1話 別れの朝
「フランツ。忘れ物はない?」
「うん!」
12月初頭。
とうとう、フランツとお別れの日。
アーテさんの騒動の際に来てくれたロレーヌ聖銀騎士の一人、セルジュ・シルベストル様。
彼がフランツのお父様を知っていたことが縁で、フランツは彼の屋敷に引き取られることになった。
詳しくはよく分からないけど、後見人になってくださるそうだ。
そしてフランツを追い出したという彼の叔父と叔母、それから光の塾とのつながりについても調べてくれるとか……。
「よかったね、フランツ。いい結果になるといいけど……」
「うん! でも今シュタインドルフ家が帰ってきてもおれ何もできないから、しばらく叔父上に預けてあげてもいいかなーって思ってるよ」
「しっかりしてるなあ」
「へへっ、おれには"高潔な魂"が宿ってるからねっ!」
腰に手を当ててエッヘンと胸を張るフランツ。
「フランツは強い子ね……あたしも見習わなきゃ」
「ベル姉ちゃん、帽子とか服買ってくれてありがと! ラーメンおいしかったよ」
「フ、フランツぅ……」
ベルが少し涙目になりながらフランツを抱きしめて、頭を撫でる。
ベルはわたしが学校でいない間もずっとフランツと一緒に共同生活していたから、わたし達以上に別れが辛いのかも……。
「カ……副隊長! も、ジャミルも、ありがとね!」
「ああ」
「元気でな」
フランツが最後だと聞いて、ジャミルも仕事を休んで来てくれた。
「コックさんもかっこいいなーって思ってるんだぁ」
「マジかよ、照れるな」
「うん。それにその鳥の魔法も!」
「鳥はやめときなよ……怖いんだから」
「全くだぜ。ヤベー剣落ちてても拾うなよ」
ジャミルがそう言うとカイルと二人で苦笑いした。
フランツもそれを見てニコニコ笑いながら、今度はわたしとグレンさんの所にやってきた。
「レイチェル姉ちゃん、ありがとね」
「フランツ……」
「姉ちゃんは母上みたいだったなぁ」
「ええ……そんな大げさな」
「優しくてさ、強いんだぁ。姉ちゃんがいると安心できるもん。おれレイチェル姉ちゃんが大好きだよ!」
「フ、フランツ……うう」
そんな風に思ってくれてたなんて泣けてきちゃう……。
続いてフランツはわたしの隣にいるグレンさんにペコリと頭を下げた。
「アニキ、おれをここに置いてくれてありがと! お世話になりました」
「俺は何も世話をしていないが……大したこともしてやれなくて悪かったな。叔父叔母のこととか」
「ううん。おれ、ここにいられなかったらまた光の塾に戻されてたかもしれないし、置いてもらえるだけでよかったよぉ。ここでの生活費とか、アニキが出しててくれたんだよね? おれ、いつか大人になったら返すから――」
「フランツ」
「は、はい」
「そんなことに気を配る必要ない。何も返さなくていい」
「あ……でも」
「フランツ……すまなかった」
「え、アニキ」
「俺はお前の面倒を見てやってるなんて思っていない。それに手伝いをしなくても、あれこれと気を配らなくても、誰もお前を追い出したりはしない。……それをちゃんと言ってやらないといけなかったのに」
(グレンさん……)
彼の台詞を受けて、みんな黙ってしまう。
――ああ、そうだった。
両親を亡くして叔父に家を追い出されて、変な施設に入れられて逃げてきたフランツ。
この子はいつもてきぱきと動いて手伝いをして、何かがあれば「自分のせいじゃないか」なんて言ってしょげていた。
そんな風に気を遣って笑顔を見せて頑張っていたのは……「追い出されるかもしれない」という不安からだったのかもしれない。
今まで全然、思い至らなかった。
グレンさんはしばらく何も喋らなかったけど、やがてフランツの頭をくしゃくしゃと撫で、微笑を浮かべた。
そうするとフランツの目から大粒の涙がこぼれ、次々と流れ落ちた。
「アニキ、……う、うええ……」
「……子供は大人に守られているだけでいい。次は気遣いをしすぎるなよ……元気で」
「うん……うん……! ありがと……グレンさん」
フランツは袖で涙と鼻水を拭いて、しばらくすすり泣いた。
「……大丈夫かい? そろそろ行こうか」
数分後、なんとか気を持ち直したフランツにセルジュ様が声を掛けた。
「はい。ごめんなさい、セルジュさま」
「いいんだ。グレン殿の言う通り、私に気遣いなどしなくていい。これでみんなに別れのあいさつは済んだかな?」
「あ、待ってください……、ルカ姉ちゃん!」
「!」
後ろの方でボーッと立っていたルカの所にフランツが駆け寄っていく。
「フランツ……」
「ルカ姉ちゃんもありがとね」
「わたし、何もしていない」
「ベル姉ちゃんとルカ姉ちゃんがずっと一緒にいてくれて、みんなであったかいごはん食べられて、おれ楽しかったよ。手紙書くからね」
「てがみ」
「うん。新しく植えた花が咲いたら、姉ちゃんも絵を描いておれに送ってね」
「うん……」
「それじゃあ……」
「!」
(わわっ……!)
フランツはひざまずいてからルカの手を取り、手の甲に口づけをした。
ルカは驚きつつも行動の意味がよく分かっていないようでキョトンとしている。
フランツはそんなルカを見上げてニコッと笑い、立ち上がる。
「ルカ、おれは大きい男になるからね! 期待しててよね」
自然にルカを呼び捨てにするフランツ。
え、何? そういうことなの? フランツはルカに特別な気持ちがあったの? いつの間に??
確かにルカが消えちゃった時はフランツが彼女を見つけて、手をつないで帰ってきたけど……。
みんな知ってたのかな? なんて思って見回してみると、みんなわたしと同様にポカンとしていた。
――あ、よかった。わたしだけが取り残されてるんじゃないんだ。
それともフランツの貴公子然とした振る舞いに驚いているのかな?
「みんな、ありがとう! おれ、ここでのこと忘れないよ……さよなら!」
「あ……」
また涙目になりながらもフランツはニッコリ笑顔でこちらに大きく手を降って、セルジュ様と共に馬車に乗り込んだ。
白馬の引く高級な馬車は、ガタゴトと車輪の音を響かせながらあっという間に去っていく。
「……さようなら」
小さい貴公子のフランツとお別れした。
だんだんと姿が小さくなっていく馬車を見て、考えることはみんな様々。
さっきのルカへの振る舞いにびっくりしたのはもちろんだけど、何より……。
――彼がここにいたのは半年ほど。正直言って、あまりに元気に過ごしていたからフランツの内心に気づくことができなかった。グレンさんがああいう風に言って初めて気がついたくらいだ。
小さい彼が胸の中に色々しまいこんで頑張っていたと考えると、せつなくて後悔が残る。
フランツはずっと辛かったかな。泣くのを我慢してたのかな。わたし達、もっと彼に何かできたんじゃないのかな。
そんな事を考えながらわたしは、少し前に立って馬車を見送るグレンさんの後ろ姿をぼんやり眺めていた。
……また、あの遠い目をしているんだろうか。
彼がフランツの心に気づいたのは似たような経験があるからなんだろうか?
『子供は大人に守られているだけでいい』――彼がフランツにかけたあの言葉は、フランツだけに向けられたものなんだろうか――。