第十話「組織、若しくは唯の噂」
――――――某日、体育館裏
祐介は「ボス」に呼び出され、体育館裏に来ていた。
祐介の関わっている事についてより先に――――――。
そもそも、「ボス」とは、何の「ボス」なのかについて説明しなければならないだろう。
関西倉北中学校において、〝マウスコム〟の存在を知る者は少ない。
周りとの関係を重要視する思春期の学生たちにとって、噂話とは重要な意味を持つ。
一人一人が、何らかの情報を持っており、それらを噂話という形で周りに広めていく。そして、その噂を聞くことで情報を得て、一つのアドバンテージとしたり、その噂を聞けた、というところから信頼を築いて行ったり――――――。
学生たちにおける噂話は、人間関係の構築においても重要な立ち位置を占めていた。
そんな中で―――価値のあるものを手に入れて、管理しようとする社会の縮図である学校の中で、噂話を管理しようという勢力が現れるのは必然であったともいえる。
噂話という不定形な存在。だからこそ、管理できれば、大きな力になる。
そう考える勢力が現れても、何らおかしくはない。
そうして生まれたのが、〝マウスコム〟であった。
それまで、噂話はその価値が不定形であったが、マウスコムの誕生によって明確な価値を持つようになる。
ライオンの群れにおいて、強い個体が群れのトップに君臨するように、マウスコムという組織の中では、より重要性の高い噂話を持っている者が地位を高めていく。
例えば、○○が下校中菓子食ってた、だとか。
例えば、○○が学校に漫画を持ってきていた、だとか。
例えば、○○は○○が好き、だとか――――――。
恋愛話は年頃の中学生にとって重要な噂の一つだ。
それこそ、学年でも注目されるイケメンやら美少女やらの好きな人などは、特に情報的価値が高まった。
恋愛話の中でも、猶更にそのような情報は価値が高まるが、そうでなくとも価値として十分だった。
だからこそ、マウスコムの存在を知る生徒は、我先に、と情報的価値の高いであろう人の恋愛話を手に入れようと躍起になる。
生徒会本部役員である、大輔や里奈、美緒もそのような噂話の渦中にあった。
しかし、彼らも生徒会本部役員になる程度には人望もあり、それだけ注目を浴びている状況での処世術も身に着けていた。
自分の情報は勿論、自分の持つ他人の情報についても簡単には人に話さない。
自分の情報に対してかけるセキュリティが、彼らについては段違いだった。
だからこそ、元々見た目の良さや学力や運動力などのスペックで注目を受け、情報の価値が高まっていた里奈や美緒だけではなく、その希少性から大輔の情報価値も跳ね上がった。
マウスコムは、彼らの情報を手に入れようと躍起になって、この約一か月の間を情報収集に費やした。
しかし、彼らの情報はほとんど、集まらなかった。
最近になっては彼らの情報は本当に手に入らない、と諦めていく者が殆どだ。
そんな状況―――噂話の領域で敗北を味わった直後―――で、ふとマウスコムの一員が、ある光景を目撃してしまった。
健太と美穂が、下校路を二人連れ沿って歩いている様子を。
実際、彼らの様子は付き合っている、と断定できるほど仲睦まじいものではなかった。しかし、一緒に帰っている時点である程度はスキャンダラスだろうと判断した生徒は、その情報をマウスコムに提供した。
その情報に目を付けたのが、マウスコムの〝ボス〟だった。
その頃、生徒会本部の情報を手に入れられず、マウスコムの情報網は劣化してきているのではないか、と疑う生徒が増えてきていた。
そんな中だからこそ、恋愛話、しかも付き合っているかいないかの境目の二人の情報などは、組織を活気づけるには有効だと考えた。
その情報をさらに詳しく手に入れるために、ボスは祐介を呼び出した。
ずっと前のことだ。祐介は、ボスに当時学年で有名になっていたイケメンの好きな人を噂話として話したことがあった。
その情報が周りに与える影響を見て、ボスはマウスコムの設立を考えるようになった。云わば、祐介はマウスコムの設立に最も深く関わっているのだ。
その頃から、祐介はマウスコムの一員として動いてきた。
誰とも、過度に仲良くしすぎない。
それでいて、ある程度の仲の良さは確立している。
そんな祐介の人間関係だったからこそ、有用な情報を多く集めることが出来た。
そして、そんな祐介は当然のごとく、マウスコムの中で立場を高めていった。
元々ボスの友人であり、マウスコムの中での噂の共有量は圧倒的。だからこそ、誰もがボスとだけ呼ぶ誰かもわからない生徒の正体を、祐介だけが知っていることについても、納得が出来た。
祐介は、健太と美穂の情報を聞かれ、自らの条件を提示・承認されてその情報を、確かに売った。
『条件は―――現生徒会本部に対する情報収集の停止、でどうや』
祐介が、ボスに条件を提示するよう言われて、初めに出したのはこれだった。
『出来るわけないやろ』
そして、ボスの返事も明確だった。
祐介も、その返事が返ってくることは分かっていた。
既に、理解していたからこそ、この条件を提示した。全ては、次に繋げるためだ。
『やったら、庶務限定でええか』
祐介が妥協したかのようにして次の提案を投げかける。
ボスが、返ってきた言葉に首を傾げた。
『何や、限定するなら副会長辺りやと思ったんやけどな……』
『アイツはどうにかするやろ』
心からの言葉だった。そして、この場の交渉を有利に進めるために作り出した言葉でもあった。
『まあ、なんか思い入れがあるんか知らんけど、一人限定やったらギリ出来んこともない』
ボスの言葉に、祐介は胸中で安堵の色を見せた。
妥協的交渉法とも呼ばれる手法だ。ビジネスの場面では多く用いられるこれは、先に難しい条件を否定させ、次に出した少しレベルの下げた条件を認めさせる、というものだった。
ボスも、祐介の思惑の全体を理解していないだけで、大まかな状況は理解していた。しかし、その上で、条件を認めた。
『―――やったら、交渉成立やな』
ボスは握手を望んでいるかのように手を差し出した。しかし、祐介は当たり前のようにその状況を無視して、もうやることは終わった、と体育館裏から出て行った。
* * *
そして、対峙する祐介とボス。
活気に満ち溢れる中学校の中であるのに、そこだけは静謐が満ちていた。
「で、何の用よ、情報は前に提供したばっかやけど」
祐介は、訝し気にボスを睥睨する。
「何や、情報渡したらそれで終わりやと? あの条件認めたんや。俺は長期的な利益を見込んで、お前の条件認めたんやで?」
ボスは、既にこの状況を見越していた。
祐介の情報は、条件と釣り合っているとは思えなかった。
それでも、ボスが条件を飲んだのは祐介の交渉術によるものではない。
その条件を飲んだ、ということを理由にある程度の情報を無条件に手に入れるためだ。
「成程、まんまと嵌められたんか………」
そう呟く祐介の唇は歪んでいる。
そして、これは一つの分岐点ともなった。
祐介の瞳に、焔がゆらりと浮かぶ。
静かに、ただ静謐の内で動くその焔は、それでいて激しい揺らぎを見せた。




