第一幕
街道沿いに点々と存在する宿場は旅人たちに一夜の宿を提供するだけでなく、王都を発する、或いは各地方、各街から王都を目指す旅馬車の中継や乗り継ぎの場として一般に機能している施設の名称である。
ゆえに主要な街道か否かに依っても宿場の規模は異なりはするが、しかし何処も基本的には近隣の農家の者や土地の地主などが兼業で行っている酒場や旅宿が大半を占め他には娯楽施設の様なモノもない。その理由は簡単で専業で経営するには年間を通して安定した利益を上げられぬからである。
こうして冬場にもなると旅馬車も往来する旅人もぱったりと途絶え、客足が絶えてしまうにも関わらず、人体に例えれば体内を巡る血管の役割を果たす街道の物と人の流れを支える生命線とも言える宿場の存在は重要で、冬の期間のみ休業するなどと言う行為を王国が認めぬ為に折角秋口までに溜め込んだ利益の多くを冬越えまでの赤字経営の補填に費やす羽目となり、宿場全体の年間を通した利益の程は知れたモノとなる。
苦労の割りには報われぬこの手の業界に街に店を構える商人たちの食指が動く筈もなく、結局の所は収穫期を終え冬場に労働力に余裕が生じる農村部の者たちが村や集落単位の減税を条件に、副業と言う形で宿場を経営していると言うのが一般的な形態であるらしい。
その様な理由もあって、宿場を経由する形で北部の砦を目指す我々一行は時に喜ばれ、時に困惑されながらも、最後の逗留地となる宿場を出発しようとしていた。
★★★
「では申し訳ありませんが、残る者たちの事は宜しくお願いします」
面倒を掛けますが、と私はこの宿場の代表者である宿屋の女将に金、銀、銅と混じり膨らんだ皮袋を手渡す。
勿論それは私の私財ではなく、事前に冒険者たちから徴収していた宿代である。同行している神殿の使節団を含めれば三十名を越える人間たちが各々に宿を取ろうとすれば手間も時間も掛かる上に受け入れる側の宿場の者たちにも迷惑を掛けるので、旅団を代表して私……と言うか商会で逗留する宿を借り上げていたのだ。
「いえいえ、面倒なんてとんでもない。この時期に団体さんに逗留して貰ったお陰で、今年の新年の祭りは村を上げて少し豪勢に祝えそうだよ」
恐らくそれは本心からなのだろう、年配の女将はほくほく顔で皮袋を懐へと仕舞い込む。
「では此方が滞在を延長する冒険者たちの分です。恐らくは数日で済むとは思うのですが不足が出た場合は帰路の折りに必ず清算しますので」
と、私は先程よりも金貨が多めの皮袋をもう一つ女将に手渡す。
此処より先は街道の分岐路を山間へと進み、山間部の砦を目指すので荷馬車の御者役を担う一組の冒険者たち以外はこの宿場で待機の予定となっている。目的の遺跡は砦の先ではあるのだが、滞在可能な最寄りの宿場が他に無い為に、まずは砦への納品を済ませてから再度合流する手筈となっているのだ。
なので此処からは私とクラリスさん。そして使節団に参加している三人の修道司祭たちと私の護衛である赤毛。そして御者役の五人の冒険者たち十一名と言う構成になる訳なのだが、この宿場から遺跡までは凡そ半日……砦はほぼその中間に位置しているので距離的にも問題は無い筈なのである。
「お嬢様……変な事を訊いても良いかい?」
「はい、なんでしょう」
「小耳に挟んだんだけどさ、お嬢様はその積み荷を……バルシュミーデの古城に届けに行くんだろう?」
はて、と私を首を傾げる。
北部の砦には確かに正式な名称があった筈ではあるが、間違ってもそんな名では無かった様な……気がします。
「ああっ済まないねお嬢様……山間の砦を今も地元の人間はそう呼んでいるんだよ。一昔、と言ってもあたしの母さんの更に婆さんの時代の話でね。当時はこの辺り一帯は全てバルシュミーデ伯爵様の御領地で……」
「おいっ、止めねえか!!」
と、傍に居た女将の旦那さんが激しい口調で会話を遮ってくる。
あれっ……何でしょうこの空気……とてもとても嫌な予感がしますね。
「でもあんた、ちゃんと伝えておかないと……」
女将の訴えに旦那さんは少し悩んだ素振りを見せ……意を決した様子で私を見据える。
「ウチの馬鹿が済みませんねお嬢様。なあに土地の連中はどいつも迷信深い者が多くていけませんよ。所詮は昔話、今は多くの兵士様方が詰めてらっしゃる砦に危険なんてありゃしないってのに……ただ」
「たっ、たたっ、ただ……何です?」
「いえ……それは」
と、言葉を濁し何かを探す様に旦那さんの視線が宙を彷徨い……はっ、と彼方の空を見上げる。
「そうです、ええっ、天候が荒れるかも知れませんでしょう? 山間部は地盤の関係で雨が降ると土砂崩れの危険も増しますしね、なので積み荷を届けたら直ぐに……決して逗留などせず戻って来る方が安全です。約束ですよお嬢様……必ずそうして下さいね」
真剣な旦那さんの眼差しに私は息を飲む。
あのっ、迷信とは一体どんなお話なのでしょうか……確か狐目さんも似たような事を言っていた気もするのですが、既に私の記憶から抹消していた為に中々に思い出せぬのですが……。
その話、今後の為にも是非詳しく、と問おうにも旦那さんは女将さんの腕を引き背を向けてしまう。そんな思わせ振りな態度を取られると勘ぐってしまうじゃないですか……本当にちょっと泣きそうです。
「お嬢様、これだけは絶対に守るんだよ」
旦那さんに腕を引かれて離れていく女将さんの唇が動き、声になら無い言葉を紡ぐ。
嘗てこれ程までに集中した事があるのか、と言うくらいには全霊を以て凝視していたのでソレは簡単に読み解く事が出来た。
女将さんはこう言っていた。
決して死者の言葉に応えてはいけないよ、と。
…………。
…………。
お腹が痛いので留守番する事に決めました。
絶対に、絶対に……砦に何て行きませんからっ。




