第十九話 「夏祭り、若しくは躊躇」
丘の上で、健太と美穂、そして大輔と里奈は花火の上がるのをまちつつ、焼きそばを食べていた。
「花火の上がり始めは、七時半だそうです」
スマホを取り出し、現在時刻を確認しながら大輔が言う。現在時刻は七時二十五分であった。
花火というのは、どうしても大きな意味を持つ。
それは毎年のように見て、その美しさに慣れたとしても、次また来年見た時にはその美しさと、迫力に圧倒される。
それは、人間が美しさを知ることが出来る生物である限り、避けられない事実だ。そして、感情の起伏を大きくは見せない大輔をもってしても、その美しさの前に平然としていることなどできないのだ。
一つ目―――。
夜空に花が咲く、とは最早陳腐な表現となってしまったか。
薄暗くなってきた程度の夜空。そこに開く花弁の何と明るいことか。まずは赤色、続いて翠と黄色。
丘には、何人もの人がいる。
それこそ、花火を前にしても私語を零す無粋なものも、少なからず。
しかし、それらの雑音が大輔らの耳朶を打つことはなかった。花火が打ちあがる音と、その花弁が開く音に、耳が支配されてしまったかのような錯覚さえ覚える。
二つ目―――。
先程よりも大きな花弁。
大輪の花というのは人を包み込むような包容力を持つ。向日葵のように大きく広がるその花弁は確かに、昼の空の支配者を崇拝する花との対比に相応しかった。無意識に、大輔は花火から視線を逸らし、背後を見る。
そこには、月があった―――。
―――嗚呼、月が綺麗だ
そんなことを口にすれば、聡明な里奈はその意味を邪推してしまうだろうか。いやもう、邪推されるのであれば邪推させておけばいいのではないか、とふと思ってしまう。
そんな考えが浮き上がってきて、恐ろしい考えだな、と大輔は自らを戒める。そのように生半可な考え方では、何があるか分からない。
今日の夏祭りの間、何度か里奈本人に述べた言葉だ。誰が自分たちを見ているか分からない。どんな解釈をするか分からない。ならば、気を付けるべきだ。自分たちの行動に責任を持つべきだ。
「難しいなぁ……」
何も、考えずに世界を謳歌できれば、それが人生のハッピーエンドに繋がるのだろうか。無知と無慮が人生をよくするのか?
そんなことも、考えているだけで疲れていくような気分になっていく。
「大好き、なんて言葉にどれだけの力があるのやら」
「鈴木、なんか言った?」
「いえ、お気になさらず。花火が好きだ、という話です」
図らずラブコメあるあるを実演してしまった、と思いながら大輔はもう一度花火に視線を向ける。
突然、里奈がずいっと顔を大輔に近づけてきた。周りは暗くなってきており、その暗がりから突然里奈の顔が出てきたのだ。
「―――なにか……」
「鈴木、寝てる?」
「なんでですか、寝るわけないでしょう、この景色を前にして」
「あっそう」
何を急に、寝ているのかなど尋ねてきたのか。
まさか、自分が寝ているようにでも見えたのだろうか。花火の広がるこの景色を前にして、そんなことがあるはずもないのに。
何個目だろうか―――。
あぁ、里奈のせいで、忘れてしまった。
*
「綺麗やね―――」
「うん、綺麗」
もう、言葉を挟み込むのさえ不必要な気がしてくる。
花火の美しさの前に、言葉を差し込むことが、無粋であるかのような、そんな心持。花火を見たのは、これが初めてだった。
手持ち花火のような小さな花弁を愛でていたころはあったが、夜空を埋め尽くすかと思うような大輪を前にしてそれを愛でようなどとは、考えられなかった。―――逆だ。自分が、その大輪の花びらに救われているかのような、守られているかのような感覚。
「ああ―――綺麗だ」
自分の言葉が、無粋にも無意識にも、口から零れだしてくる事実に、健太は乾いた笑いを漏らす。
―――すごいな、花火って。
花火が、数発連続して打ち上げられる。
少し短かったような気がするが、近所の公園で行われる花火大会程度ならばこれほどのものか。これが最後の花火だろう。
花火の音が、響く。連続して、重なって。
周りの音は、すべて消えた。
最早、誰の声も聞こえてこない。すぐそこにいる美穂にも、自分の声が聞こえるかは怪しいものだ。
「綺麗、だな……」
「本当に、美しい」
そんな声を漏らしても、誰も反応を返さない。
花火の降る今、ここは自分一人の世界のようだった。
*
花火が終わって、帰路に就くことになった。
花火終了と同時に屋台も少しずつ片づけをはじめ、祭りも終了に近づいていく。残るのは祭りの余韻ばかりだ。
「では、そろそろ帰るとしましょうか」
「そやね~、最終的にあの二人とは合流出来ひんかったなぁ」
「今なら追いつけそうですよ? 最後に会いに行きますか?」
視線の先には健太と美穂がいる。二人も帰路についているようだ。しかし、彼らの周りは人が多く、はぐれてもおかしくないような状況。
そのことを確認したうえで、里奈ははっ、と声を上げる。
「待って、絶対あかん。あれは……手をつなぐぞ」
そんなことを言われ、大輔も健太たちの方に歩み寄ろうとしていた足を止めた。よく見てみると、確かに健太の手が不自然に動いているようにも見える。
今までになく進展のありそうな展開に、大輔と里奈も二人と距離を取らぬように気を付けながら、じっと二人の様子を観察する。
「いけるぞぉ……おっ、ああ……」
「惜しいところまでは行くんですけどねぇ……」
健太と美穂を見ていると、何ともじれったい気分になってくる。
あと少し、というところまでは健太の手も動くのだが、もう少し、というところで手が止まってまた戻っていってしまうのだ。
「ん―――?」
「止めましたね」
ふと、健太の手の動きが止まった。
不可解な現象。最後まで悩み続けるならまだしも、途中でやめるなど、正直いって考えられないことだ。
しかも、その止め方がおかしかった。
普通なら、力なく腕を自分の素へと引き寄せるだろう。それが、普通だ。もしも自分には無理だ、と諦めたのであればそうなるのが普通。であるのに、健太は何かに怯えるようにびくりと腕を震わせ、咄嗟に手を引っ込めた。そう、見えた。
あれは、何だったのか。
*
健太は、確かに美穂と手をつなぐか否か、と悩んでいた。
それは、周りに人が多くなり、このままでははぐれてしまいかねない、と思ったからであり、それ以外の意味は断じてない。
そして、勇気が出ないままに手を出したり引っ込めたりとしていたのだが、ふと健太は、勢いよく手を引っ込めてしまう。
―――誰かに、見られてる?
周りには木々がある。その陰に、人影が見えたような気がした。
まさか、自分たちを見ているのかなど分からない。
その瞳が、自分たちを見ていたとして、だから何なのか。自分たちが見られて、この状況を誤解されて、じゃあ何なのか?
何か、自分に視線を向けていたかもしれない人物を見て、健太は自分が周りから監視されているかのような錯覚を抱く。
ああ、そんなはずはないのに。自信過剰とけなされても反論できないような、考え方だ。だけれど、それがなぜか実感を持って自分を襲うのだ。
もう、怖くなってしまった。
健太は咄嗟に自分の迷う手を引き戻した。
それ以降、健太が美穂と手をつなごうとすることはなく、少しばかり二人の間には距離があった。
*
【いやぁ、惜しかったなぁ……あれは】
【もう少しで手をつなぎそうやったのに、なんかに怯えるみたいに咄嗟に手を引っ込めて……美穂の手に虫でもいたんやろか】
【んなわけないか】
塾の教室で、教壇から塾教師が何やら社会の授業をしている。
そんな中で、話を聞かずにスマホのトーク画面をいじっている生徒が一人。
祐介は塾教師の視線をうまくかいくぐり、里奈とトークを交わしていた。
そして、ふと送られてきたメッセージを見て表情が凍り付く。
―――まさか、邪魔しているのか?
その疑念が、祐介を支配する。
まさか、健太がその存在と正体に気づいたとは思えない。疑念が生まれているかどうか、というところだ。この様子からすれば里奈や大輔も大丈夫そうだ―――が、その存在は確かに健太に影響を与え、彼らの恋路を邪魔していたのだ。
―――いや、一旦落ち着こう
まだ、あいつらのせいとは決まっていない。
疑念が生まれる程度だ。その疑念が既に強まっているだけの話。
まずは、確かめねばならない。そして、もしもの場合は……今日やってしまうのもアリか。
準備は整っている。
すべて、下準備を終わらせた。
今ならできる。
―――夏祭り、未だ余韻くらいは残ってるんかな
祐介は夏祭りに参加していない。
しかし、その余韻に浸っているのかのような気分になってくる。気分が高揚して口角が無意識に上がってくる。
「おい、高橋、何にやにやしてんだ」
そんな先生からの声を聴いて、自分はにやにやしているのか、と初めて祐介は自覚した。
嗚呼、楽しいな。
今度は口角を上げないように意識して、心の中で笑みを浮かべる。
もう、やってしまおう。これほど楽しくなって、今更止めるなんて無理だ。これまで焦らされてきたのだから、そろそろ解放してもいいだろう?




