最後の歌になんて、させるものか(ラース・フォン・トリアー『ダンサー・イン・ザ・ダーク』)
輝くものを見つけたくて、闇の中に目を凝らす。
希望の光を見出したくて、絶望の闇を見つめ続ける。
闇の中で踊った彼女からも、またひとつ光るものをもらうことができた。
今回は鬱映画として有名な『ダンサー・イン・ザ・ダーク』。
エグい、キツいという評判を聞いていたので中々視聴する勇気が出なかった本作。評判通り精神を消耗させられる一方、もっと早く見ておけば良かったと思える作品だった。
あらすじは以下のとおり。
主人公のセルマはアメリカで暮らす女性。彼女も息子のジーンも、先天性の病気により視力が失われつつある。息子だけでもその運命から逃れさせようと、手術を受けさせるためにチェコから移民してきた。
彼女の光は、年内には失われると告知されている。彼女はプレス工場で働き手術費用を貯めていたが、そこで働ける時間も長くはない。これまでは親友キャシーの協力で視力検査をごまかしてきたが、いつ事故が起こってもおかしくない状態だった。
彼女が住むトレーラーハウスは、ビルという男性のものだ。妻リンダの浪費が激しく、借金で首が回らなくなりつつある。
完全に失明してしまう前に、少しでも多くお金を貯めよう。
そう考えたセルマは、工場での夜勤を始めた。ある程度の期間はうまくいったが、彼女はほぼ失明した状態でも働き続けたため、ついにミスをして機械を壊してしまう。弁償させられることこそなかったが、プレス工場は解雇されてしまった。
悪いことは続く。ビルがセルマの貯めていた手術費用を盗んだ。彼女にもジーンにも時間はあまり残されていない。セルマはビルから金を取り返そうとしたが、銃の暴発によって彼は死んでしまう。
彼女は殺人の容疑で逮捕されてしまうが、眼科に息子の手術を依頼することはできた。彼女を心配するもう一人の友人、ジェフが来てくれたおかげだった。
共産圏であるチェコからの移民だったこと。一度盗られた貯金の使い道をごまかすために法廷で嘘をついてしまったこと。いくつもの不利な要素によって、彼女には絞首刑が言い渡されてしまう。
親友キャシーが、収監された彼女の下へ面会に訪れる。
彼女はジェフから事情を聞いていたため、裁判をやり直そうとセルマに勧める。貯金の一部を使って別の弁護士を雇えば、死刑は免れられる。ジーンには母親が必要なのだと。
セルマは自分の命よりも、息子の手術を優先した。
セルマを担当する女性刑務官は、彼女の身に起こっていることをおおよそ把握していた。セルマは息子の未来のために死のうとしていて、死ぬことが怖くてたまらない。
死刑が執行されるまでの日々、彼女の恐怖を和らげたのは外から聞こえる教会の讃美歌だった。
死刑の当日。刑務官に付き添われ、セルマは絞首台に立つ。刑の執行直前、セルマはキャシーからジーンのかけていた眼鏡を渡される。息子の手術は成功し、眼鏡は必要なくなったのだと彼女は知った。
首に縄のかけられた状態で、「最後から2番目の歌」を歌うセルマ。
最後のフレーズを口にするその瞬間、刑は執行された。
歌われなかった最後のフレーズが、画面に現れる。
「They say it’s the last song. They don’t know us, you see. It’s only the last song if we let it be.(これは最後の歌じゃない。わかるでしょう?私たちがそうさせない限り、最後の歌にはならないの)」
これは2時間半ほどの映画で、ビルが死ぬあたりまでに尺の半分が使われる。こういう話は過程を丁寧に描かないとうまくいかないものだが、視聴中に時間を確認したときは「まだ半分ある!?」と思わされた。
あらすじは短くまとめるため細かい部分を書いていないが、この映画はとても丁寧にセルマを追い詰めてくる。
セルマは辛いとき、妄想の中で歌う。現実の光景からほぼシームレスに妄想の中へ移行して、ミュージカルが始まる。
一緒に視聴していた弟は「頭がおかしくなりそう」だと言っていた。
そんな弟に通じる例えをするなら、「ニチアサみたいなシーンのはさまる仮面ライダーアマゾンズSeason2」といったところか。
このくらい温度差の激しいシーンに継ぎ目なく移行するのが、本当にきつい。
ここまでいたたまれないお話になった主原因であるビルも、殺人を責める法廷の人々も、ミュージカルパートでは軽やかに踊る。
あらすじから省いてしまった部分だが、最初の方にセルマとビルが話すシーンがある。そこで彼女は「映画は最後の歌がかかる前に映画館を出てしまう。そうすれば映画は自分の中で永遠に輝く」というようなことを言っていた。
彼女が最期に歌い、最後まで歌い切れなかったのは「最後から2番目の歌」。「最後の歌」ではなく、「私たちがそうさせない限り、最後の歌にはならないの」というところが歌われなかった。
「私たちが」というからには、彼女はそうさせておらず、また彼女を見る私たちにも「そうさせない」ことを期待しているのだと思う。
ここ「小説家になろう」の文化に関わりの深い二次創作。その中には「原作で不遇だった、不幸な結末を迎えたキャラを幸せにしたい」という動機で書かれたものがある。
「これで終わりだなんて、認められない!」
そうやって強い想いを抱き、行動する。これがセルマの言う「最後の歌にはさせない」の一つの形、ではないかと思う。
現実の出来事にも言える。
この世界に、終幕なんてものはない。誰かが悲しい終わりを迎えたとしても、それを見た誰かが「最後の歌にさせない」ことはできる。
作中あまり出番の無い、セルマの息子ジーン。彼の物語は、私たちの知らないところで続いていく。なんなら「セルマの物語も、実はまだ終わっていない」と思うことだって、自由のはずだ。
一流の悲劇を三流の喜劇に改悪したって良い。悲劇を見た誰かの心に生じたものが、また新しい物語を生み出す力になる。
有名な作品なので、配信サイト等視聴の手段は多々ある。ただ、内容以前に尺が二時間以上と長めなので、時間や体力に余裕のあるタイミングでの視聴をお勧めする。




