伊勢の上陸、灰と花の国司
伊勢の港は、潮の匂いよりも焦げた藁と疲れた汗のにおいが濃かった。
岸壁に並ぶ米俵は少なく、代わりに空の大桶と崩れた荷車が転がっている。
平清盛の軍船が着くと、港の役人が慌てて駆け寄った。
顔は土気色、腰の印綬は擦り切れ、胸より胃袋が痩せて見える。
「年貢米がたびたび奪われ、蔵は空です。
民は麦の穂も食い尽くし……」
声は小さく、波音にかき消えそうだった。
船縁から様子を見ていた源義朝が眉を寄せる。
「都へ送る米は守ったが、港が干上がっていては本末転倒だな」
加藤清光は折れた木刀を肩に担ぎ、粥鍋用の米俵を数袋ずつ降ろさせた。
桜の塩漬けと井戸水も一緒に運ぶと、桟橋にいた子どもが目を丸くする。
「お米、炊くの?」
「炊くとも。まず腹が立っては心も立たんからね」
清光は笑い、鍋に井戸水を張った。
役人は慌てて頭を下げる。
「下司殿、それは都の軍米では──」
「灰を耕す種蒔きと思えば安いものです」
鍋が火にかけられ、湯気が上がるころ、
漁師や荷役人が次々と集まり始めた。
誰もが骨ばった指で、湯気を確かめるように伸ばす。
やがて桜粥の香が風に乗り、
小さな椀が最初に差し出された。
ひび割れた木椀、手は震えていたが、
一口すすった瞬間、頬に色が戻る。
「甘い……」
その一言で人垣がほどけた。
湯気の列が岸壁に伸び、
平家の兵も源氏の兵も肩を貸して椀を配る。
港の隅に、焼け落ちた倉があった。
黒い梁が半分沈み、灰が雨で固まっている。
清光は割れた木刀で灰を掬った。
「この灰を畑に混ぜれば次の麦は強く育つ。
都では、それで花が咲いた」
役人は訝しげに眉を上げる。
「灰など――」
「灰は花の根になるんです」
小夜が後ろから袋を差し出した。
播磨で採れた花の種。
梅、木蓮、萩、そして桜。
斎子姫は白い袖で灰をすくい取り、
種と合わせて役人の掌に置いた。
「胸より深い器で土を耕せば、
灰も花も粥の香になります」
午後には、港外れの痩せ地で鍬が動いた。
兵が杭を打ち、漁師が網で石を運び、
山賊崩れの若者が灰を混ぜる。
夕方。
第一鍋の粥が底を見せると、
港の子どもが小さな手で石を拾ってきた。
「これで火を囲うと風が消えるよ」
清光が石を並べ、新しい鍋を据えると、
遠くで法螺貝が鳴った。
平家の見張りが戻り、海賊が沖に現れたと報せる。
今度は数も帆の色も少ない。
麓の村で粥鍋の湯気を見たと聞き、
腹を満たすため投降する気配もあるという。
清盛は舵手に命じた。
「捕らえず、鍋に並べ。
剣より粥で寝返らせよ」
義朝は笑って刀を鞘に納めた。
「腹が膨れたら胸の火も消えるだろうさ」
夜。
伊勢の浜には二つ目の鍋が湯気を立て、
捕らえられたはずの海賊が椀を持って輪に加わる。
誰かが焦げ旗の一片を帆柱に括り、
月明かりで穴の向こうに星が瞬いた。
清光は木刀を地に突き、
湯気を見上げつつ呟く。
「灰を耕し、花を蒔き、
粥で心を繋ぐ。
それが平らかな種蒔き」
潮騒は静かに応え、
薫酒粥の香が春の終わりを甘く包んだ。
次回予告
伊勢の港で灰と花を撒いた清光だが、
平家の急速な台頭に不満を抱く京の貴族たちが、
“胸を量る新たな札”を都へばらまく。
都へ戻った折れた木刀の前に、
器の深さを試す第二の嵐が迫る。
胸より粥、剣より香――
旗は再び春の空を揺らす!




