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15話 白い部屋

「はぁ……」


 夕方、雨が上がった街をテンション低く歩くわたし。

 好きな人のお宅訪問なんてドキドキワクワク、ときめきのシチュエーション! そんな風に思って胸が踊っていた。だけど……。

 ――決定的な何かがあったわけじゃない。

 だけれど、わたしはお腹の中に石でも入れられたかのようにズンと重苦しい気分だった。

 

 

 ◇

 

 

「「お邪魔しま~す」」

 

 わたしとフランツはグレンさんの後について、彼の部屋へと足を踏み入れた。

 トイレや洗面室、バスルームに挟まれた廊下。

 その先の扉を開けるとキッチンとダイニングとリビング――リビングの一角は少し低い壁で区切られていて、4段くらいの階段を登って行くようになっている。

 ここ以外に部屋はないみたいだから、寝室かな?

 勾配のかかった天井には、はめ殺しの天窓が付いている。

 今は雨が降っているけれど、晴れた日は時間帯によっては明るくて気持ちがよさそう。

 一人暮らししたことないから分からないけど、けっこう広くていい家なんじゃ……?

 

「わあー すごい! アニキの部屋めっちゃキレイだねー!」

「ほんと……わたしの部屋より片付いてる……」

「まあ掃除してるしな」

 

 砦でも朝の6時から掃除をしているというグレンさんは、やっぱり自宅もキレイだ。

 ホコリ一つ落ちていないと言ってもいいくらい。

 カイルなんて砦に泊まりだしてまだ1ヶ月かそこらなのに、恐ろしく散らかっていた。正反対だなぁ……。

 

「……そこのダイニングテーブルで食うか」

「「は~い」」

 

 キッチンのカウンターの壁にくっつけてあるダイニングテーブルに買ってきたパンを置き、椅子を引いて腰掛ける。

 カウンター越しに見えるキッチンは全く新品かのようにピカピカで、使われた形跡はない。

 グレンさんは自分の飲み物を作るためにキッチンへ。

 キッチン、シンクの向かいにある低い棚にマグカップが直置きしてあり、それにココアの粉と牛乳を入れた。

 

「え~。アニキ、冷蔵庫牛乳と水しか入ってないの?」

「こら、開けるなよ……」

 

 マグカップを混ぜながらグレンさんは冷蔵庫を無断で開けたフランツをたしなめる。


(牛乳と水だけの冷蔵庫……)

 

 

 ◇

 

 

「ねーねー、レイチェル姉ちゃんのそれ何? おいしそー」

「これ? これはグラタンパンだよ。半分食べる?」

「えっ! いいのー!」


 キラキラの目でフランツが見つめてくる。眩しい。かわいさがすごい。


「あの、あとで洗いますから取皿もらえますか?」

「ないぞ」

「えっ」

「ん?」

「お皿がありません?」


 まさかの返答にわたしは目を剥く。


「ああ。何もないって言っただろ」

「言いましたけど……じゃあ、ごはんはどうやって食べて……」

「あそこのパンか、あとは食べに行ってる」

「え――……それじゃ、食器はまさかこのマグカップとスプーンだけとか?」

「そうだな」

「ええー……」

 

 お皿がないなんて有り得るの?? と思いつつも、ないなら仕方がない。

 結局パンが入っていた紙袋の上に半分に割ったパンを置いてフランツとグラタンパンをシェアした。

 

 

 ◇

 

 

 30分ほどしてパンを食べ終わったあとも雨は止む気配がなく、天窓に雨が打ちつける音が聞こえている。雨の雫が筋となって窓を伝って流れていく。

 グレンさんはゴミを片付けて、買い置きしたストックのパンを棚にしまい込んでいた。

 手持ち無沙汰になったわたし達は、なんとなく彼の部屋を見て回っていた。

 見て回ると言ってもそこまで広くない。何より――。

 

「アニキの部屋って、ホントになんにもないね~」

「うん……」

 

 確かに彼は最初に「俺の部屋には何もない」とは言っていた。でも、本当に、想定外に何もない。

 

「このテーブルやソファーって、グレンさんのですか?」

「いや、これは最初からついてたやつだな」

「そうですか……」

 

 備え付けの家具。壁に作りつけてある本棚には少し本があるけど、どれも背表紙に番号や記号が書かれたラベルが貼ってある。図書館で借りたものだろう。

 食器はティースプーンとマグカップだけ。冷蔵庫には水と牛乳。料理をしないなら、食材もきっとない。

 物を持たない主義なんだろうか。

 

「あっちは何かな~?」


 フランツが四段くらいステップを登った先の、多分寝室であろうスペースへとパタパタ走っていく。


「あ、あんまり人の部屋入っちゃダメだよー」


 わたしは追いかけることなく口頭でフランツを引き止める。

 好きな人とはいえ、付き合ってもいない男の人の寝床を覗くのはね……。

 

「……ん?」


 リビングのソファの前にローテーブル、その前にある暖炉に目が止まる。

 薪が置いてあるけど、たぶんこれは魔石で火を起こす魔法式の暖炉だろう。

 暖炉の上にはマッチ箱が置いてある。魔石の暖炉が壊れたら、物理的に火を起こして使うらしい……けど。


(グレンさん、これ必要なのかな?)


 わたしはなんとなしにそれを手にとって見てみた。

 

 何の変哲もないマッチ箱。けれど箱はひしゃげている。

 縁には何回も擦り付けた跡があり……中には、折れたマッチがたくさん入っていた。そのいずれも、火が点いた形跡はない。

 

(……!!)


 わたしは即座に箱を閉じた。

 心臓が早鐘を打つ……きっとわたしは今、見てはいけないものを見た。

 彼の名前のことより、もっとずっと触れてはいけないものに触れてしまった――そう直感した。

 元あった場所に戻しておかないと……そう思っていると、手の上のマッチ箱を大きな手が包んだ。

 

「!!」


 グレンさんが、マッチをわたしに触れないようスッと取る。

 その横顔は怒っている様子はなく少し笑っているようにも見えるけど、こちらに目線をやることはない。

 そのままマッチをポケットにしまいこみ、寝室へのステップを上がろうとするフランツの所まで行って声をかける。

 

「――おいフランツ、そっちは寝室だ。土足厳禁だし、みだりに入ってくれるなよ」

「え~、そうなんだ」


 と言いながら膝立ちでステップを登って行こうとするフランツ。


「……話聞いてたか?」

「うん。土足じゃないよ」

「入るなっていうのに」

「見るだけだよぉ」

「見~る~な~」

「うぇ~~」


 脇を持たれたフランツがステップから引きずり出された。

 

「ちぇ~~~っ、つまんないの! ねえねえレイチェル姉ちゃん、アニキのベッドすごかったよ!」

「すごいって?」

「シーツがビシーッとなっててさ、侍従が整えたみたいだった! ホテルみたい!」

「へぇ~」

「ペラペラ喋るなよ。つまみ出すぞ」

「アニキはそんなことしないっておれ知ってるもんねー」

「…………」

「あはは……」


 図星をつかれたらしいグレンさんはため息をつきながら踵を返してキッチンの方まで歩いていく。そして、ポケットに入れていたマッチをゴミ箱に捨てた。


(……捨てちゃった)


 マッチをわたしの手から取った時も今も、そのことについて怒っている様子はない。

 床に落ちていたホコリや紙くずを拾い上げ、ゴミ箱に捨てる――それと同じの、ただの日常の動作だったのかもしれない。

 

 けれどわたしは、今捨てられたあのマッチがどうしても気になってしまう。

 その他にも色んな疑問が浮かんで、心がザワザワして落ち着かない。

 

 

 ◇

 

 

 雨はその後、小一時間降り続けた。

 夕方になる少し前にようやく晴れ間がのぞき、わたし達はグレンさんの家を後にした。


 砦とわたしの家は逆方向だからフランツとは別れ、わたしは家路についている。

 まだ時間があったから解散したあと街を散策してもよかったけど、彼の家でのことを思い出してしまいそういう気にはなれなかった。

 

 ――砦のカイルの部屋は、来てから1ヶ月も経っていないのに脱いだ洋服やお酒の空き瓶、それに本などとにかく散らかっていた。

 ジャミルがいた時も、彼の部屋は整頓されていたけれど何か暇つぶしのための小説本や料理の本、それにアクセサリーなんかが置いてあった。

 二人共そこに住んでいるわけではないけれど、生活感があった。

 

 けれどグレンさんは……砦でなく自分の家なのに、彼の私物と思える物が一切と言っていいくらい見当たらない。

 ホコリ一つない、キレイに掃除された部屋。

 食器も食料もない、冷蔵庫には飲み物だけ。本は、全て借り物。

 見てはいないけれど、まるでホテルのようにシーツが整えられたベッド。


 ――そう、まるであそこはホテルの一室だ。”生活”ではなく、”滞在”しているよう。

 明日……いや今日にでも、身一つで彼がいた痕跡を何一つ残さずに出ていけそうなくらい、あの家には何もなかった。

 

 なんだか泣いてしまいそうだ。

 嫌だな。嫌だ。どうして、何もないの。


 グレンさん……ある日突然、いなくなってしまいそう――。

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