第43話「ランドフィア王家の出来事(2)」
──王都にて──
ランドフィア王家には文書に明記されていないルール──不文律がある。
それは『王子王女は、戦って王位を勝ち取ってはならない』というものだ。
王家の血を引く者たちにはマジックアイテムを操る力がある。
彼らが相争えば、大きな被害をもたらす。
そのような事態を避けるために、定められたものだった。
そして今、王宮では王女と王子が話し合いのテーブルについている。
王女ナタリアと、その弟である王子ジュリアン。
彼らの側にいるのは、宰相をはじめとする高官たち。
それに、魔法使いのダルサールだった。
「父上の容態は思わしくないのですね……」
はじめに口を開いたのは、第一王女のナタリアだった。
「典医や治癒魔法使いたちはなんと言っているのですか?」
「……今は、なんとも言えないそうです」
答えたのは宰相だった。
王宮には優秀な治癒魔法の使い手がいる。
だが、治癒魔法で治せるのは外傷などだ。病には効果が薄い。
病には医師による薬物治療が行われる。
リーナス王は、身体が弱い。
それでも彼は、日々の執務に疲れながらも、王の役目を果たしていた。
そんな彼にとって、魔王が現れたという事実は、大きな心労となった。
心労を忘れるための深酒も、心身にダメージを与えたのだろう。
リーナス王が倒れたという事実は、貴族や国民には伏せられている。
だが、いつまでも隠し続けることはできない。
事実をいつ公表するか、王が回復しなかった場合の対応など、決めることは山のようにある。
それを話し合うために、王家の者と高官たちが集まっていたのだった。
「もちろん、陛下の治療は続けるつもりでおります」
宰相は言った。
「幸いにも、先日の異世界召喚で『聖女』が現れました。あの者の力を借りるのがよろしいでしょう」
「異世界人の聖女ですね」
ナタリア王女はうなずいた。
「だが、あの者に父上を癒すことができるのですか?」
「可能性はあります。聖女が持つスキルと、高位の治癒魔法使いの技を組み合わせれば……」
「『聖女』は金蛇侯爵家に派遣されたのですね?」
「ナタリア殿下のおっしゃる通りです」
「では、使者を出しましょう。聖女を王都に送り届けるようにと」
「なぜ、姉上が方針を決めるのですか?」
不意に、ナタリアの向かい側の席から、声がした。
ナタリアの異母弟、ジュリアン=ランドフィアが、彼女を見ていた。
「姉上に国を動かす権利があるわけではありません。侯爵に命令をする権利、部下を動かす権利、すべては国王陛下のものです。姉上が部下を、我が物顔で使うのはおかしいのでは?」
「我が物顔とは……私は、父上を救うために動いているのですよ!?」
ナタリアは声を荒げる。
「そのために聖女を呼んでなにが悪いのですか!?」
「金蛇侯爵家は僕の母の実家です。聖女を呼び寄せるなら、僕に頼むべきでは?」
ジュリアンは穏やかな笑みを浮かべて、告げた。
ジュリアン=ランドフィアは16歳。
ナタリア王女の異母弟で、王位継承権の持ち主だ。
リーナス王はこれまでに、ふたりの妻をめとっている。
ひとりはナタリアの母。
彼女は魔法使いダルサールの妹であり、リーナス王の護衛だった。
その縁で王の寵愛を受け、ナタリアを産んだ。
彼女はナタリアを産んだ後に病死。
その2年後に、側室だった金蛇侯爵家の娘が、ジュリアンを産んだ。
これまで、ナタリアとジュリアンは力を合わせて、リーナス王を支えてきた。
魔法使いの血を引くナタリアは、マジックアイテムや魔法にまつわり儀式の管理を。
序列一位の侯爵家の血を引くジュリアンは、貴族たちとの社交や折衝を行ってきた。
これまで、ジュリアンがナタリアに意見することはなかった。
その彼が、冷ややかな目で姉を見ていた。
「僕には、姉上が次の国王になるための既成事実を作ろうとしているように見えます」
ジュリアンは言った。
「姉上は、自分が国を統べる者だと、なし崩しに認めさせようとしているのではないですか?」
「なにを言うのです!? 今はそんな場合ではないでしょう!?」
「父上は次期国王を定めませんでした」
ナタリアの怒りを受け流し、ジュリアンは肩をすくめる。
「姉上の方が年長とはいえ、王位を継ぐと決まっているわけではありません。だから姉上は、功を得ようと焦っているのでは?」
「そんなことはありません! 邪推はやめなさい。ジュリアン!」
「では、このジュリアンが金蛇侯爵家から聖女を呼び寄せるということで、よろしいですね?」
ジュリアンは立ち上がり、優美な動きで一礼する。
「僕が金蛇侯爵家に──母の実家に使者を出します。船を使うのが一番早いでしょう。国王陛下のため、僕と金蛇侯爵家が港を使うことを許して下さいますか? 姉上」
「私とジュリアンは同等です。私の許可など、必要ないでしょう」
「同等だからこそです。僕たちが合意の上で動いていることを、臣下たちに知らせるためにも」
「…………許可します」
「よかった」
ジュリアンは落ち着いた表情で、笑った。
「無断で王都に船を着けて、姉上の配下の魔法使いに攻撃されてはたまりませんからね」
「攻撃など……。ジュリアン、あなたは王家の不文律を忘れたのですか?」
「『王子・王女は、戦って王位を勝ち取ってはならない』ですね。わかっていますよ」
「私たちが争えば国が乱れます。それは他国からつけ込まれる隙を作ることになるのです。まして現在は──」
「北の果てに、王を名乗る者がいる」
ナタリアの言葉を、ジュリアンが引き継いだ。
「精霊王であり、魔王である者が灰狼の地にいるんですよね。すでに『王はこの大陸にただひとり』というルールは破られたというわけですか」
「自称しているだけの者です。僭王と呼ぶべきでしょう」
「姉上は、魔王であり精霊王でもある者と会われたのですね。どのような者でしたか?」
「私の意見を聞いてどうするのですか?」
「魔法使いダルサールの記録は、無味乾燥すぎますからね。姉上の印象を聞きたいのです」
「……油断できぬ相手だと思いました」
「王家の血を引く者だから、ですか?」
「わかりません。あの者が本当に王家の血を引いているのか、確信がないのです。だが、あの者を甘く見るべきではありません。今は……関わらないほうがいいでしょう」
「へぇ。姉上はそう思うのですね」
一瞬、ジュリアンの目が輝いたように見えた。
それに不吉なものを感じ取ったのか、ナタリアはジュリアンをにらみつける。
「ばかなことを考えるものではありませんよ。ジュリアン」
「ばかなことは考えていません」
「今は父上に回復していただくのが最優先です。それにすべての力を尽くすべきなのです。違いますか?」
「姉上のおっしゃる通りです」
ジュリアンはまた、一礼した。
「では、金蛇侯爵家に向けて船を出しましょう。聖女を呼び寄せ、父上を癒してもらうために」
「頼みましたよ。ジュリアン」
その言葉で、会議は終了となった。
ナタリアと魔法使いのダルサールが、大広間を出て行く。
それを見て、ジュリアンは初老の男性に歩み寄る。
灰色の髪を持つ、小柄な男性。宰相のエドガーだった。
「宰相に聞きたいことがあるのだけれど、いいかな」
「申し上げておきますが、私は中立でございます」
宰相エドガーは深々と頭を下げた。
「私は……王族の方々には一丸となり、この危機を乗り切っていただきたいと考えておるのです」
「姉上のことは関係ない。国の制度について、確認したいだけだよ」
「国の制度ですか?」
「そうだよ。宰相は知っているかい。『選王会議』のことを」
「それは──」
ジュリアンの言葉に、宰相の表情が固まる。
それに構わず、ジュリアンは続ける。
「次期国王が決まらないとき、すべての侯爵を集めて会議を行う。ランドフィアの法ではそうなっているんだよね?」
「確かに、初代王陛下が定めた法でございます。ですが──」
「これまで一度も行われたことがない。そうだね?」
「はい。ランドフィアの王位継承は、つつがなく行われてきました」
宰相は厳しい表情で、
「王陛下の代でも、問題なく継承は行われることでしょう。陛下は必ずや回復されます。選王会議など、行われるはずが……」
「わかっているよ。これはただの確認事項だ。それともうひとつ、いいかな?」
「なんでございましょうか」
「選王会議で集められる『すべての侯爵』には、灰狼侯は含まれるのかな?」
「……存じ上げませぬ」
宰相は、返答を避けた。
これ以上の会話を拒むように、ジュリアンから離れる。
「これ以上、その件について話すつもりもありません。今は陛下が病床におられるのです。ジュリアン殿下には、自重をお願いいたします」
そう言って宰相は退出した。
会議室に残されたジュリアンは、苦笑いして、
「誰も彼も保身ばかりだ。これでは北の僭王におくれを取るのも無理はないね」
ジュリアンは知っている。ナタリアが、魔王を名乗る者に敗れたことを。
ナタリアは決して認めないだろうが、あれは敗北だ。
数多のマジックアイテムを操り、初代王アルカインの力を継承する王家が、コーヤ=アヤガキの要求を飲んだのだ。
灰狼を解放するという、国の在り方を変える要求を。
これが敗北でなくてなんだというのだ。
(……僕だったら、魔王とどのような交渉をしただろうか)
魔法使いダルサールの報告書を読んだあとで、ジュリアンはずっと考え続けてきた。
魔王と交渉して、どのように有利な条件を引き出すか。
あるいは……魔王を屈服させるために、どうすればいいかを。
もちろん、それはただの想像だ。
だが……実現すれば、皆がジュリアンの能力を認めるだろう。
もしかしたら、次期国王の地位も得られるかもしれない。
王位など別に欲しくはないが、くれるというなら拒まない。
(僕が王位につく可能性をちらつかせれば、叔父上……金蛇侯爵を動かすこともできるだろうね)
そんな想像をしながら、ジュリアン王子はほくそ笑む。
(面白い時代になりましたね。父上)
ジュリアンは声に出さずに、病床の父に呼びかける。
ランドフィア王家は最強だった。
他国の者も、5大侯爵家も、王家に逆らうことはできなかった。
だから──これまで王家の者は、手柄を上げる機会を得られなかったのだ。
(それではつまらない。民も、王家のありがたみがわからないだろう。ならば──)
まずは、金蛇侯爵家に書状を送ろう。
聖女を呼び寄せるために。そして、ジュリアンの願いを叶えてもらうために。
そうしてジュリアン=ランドフィア王子は、行動を開始したのだった。




