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春の院田、花粥と剣の影

春の夕映えが院の御料田を淡い金に染めていた。香り立つ木蓮粥が大鍋で湯気を上げ、平家の若武者と源氏の郎党が肩を並べて椀を受け取る。粥歌は禁止のままでも、香りと笑みは静かに戻りつつあった。加藤清光は折れた木刀を杖に畔を歩きながら、胸の奥でほっと息をつく。剣より粥、歌より香──この旗を都に立てる。それが春風都篇の第一歩のはずだった。


 その時、鍋の列がざわめき、粥椀が一つ地面に落ちて割れた。列の中央で平家の若侍・祐国が胸当てを突き出し、源氏の若者・高義に怒声を浴びせている。「胸の器が浅いから粥をこぼすのだ」と。高義が顔を紅潮させ剣に手を掛ける。「器の深さより腕の長さで量ろうか」。まわりの兵が慌てて間に入り、清光は木刀を打ち鳴らして声を張った。「剣で器を測るな。粥で心を測れ!」


 だが言葉は届かず、一閃。高義の短刀が抜かれ、祐国の肩口へ走る。清光は咄嗟に木刀を横薙ぎに振り、刃を弾いた。短刀は宙を回転して畔の泥に突き刺さる。鼻先をかすめた冷気が粥鍋の湯気を裂き、場が凍りつく。祐国の肩鎧には浅い切痕が入り、木刀の背には刃こぼれが残った。折れはしない。折れていられない。


 源義朝が人垣を割って進み出る。「武者の恥だ、高義!」叱声に高義は膝をつき、祐国も刀を鞘に収めた。だが二人の目にはまだ火が消えていない。清光は鍋から椀を取り上げ、折れた木刀の先で掬い上げた木蓮粥を二人に差し出した。「剣を抜いた腕で粥を持て。熱さを感じるなら手はまだ生きている」祐国と高義は互いを見て、同時に湯気ごと椀を握った。熱さに眉を歪めながら口に運び、ようやく肩が下りる。湯気が晩春の冷えを払い、鍋の周囲におぼろな安堵が滲んだ。


 夜。院田司の長屋門を閉めると、平清盛と義朝が並んで立っていた。月の光が二人の影を畦に伸ばす。清盛は低く言う。「今日の一刺し、誰かが火種を落としたに違いない」。義朝が続ける。「高義の短刀には藤原家の徽章が掘られていた」。旧左大臣家の残党が再び蠢き、平家と源氏の溝を掘り直そうとしている。清光は木刀を握り直す。「剣で結ばれた溝は香りで埋める。明日、両陣営で花粥を炊き直そう。器の浅深より粥の深さを見せるんだ」


 その夜半、院田の暗い溝に黒い影が忍び込んだ。蔵で乾かしていた木蓮の花びらに油を滴らせ、火打ち石が擦られる。ぱち、と小さな火が灯り、闇が赤く揺れた瞬間、どこからか錫杖の澄んだ音。僧兵の影が飛び込み、火種を足で踏み潰した。踏み消えた火花の残照に、逃げ去る刺客の衣が揺れる。袖に縫われた家紋は月明かりに一瞬浮かび、すぐ闇へ溶けた――五枚の花弁を逆さに束ねた梅紋。藤原顕房の印だ。


 翌朝、院田の粥鍋が再び湯気を立てた。今日は梅花と木蓮、二つの香を合わせ、器を越えた粥を煮る。昨日剣を交えた祐国と高義が並んで椀を差し出し、笑みを浮かべた。だが清光は木刀の刃こぼれを見つめ、心の中で呟く。剣の影はまだ去らない。花と粥と歌、それでも足りなければ次は何で都を耕す? 胸の奥に燃える問いに、梅と木蓮の香が静かに応えた。


(第5話につづく)

次回予告

第5話「闇打つ笛、花粥の夜警」

院田を襲った放火未遂の刺客は梅紋を残し姿を消した。夜ごと粥鍋を狙う影、浮かぶ藤原顕房の名。清光は僧兵と山賊崩れを夜警に立て、自らは笛を手に闇を巡る。梅と木蓮の香の向こうに、剣より鋭い笛の音が闇を裂く

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