らぬクラリスさんとの間で明確な体調の差として現れているのだ。


 だが先程も言った様に要因は異なるがこの症状自体は乗り物酔い……所謂、動揺病……加速度病と呼ばれるモノと同一のものであり、解明されずとも何れは慣れれば自然と克服出来る種のモノである。同様に地脈の乱れも然り。その要因の大半がど三流の魔法士が……失敬、地脈を利用した大規模術式に不備があるか、或いは不完全な調律ゆえの弊害であるので、私の様な天才でも無い限りまま起こり得る事例ではあるのだ。


 地図上の位置関係を見るに砦は遺跡が利用している地脈の影響下にある事は確かで、恐らくクラリスさんの不調の原因はその辺りにあるのだろうと推測すれば、人体に与える影響は軽微なモノで私が性急に干渉すべき程の深刻なモノは体感する乱れた波長の振り幅を見ても感じぬのではあるが……これまでの経験上判断に迷う点はある。


 私の魔法に対する認識の尺度がこの時代の物差しに合わぬのは承知の通り、例えばクラリスさんの体調不良に関しても、この程度の地脈の乱れは大陸全土、遺跡が在る地域であるならば起こり得る話と推察出来る。にも関わらず旅慣れたクラリスさんが此処まで体調を急変させるには何かしらの異なる外因や見落としがある可能性は捨てきれない。


 聖職者が件の古城に向かう道中で体調を崩すなど、如何にも逸話を助長させるに十分な不穏さを伴う事象である訳で……根っ子の部分にあるこの手の民間伝承に彩りを添えるには申し分のない話。詰まる所、謎とされる事象が長い年月に渡って累積され、同様の事例の数々が報告される事で公然の場で真しやかに広がる噂こそが肉付けされた伝承の正体であると言うのが、先の推論を裏付ける整合性の取れた私なりの結論となる……のだが。


 禁忌と呼ばれ信じられる事の厄介さは魔法士である私が誰よりも良く知っている。口に出す事だけで忌まわしい、或いは災いを招くとされる類いのモノとは恐れを伴う強い暗示を対象と周囲に伝播させ、年月と言う成熟期間を経る事で一つの制約となる事がある。


 制約は言霊を縛る事で強化され……望まぬゆえに強き恐れと空想は何時しか現象へと昇華する。


 今代において『エーテル』を信仰と言う概念にまで変質させた事例が証明する様に、人間の感情や想いとは時に理屈を越えるモノ。加えて私の固有結界魔法『錬金炉アタノール』こそがその仮説の同立態系上に語られるべき魔法であるだけに、安易には否定出来ぬ可能性を前にして……しかし私は大きく首を振る。


 やはりそれがもし可能な理論であったとしても、現象として確立し一つの魔法として成立させるには最低でも数百年単位で……しかも情報を統制出来る隔絶した環境下でやっと、と言うのが私の見立てである。であれば宿場の女将さんの話からも分かる通り、伝承の発端となった事件とやらからまだ百年も経っていない事は明白で、そんな短期間で、しかも開かれた環境下で、簡単に概念魔法が創造出来るなら誰も苦労はしない訳ではあるので、どう考えても発想の飛躍が過ぎると言うものだろう、と私は納得する。


 結局の所、情報が圧倒的に足りず全てが推測や推論の上でしか語れぬ以上は確かな解答に至れる筈もなく、結論としましては、何事もなければ良いよね、となる訳ではありますが……。


 

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