第88話「ナタリア王女、神聖国と戦う」
──ランドフィア王国の南方で──
「駄目です。ナタリア殿下! 戦線を維持できません!!」
本陣にいるナタリア王女の元に、敗報が届いた。
ナタリア王女の前には数枚の『鏡』がある。
初代王アルカインが作ったマジックアイテムだ。
同じ『鏡』と繋がっており、時間差なしで前線の将兵と話をすることができる。
だから、ナタリアにには戦況が手に取るようにわかる。
最強を誇るランドフィア王国軍が現在、不利な状況にあること。
敵である神聖国が、マジックアイテムへの対抗策を所持していること。
神聖国はすでに川沿いの町ダルムスを占領し、その後は王都めざして軍を進めていることが。
「まさか神聖国が『ホーリィ・スピリット』を使役していたとは……」
ナタリアは天幕を出た。
彼女がいる本陣からは、ダルムスの町と、海に向かって流れる川が見渡せる。
町の上空を舞う銀色の巨大な鳥──『ホーリィ・スピリット』の姿も。
その周囲に浮かぶ、無数の球体も。
球体の中に閉じ込められた『不死兵』の姿も。
『ホーリィ・スピリット』は、200年前に聖女キュリアが使役していた鳥だ。
王国の歴史書には神に近いもの──亜神、あるいは大精霊と記されている。
『ホーリィ・スピリット』の能力は、防御と回復。
聖女キュリアはその力を活かし、初代王アルカインの魔王討伐を助けたと言われている。
魔王が討伐された後、『ホーリィ・スピリット』はランドフィアの南方にある山に封印された。
時が経ち、その存在は忘れられた。
精霊や竜のように、最初からいなかったことにされた。
「都合が悪いものは見えないふりをする。それが我が国の方針でしたね……」
歴代の国王が問題を無視し続けたことに吐き気がする。
そのためにナタリアの世代が苦労することになったのだから。
ナタリアたちの魔法で『ホーリィ・スピリット』を倒すことはできない。
『ホーリィ・スピリット』は防御に特化している。
あの生き物は、無数の障壁を生み出すことができるのだ。
今、『ホーリィ・スピリット』は戦場の真上に浮かんでいる。
その周囲には、無数の球体がある。あれは物理攻撃と魔法攻撃を防ぐための障壁だ。
『ホーリィ・スピリット』は自分や、神聖国の兵士のまわりに張り巡らせているのだ。
そして王家の『不死兵』のほとんどが、その球体の中に封じ込められている。
ランドフィア王国と神聖国の戦いが始まったのは数時間前のことだ。
ナタリア王女はセオリー通り、最初に『不死兵』を突撃させた。
敵陣に斬り込んだ『不死兵』たちを、神聖国の軍勢はあっさりと避けた。
その姿は『不死兵』を恐れ、逃げ惑っているように見えた。
けれど、違った。
敵軍の後ろには、球体の障壁が隠されていたのだ。
大量の球体障壁はそのまま『不死兵』たちに襲いかかった。
それに触れた『不死兵』たちは、球体の中に閉じ込められた。
脱出することはできなかった。
『不死兵』の剣も、槍も、球体障壁には通じない。
そして『不死兵』を無力化した後で、『ホーリィ・スピリット』が姿を現したのだ。
『不死兵』は今も球体の中で暴れている。
けれど、脱出できる気配はない。
それどころか、徐々に『不死兵』の動きが遅くなっている。
激しく暴れたせいで、魔力を使い果たしたのだろう。
もちろん、すべての『不死兵』が無力化されたわけではない。
球体障壁に閉じ込められたのは50数体……全体の3分の2程度だ。
残りの『不死兵』は後衛に控えている。
だが、前線に投入することはできない。
球体障壁で無力化されることが目に見えているからだ。
それに──
「これ以上『不死兵』を奪われるわけにはいきませんぞ、殿下!」
「王都を守るための戦力を残しておかなければなりません!!」
「『不死兵』をすべて失ってしまったら、初代王アルカインに申し訳が立ちません!」
高官たちは、怯えたように叫んでいる。
彼らは『不死兵』を失うことに怯えているのだろう。
『不死兵』は最強の軍団だ。
その力は200年もの間、ランドフィアの強さを不動のものとしていた。
「ですが……その時代はもう、終わったのでしょう」
魔王は『不死兵』の管理権限を奪い取った。
神聖国の『ホーリィ・スピリット』は『不死兵』を無力化した。
『不死兵』はもはや、無敵の兵士ではない。
その事実を認めて対処すべきだろう。
「敵兵を足止めします! 投槍兵を前に出しなさい!!」
「殿下!? マジックアイテムの槍を使われるのですか!?」
ナタリアの言葉に、高官のひとりが声をあげる。
「防がれるだけです!! これ以上マジックアイテムを失うのは──」
「そのようなことを言っている場合ではない!!」
ナタリアは高官たちをにらみつけた。
「敵軍は目の前に迫っている。このままでは王都まで進軍を許すことになろう! ならば、あの『槍』を使い、少しでも足止めするべきであろう!!」
マジックアイテムの『槍』は、以前ナタリアが、魔王コーヤ・アヤガキに使おうとしたものだ。
『槍』には、高速で飛び、指定した相手を貫く能力がある。
命中しても外れても、手元に戻ってくるという優れものだ。
200年前には魔王に重傷を負わせたという伝説の武器でもある。
手元にある『槍』は3本。
これを駆使すれば、敵軍を止めることができるだろう。
「これより攻撃を開始します。その前に、状況を報告しなさい」
ナタリアは『鏡』に向かって問いかける。
即座に将軍たちから答えが返ってくる。
──神聖国はダルムスの町を要塞化している。
──奴らは住民を強制的に働かせている。そうすることで、町の守りを強化した。
──神聖国の兵数は5000と少し。
──そのすべてが『ホーリィ・スピリット』の加護を受けている。
──兵士たちの前面には防御用の障壁が展開されている。
──その上、敵兵は痛みを感じていない。
──まるで怪しい薬品を撃ち込まれたように、斬っても笑顔で反撃してくる。
──夜になってもその進軍は止まらない。いつ眠っているのかも、わからない。
報告を聞いた高官たちが震え出す。
まさに、絶望的な状況だった。
神聖国の兵士たちは進軍を続けている。
止めるすべはない。
奴らが王都にたどりつくのも時間の問題だろう。
「ダルサール。魔法使いのダルサールはいるか!」
「はい。ナタリア殿下」
呼ばれたダルサールが、ナタリアの側で膝をつく。
ナタリアは腹心の魔法使いに視線を向けて、
「私は、『ホーリィ・スピリット』にあれほどの防御能力と、人を覚醒させる能力があるとは聞いたことがない。貴公はどうか?」
「このダルサールは初代王アルカイン殿下と魔王との戦いの記録をすべて読破しております。『ホーリィ・スピリット』の記録も再読いたしました。ですが──」
「『ホーリィ・スピリット』があれほどの力を発揮した記録はないのだな?」
「おっしゃる通りです」
魔法使いダルサールはうなずく。
「記録には『ホーリィ・スピリット』が、魔王軍と戦う兵士の身体強化と治癒を担当していたとあります。ですが、兵士を眠らずに戦わせる能力や、あれほど大量の球体障壁を作り出す能力はないはずです」
「うむ。それに、魔王との戦いに『ホーリィ・スピリット』は同行しなかったはずだ」
「はい。初代王陛下と聖女が魔王と戦う間、兵士の支援に回っていたと言われています」
「その兵士が、異常な状態になったという記録も……ないはずだ」
ナタリア王女は苦々しい口調でつぶやく。
「だが、現実に神聖国はその力を使っている」
「奴らは『ホーリィ・スピリット』の能力を、強引に引き出しているのかもしれません」
「強引にだと?」
「神聖国は『封印』を書き換えたのだと推測します」
初代王アルカインは『ホーリィ・スピリット』を封印した。
神聖国はその封印を200年かけて解析し、利用した。
ダルサールの予測では『ホーリィ・スピリット』の封印は完全には解けていない。
精神や意思は封印されたままなのだろう。
だから神聖国は『ホーリィ・スピリット』の力を自由に利用できる。
意思のない生物なら、その力を限界まで引き出せるからだ。
「そのような魔法を、神聖国は200年かけて開発したのでしょう」
「我が国は……初代王の封印を利用されたということですか」
笑うしかなかった。
ランドフィアは200年もの間、初代王アルカインの遺産の上で、眠りこけていた。
初代王のマジックアイテムがあれば無敵だ。恐れるものはないのだと。
その結果がこれだ。
「歴代の王の油断が神聖国と魔王の侵攻……いえ、魔王は侵攻してきてはいませんね」
ナタリアは魔王コーヤ・アヤガキの姿を思い出す。
彼ならば『ホーリィ・スピリット』を利用したりしないだろう。
おそらくは……『ホーリィ・スピリット』を解放して自由にさせるはずだ。
それはそれでやっかいだが、神聖国よりははるかにましだ。
(もしも、私が神聖国の捕虜になったらどうなるのでしょうね)
敵兵と同じ運命が待っているのだろうか。
眠らず、傷ついても痛みを感じず、ただ戦い続ける。
ナタリアも、王国の兵士たちも、そのような存在にされるのだろうか。
「ダルサールにたずねます」
「はい。殿下」
「魔王コーヤ・アヤガキは、この機会に侵攻してくると思いますか?」
「殿下はどのようにお考えですか?」
「私に質問を返すのですか?」
「いえ、私は……自分の考えが信じられないのです。自分でも意外なことを考えておりますので」
「そうですか。私も同じ考えです」
ふたりが考えていることは同じだ。
『魔王コーヤ・アヤガキが、神聖国の侵攻に乗じることはない』
──と。
「歴代の王が聞いたらあきれるでしょうね。ランドフィアの王女が、魔王を信じるとは何事か、と」
「歴代の王陛下は、実際の魔王のことを知りませんから」
「そうですね。ランドフィア王家の者で、魔王と相対したのは初代王アルカインと、私と、弟のジュリアンだけですから」
「殿下は得がたい経験をされているかと」
「平穏な方がよかったのですが。父と弟を失う経験など……したくありませんでした」
「ジュリアン殿下は、助かるかもしれませぬ」
ダルサールは頭を振った。
ジュリアンは緒戦で重傷を負った。
飛行用の鎧をまとって、ダルムスの町の防衛戦の指揮を執ったのだ。
そして彼は、空中に展開された障壁に激突して、墜落した。
落ちたあと地上にいた敵兵の攻撃を受け、重傷を負った。
味方に回収されたのは不幸中の幸いだった。
だが、それでも傷は深く、今は王都に移送されている。
聖女カザネがいれば傷を癒やせたかもしれない。
だが、彼女はすでに異世界に追放されている。
彼女が元いた世界に送ったつもりだが、結果はわからない。確認しようがないからだ。
「……仮に聖女カザネがいたとしても、ジュリアンは彼女を頼りはしなかったでしょうね」
ジュリアンも王家の人間だ。国を守る責任感はある。
だから彼は、ランドフィアの情報を流したカザネに『首輪』を着けたのだ。
王家の者としての責任感が、カザネへの愛情を吹き飛ばした。
カザネのために神聖国の侵攻が起こったとなれば、なおさらだろう。
「まもなく、投槍部隊が攻撃を開始します!」
将軍がナタリアに報告する。
神聖国の先鋒は、すでにナタリアの視界に入っている。
『一切の汚れのない純白の鎧をまとった精鋭たち』──というのが神聖国の自称だ。
偽善的な言葉を思い出し、ナタリアは吐き気をおぼえる。
他国の王が病床についたのを機に攻めてくる国の、どこが神聖なのか、と。
「──放て!!」
兵士たちの手からマジックアイテムの『槍』が放たれる。
そして次の瞬間──神聖国の先鋒が、吹き飛んだ。
「「「おおおおおおおおっ!!」」」
ランドフィアの高官たちが歓声を上げる。
神聖国の兵士たちの前には『ホーリィ・スピリット』の障壁がある。
『槍』が通じないことも考えられた。
だから、ナタリアは手前の地面を狙うように命じた。
足の下にまで障壁は張れない。
そんなことをしたら、兵士の足は障壁を引っ掻くばかりで、進めなくなるからだ。
ナタリアはそこを狙ったのだ。
『槍』は敵兵が立っている地面を吹き飛ばした。
その衝撃が敵兵を打ち倒したのだった。
「第二射、用意!!」
即座にナタリアは指示を出す。
『槍』は自動で手元に戻ってくる。
この攻撃を繰り返せば、敵は前進できなくなる。時間を稼げる。
ナタリアと高官たちがそう考えたとき──
『オオオオオオオオオオォ!』
巨大な鳥──『ホーリィ・スピリット』の身体が、震えた。
鳥の周囲に、泡のような球体が浮かび上がる。
無数の──球体障壁だった。
それが空中を漂い、ゆっくりとナタリアたちに向かってくる。
「……第二射を中止! 攻撃を止めなさい!!」
ナタリアの声は、一瞬、遅かった。
投槍兵はすでに『槍』を放っていた。
狙いは敵兵の足下。彼らが踏みしめている地面。
だが、そこにたどりつく前に、『槍』は球体障壁に捕まった。
ふぉん。
やわらかい音とともに、球体障壁が『槍』を飲み込む。
『槍』の勢いに押されたように、球体障壁が長く伸びる。
そして……やがて、元のかたちに戻った。
それだけだった。
マジックアイテムの『槍』は球体障壁に飲み込まれたままだ。
ランドフィアの切り札は、奪われた。
「撤退を」
ナタリアは即座に指示を出す。
「王都まで後退します!! すぐに──」
「あああああああああっ!!」
投槍兵の悲鳴が上がった。
彼らは、押し寄せてきた球体障壁に飲み込まれたのだ。
数百もの球体障壁がランドフィアの本陣へと迫ってくる。
触れたものは問答無用で飲み込まれる。
剣も槍も矢も、魔法さえも通じない。
「逃げろ! 逃げろおおおおっ!!」
「嫌だ。飲み込まれるのは嫌だ!」
「だ、駄目だ。こっちは河だ。陸路を! 王都へ逃げろ!!」
ランドフィアの軍勢が、崩壊していく。
ナタリアは自国の軍の末路を呆然と見つめていた。
ランドフィア王国が圧倒的な力を誇る時代は、終わった。
神聖国が復活させた『ホーリィ・スピリット』という、新たなる力によって。
「……それでいいのですか。『ホーリィ・スピリット』よ」
ナタリアは銀色の鳥に向かって問いかける。
「200年前の戦いでも、あなたはこれほどの力を使ったことはないはず。私には……あなたが苦しんでいるように見えます」
ナタリアの言葉は事実だった。
『ホーリィ・スピリット』は震えながら嘴を打ち鳴らしている。
おそらくは、強制的に力を使わされているのだろう。
「少しでも心が残っているのなら、私たちの元に来なさい! ランドフィアならば節度を守り、あなたの力を使うことができるでしょう」
反応はなかった。
当然だ。『ホーリィ・スピリット』を封印したのは初代王アルカインなのだから。
『ホーリィ・スピリット』が自分を封印した者の子孫に従う理由はない。
「……撤退を。王都で、防衛戦を行います」
ナタリアは力なくつぶやいた。
すでに兵士たちの士気はどん底まで落ちている。勝ち目はないかもしれない。
それでも、戦うしかない。
国と民を守る。それがランドフィア王家の役目なのだから。
そのためにはあらゆる手段を取るのが王家の方針だ。
灰狼を北の地に閉じ込めてきたのもそのためだ。
ここでナタリアが役目から逃げてしまったら、今までしてきたことが無意味になってしまう。
「ダルサールたち魔法兵は、兵の撤退を支援しなさい!」
「は、はい。ナタリア殿下」
「私も、後方で兵士たちの士気を取ります。少しでも多くの兵士が逃げられるように」
「承知いたしました。ですが──」
「どうしましたか?」
「『鏡』をご覧ください。殿下」
言われてナタリアは、地面に置かれた『鏡』のひとつに視線を向ける。
川沿いに配置した偵察兵と繋がっているものだ。
『鏡』の中で偵察兵が叫んでいた。
──高速で近づくもの。
──川をさかのぼっている。
──ランドフィア王家の、船が。
その言葉の意味を、ナタリアが理解しようとしたとき──
どおおおおおおおぉん!!
轟音と共に、戦場の横を流れる川が、あふれた。
突如として発生した波が、兵士たちの足下をぬらしていく。
敵も、味方も、動きを止めていた。
川があふれたことにおどろいたのでは、なかった。
彼らの目の前にあったのは、船だ。
ランドフィア王家の紋章が書かれた船。
それを曳いているのは、水色の鱗を持つ竜──と思ったのは一瞬だけ。
ナタリアの視線の先で、竜はすぐに姿を消してしまう。
「────ナタリア王女殿下! ランドフィアのナタリア王女殿下はいらっしゃるか!?」
「「「いますかー!?」」」
戦場に、声が響いた。
魔王コーヤ・アヤガキの声だった。
精霊たちの魔法で声を広げているのだろう。
魔王の声が、戦場いっぱいに響いている。
(どうして魔王が!? まさか、戦いに介入を!? いや、彼とは不戦協定を結んでいるはず。魔王がそれを破るとは思えませんが……)
「船を返しにきたんだが」
「はぁ!?」
魔王の言葉に、思わずナタリアは変な声をもらしてしまう。
船を? このタイミングで!? 魔王はなにを考えているの!?
「あと、精霊や竜の親戚がいるみたいなので、顔合わせに」
魔王は続ける。
「亜神、あるいは大精霊。そういうものが強制労働させられてるなら、文句をつけるのが精霊王の役目だ。あと、俺は竜王でもあるからな。竜に近いものとは話をする権利があるんだよ」
「……どんな理屈ですか」
「魔王は約束を守る」
その声はナタリアと、王国の兵士たちすべてに届いた。
「船は返すし、不戦協定も守る。精霊王と竜王を継承した者として、一族に近しい者も守る。というわけで、まずは『ホーリィ・スピリット』と話をさせてもらおうか」
王家の船の上で、魔王はそんなことを宣言したのだった。




