第65話「黒熊領沿岸防衛戦(3)」
精霊たちの声は、揺れる船上でもはっきりと聞こえた。
おそらく、風の魔法で増幅しているのだろう。
金蛇侯爵領の兵士たちに動揺が走る。
──こちらの動きは読まれていた。
──黒熊侯爵領には、すでに新たな領主代行がいる。
──その領主代行は、偽の魔王軍を捕らえ、その正体をあばいている。
そして──黒熊侯爵家は、魔王コーヤ=アヤガキを味方につけている。
上空に精霊がいるのがその証拠だ。
海が急に荒れ始めたのも、魔王と精霊の力かもしれない。
魔王も、黒熊領も、すでに金蛇を迎え撃つ準備を整えているのだ。
「どうすればいいのだ……」
選択肢はふたつある。
ひとつは、強引に上陸して黒熊領を攻めること。
もうひとつは、作戦失敗を認めて逃げるか。
「魔法兵は帆に風を送れ!! ここから離脱する!!」
数秒迷って、指揮官のエディオは決断を下した。
状況が変わったのだ。
自分たちが立てた作戦は、もはや通用しない。
ならば、今は立ち去るべきだろう。
「魔力を使い果たしても構わぬ! 全力で風を送るのだ!! 一刻も早く、陸地から離れろ!!」
「「「承知しました!!」」
即座に魔法兵が詠唱をはじめる。
彼らは優秀な魔法使いたちだ。これまでも魔法で風を操り、海を渡ってきた。
今度は逆のことをするだけ。そう思っていたのだが──
「「「船上にいる者たちに告げるです!! 帆柱に登っている人は、いますぐ降りるです!!」」」
不意に、精霊たちの声が響いた。
その直後、精霊たちが巻き起こした風が、マストに登っていた船員を吹き飛ばす。
空中に浮き上がった船員たちは──落下しなかった。
彼らを、精霊たちの風の魔法が包んでいたからだ。
精霊たちは、船員を殺すつもりはないらしい。
船員たちはそのまま甲板に軟着陸。
そしてまた、精霊たちが声をはりあげる。
「「「準備できました──!! 魔王さま────っ!!」」」
その声を聞いた金蛇の兵士たちの顔が、真っ青になる。
彼らが視線を向けたのは、港近くの海。
そこに、海面を歩いてくる者がいた。
黒い髪をした、長身の男性だ。
身に着けているのは黒いローブ。頭には角。
手にしているのは漆黒の剣だ。
おそらくは、あれが魔王剣ベリオールなのだろう。
「────魔王……コーヤ=アヤガキ」
エディオは攻撃指示を出そうとして、止めた。
おそらく、こちらの攻撃は届かない。魔法、弓矢も意味がない。
魔王の前方では、精霊たちが魔法の障壁を張っている。
さらに、魔王の前には10体の兵士がいる。
鎧を着たゴーレム……『不死兵』だ。
『不死兵』も海面を歩き、船に近づいてくる。
陸地を進むように、重々しい歩調で。
「海を歩く『不死兵』だと!? そんなものを……どうすれば」
『不死兵』には矢も魔法も通じない。
奴らが盾になっている以上、魔王には攻撃が届かない。
ならば、今は逃げるのを優先するべき。
そう考えて、指揮官エディオは声を張り上げる。
「急げ!! 後のことは考えなくていい!! 暴風を帆にぶつけて──」
「逃がさない」
声とともに、魔王が剣を抜いた。
魔王剣ベリオールの刃が伸びていく。
数秒で2倍……3倍……やがて、十数倍の長さに。
金蛇の者たちの目に映ったのは、船そのものを両断できるほど伸びた剣だ。
「ひ、ひぃぃぃぃ!!」
絶望の声があがる。
魔王が剣を一振りすれば、船はまっぷたつになる。
人員も物資も、すべて。
「やめろ。やめてくれ。やめろおおおおお────────っ!!」
「えい」
金蛇の兵士たちが絶叫するなか、魔王は無慈悲に──魔王剣を振った。
漆黒の刀身が、兵士たちの頭上を通り過ぎる。
船の前方と中央、後方の──帆柱と帆がある場所を。
「…………あ」
断ち切られた帆柱が倒れる。
破れた帆とともに、海に落ちて行く。
船上の魔法使いたちが暴風を発生させたのは、その直後だった。
魔法使いたちが全魔力を投入した暴風は、帆柱の根元を揺らしただけ。
船はぴくりとも動かない。
当然だ。
船は、推進力を生み出す帆を失っているのだから。
「「「これは警告なのです! さっさと降伏してくださいですーっ!!」」」
そして、精霊たちの声が、船上の兵士たちを打ちのめした。
「…………逃げられない」
オールで漕いで進むこともできるが、あれは補助用だ。
魔王から逃げきるのは不可能だろう。
──泳いで逃げる?
浮かんだ想像に、指揮官エディオは頭を振る。
無理だ。魔王と『不死兵』は水面を歩いているのだ。当然、走ることもできるはず。泳いだところで、追いつかれて斬られるだけだ。
「死ぬ気で攻撃を仕掛ければ……」
そう考えて、指揮官のエディオは頭を抱えた。
魔王に多少の傷つけたところで意味はない。
そんなことをしたところで、魔王を怒らせるだけだ。
剣のひとふりでこちらを皆殺しにできる、魔王を。
おそらく、魔王は無血でこちらを降伏させるつもりなのだろう。
現に魔王は、帆柱と帆を破壊し、推進力を奪っただけ。
こちらを皆殺しにできたのに、しなかった。
だが、降伏を拒否したら……どうなるかわからない。
すでに船は魔王剣の間合いにある。
その上『不死兵』が船上に登ってきたら、エディオたちには抵抗する手段がない。
「……我々にできるのは……ジュリアンさまの傷を減らすことだけ……なのか」
エディオたちは独断で黒熊領に兵を向けた。ジュリアン王子は関係ない。
それで押し通すしかない。
指揮官の命を差し出す必要はあるだろうが……やむを得ない。
覚悟を決めて、指揮官エディオは上空の精霊たちに向かって、叫ぶ。
「……降伏する! 武器を捨てて……魔王どのの指示に従う」
「「「承知しましたですー」」」
「すべてはこのエディオの独断だ。魔王どのには……そのようにお伝えいただきたい」
こうして金蛇の兵士たちは、武装解除の上、拘束されたのだった。
今週は1話だけの更新になります。
なので、次回、第66話は、次の週末の更新を予定しています。




