三十二話「従兄妹、奇しくも片思い?」
「あっ、あれエイじゃない?!」
「見間違う余地もなく、エイだな」
人混みにもまれながらも、小柄な体をうまく人と人の間に潜りこませ、くるみが展示の近くまで近寄っていく。そして、祐介は頑張ってそれについていった。というか、くるみががっちり祐介の手を握っているので、逃げることが出来ないというのもある。
人は多いし、観光地であることもあるし、その中でも水族館という場所もあって、周りを三百六十度見まわしてみれば最低でも一組はカップルらしき二人組を見つけることが出来る。だからこそ祐介とくるみの状況もなじんではいるのだが―――
「わざわざ手を繋ぐ必要あるか……?」
「逸れたらどうするの? お兄ちゃんが人混みにもまれたら……最悪死ぬよ?」
「んぐっ……それは事実だから反論が出来ない」
人混みが苦手だというのは祐介が自他ともに認めていることである。
実際、人ごみにもまれると酔いが回ったようにしんどくなってくるし、最悪の場合は意識の半分くらいどこかへ飛ぶ。それのせいで痛い目を見たことだってある。
「―――?」
くるみに少しだけ視線を向けるが、不思議そうに首を傾げられるだけ。
その幼さの残るあどけなさに、祐介は過去を掘り返すのをやめた。
少なからず歪んでいることに目を瞑れば、くるみから向けられる愛情は祐介にとって心地いいものだった。こういうのが家族愛と呼べるのだろう、と自信を持って言える。
ただし、いつからだったか、くるみは歪んでしまった。いや、こういう表現では何か事件があってくるみが被害者のような印象を与えてしまうか。元々くるみは狂っていたのだが、いつからかそれが表面化してきたのだ。そう、祐介は自分の中で結論を出し、一人納得していた。
実を言えば、祐介だってくるみが自分に「お兄ちゃんお兄ちゃん」とすり寄ってくるのは嫌でもないのだ。ただ、ストーカー的な行動に走ったり、自分を大事にしていないかのような言動を繰り返すから諫めているに過ぎない。
「―――? さっきから静かだね、お兄ちゃん」
「そうか? ちょっと人混みえぐいからかも」
「しんどくなったんだったら、休む?」
「いや、まだ大丈夫」
息を大きく吸って、吐いて。呼吸を落ち着けながらも顔色が悪い祐介に、くるみは瞳を小さく揺らして心配そうな表情を浮かべた。
これまでだって、祐介が人混みによって体調を崩したことはある。そのたびに祐介を支えんとしてきたのは誰あろう、くるみだ。
「無理はしなくていいからね? しんどくなったら……」
「くるみ、行けなかったよな」
「え?」
「〝あの時〟……美ら海に行く、って四人約束したのに、急に……」
「あ……そう、だったね」
「四人揃えんのは、俺にも、誰にだって無理だ……けど、折角来たんだから、楽しんだ方が良い。これくらいの人混みならまだいける」
「お兄ちゃん……」
祐介は言い切ってからもう一度大きく息を吐く。歩きながら少しずつ深呼吸を重ね、どうにか表情を繕った。
その様子に、くるみは嬉しそうにしながらも、やはり心配の表情は拭えないままで……とシリアスな雰囲気が流れて―――
「お兄ちゃん……お兄ちゃん、大好きー!!」
「ちょっ、折角呼吸整ったのに、抱き着くな、疲れる!!」
「私と密着して呼吸が荒くなるって?」
「悪意のある切り抜きは規約違反!!」
この兄妹(仮)がシリアスな雰囲気を維持するわけもなかった。
最早、当然ともいえるようなコント風のやり取りに、会話が少し聞こえているらしい周りの客から生ぬるい視線が向けられる。祐介ははぁ、と一息ついて、くるみを引っ張った。
「はよいこ……なんか注目され始めてる」
「いいじゃないの、お兄ちゃん。私とお兄ちゃんのラブラブは皆にとって栄養になるよ!」
「栄養になるのは美男美女の良識あるラブラブなんだよ!! 俺は自分を美男子と言えるほど自信無いわ!」
「私のことは美少女って思ってくれてるんだね……お兄ちゃん、やっぱり好き」
「だから、悪意のある切り抜きは(以下略)!!!」
やはり、コントだった。
祐介のツッコミがそうさせているのか、くるみの無自覚なボケがそうさせているのかは分からないが、完全にコントでしかなかった。
ここまでくると喧嘩をするほど仲が良い、ともいえる二人の様子に、やはり周りからの視線は生ぬるかった。
「っていうか、やっぱりさっきより人多くなってきてへん……多くなってきてないか?」
「時間も時間だから、少しずつ人も多くなると思うよー?」
「う……ちょっときついか……?」
「どこかで休む?」
先程も言ったように、祐介としてはくるみに水族館を少しでも楽しんで欲しい。それが自分とくるみを除いた約束の四人の残り二人の意思でもあると思っている。
しかし、実際に人混みが苦手なのは事実で、それが想像以上に祐介の体にダメージを与えているのもこれまた事実だ。
「お兄ちゃんっ、私……」
もう、十分楽しんだ。そんなことを言わせるのでは、兄ではないが兄失格だ。そう思いながら、祐介は満足に言葉を返すことも出来ずにくるみの言葉を受け止めよう、と―――
「私、全く楽しんでないから!! まだ、全然……!! だから、お兄ちゃんには私を楽しませる義務があります! ここ以外にも沖縄旅行は続くんでしょ? だから、今日のところは一旦休んで?」
「―――分かった、ごめんな」
そんなことを言われて、どうしたらいいというのだ。
断れるわけもない。十分楽しんだ、なんて言われたらそれは嘘だ、と返せたのに、くるみは全てが全て、自分の本音だけで祐介に言葉を投げつけてきたのだ。それでは、なにも言葉を返せないじゃないか。
「任せて、私はお兄ちゃんのこと、一番わかってるから!」
「はは、頼もしい」
いつもの鋭いツッコミも何もない。それが、祐介が本当に人混みが苦手なのだということを示していた。
流石の祐介でも、風邪をひいていたり人混みにもまれたりして体調を崩して居ればツッコミの切れも無くなるというものだ。
「―――ゆーうー、ちゃんねーびらに?」
「あれ、おばぁ?」
「私がお願いしといたの。お兄ちゃん、多分どこかで人混みに酔うと思って」
展示の観覧順路から少しそれたところにある休憩エリア。
そこに、おばぁが三人用の窓際テーブルに陣取って待っていた。くるみによれば、丁度逸れたタイミングで祐介の体調不良を予想し、先に休憩場所を準備してもらっていたらしい。
心配そうに声をかけてくるおばぁに一言二言と言葉を返しつつ、意外に用意周到なくるみに感心する祐介だった。
「あ、あとお兄ちゃん―――はい、これルートビア」
「え? ってああ……ありがとう。よく知ってたな、俺がこれ好きなの」
「まぁ、将来の嫁ですから!! いてっ……まぁ、お兄ちゃん毎回沖縄来るたび飲んでるの見てたから、ね」
しっかりボケていくくるみだが、祐介に小突かれて本当のところを白状させられる。
「まぁ、ありがと。んでごめんな」
「良いから良いから! またこの後もあるし、それだけで満足できなかったらまたいつか、どこか連れてって?」
「そうな……関東と関西ではその『次』がいつになるか分からないからあれだけど……」
「そう、だね……?」
締まりのない言葉を返しながらも、くるみは祐介の隣の席に腰を下ろす。
展示の観覧順路に沿っていけば人は多いが、そこからずれた道を通れば、人ごみを避けて歩いて行ける。もう、ここからは一旦展示を見るのも諦めて人混みを避けるのに徹そう。そう言う意思表示でもあった。
それが祐介にとっては申し訳なくもあったが、同時に少しばかり嬉しくもあって。でも、年下の従兄妹に気を遣わせているのがやはり申し訳なかった。
* 時は少し遡って―――
「―――さてさて、しっかり逸れましたねっ!」
「祐介兄妹(仮)とは逸れ、美穂たちカップル(仮)も見失うとは……」
「どっちも仮じゃないですか。―――まぁ、人ごみかなり凄かったですもんね。しかも観光客なのか全員身長が高すぎて……」
「美穂たちに見つかったら偶然会っただけ、って言い訳できるように祐介らと絶妙に距離開けてたんが仇やったな」
「まぁ、仕方ありませんよ。さっき連絡した通り、尾行は諦めてそれぞれ受付に向かいましょうか」
「仕方あらへんのぉ、折角カップル観察しよか思ったのに」
「申し訳ありませんね、カップルより面白くない私で。まぁ、頑張って議長を楽しませられるよう尽力いたしますよ」
「ふむ、苦しゅうない」
「キャラぶれすぎでしょう―――では、参りましょうか、議長」
「あーいよ」
【くるみ】ね、お兄ちゃんのルートビア一口ちょーだい!
【祐介】え……?いいけど………?はい
【くるみ】やったー!お兄ちゃんと間接キスゥ!お兄ちゃんが人混みに酔ってる間ならワケもわからず差し出すかも作戦成功!はい、もう飲んじゃったー!
【祐介】やめときゃよかった………




