13話 招かれざる客2
箱をしまいに行っているグレンさんを待っていると、入り口のドアが開く音がした。
誰かお客さんだ。なんだか今は逆にありがたい……と思ったのも束の間。
(あっ……!!)
紫の髪の男の人。
だけどさっきの人じゃない、赤い制服を身にまとっている。
あの時の、あの泥棒の魔術学院生だ!
(ど、ど、どうしよう……? でも本を返しにきたのかもしれないし……)
この前魔法で吹き飛ばされたこともあって、普通に怖い。
とりあえず本棚の陰に隠れて様子を伺う。
男子学生はまた魔術書の棚に行き、やっぱり本を手に取ってカバンにしまいこもうとする。
(うわわ……どうしよう!)
『こういう時は呼んでくれ』と言われたのに、グレンさんは裏に引っ込んだまま。テオ館長もいない。
「ど、ドロボー! ドロボーです――!!」
わたしは大声をあげた。
グレンさんにテオ館長、どちらでもいいから誰かの耳に届くように。
(お願い、誰か来て~!)
男子学生はビクッとなって盗もうとしている本とカバンを落とし、こちらを睨みつけてきた。
「なんなんだよお前……」
彼はこちらにズンズンと歩いてくる。ひー怖い! なんで誰も来てくれないの~!
「あの、あの……この前も本盗った、じゃないですか! か、返してください! 図書館なんだから、普通に借りればいいじゃないですか!」
「うるさい! 無能力者が!!」
「ひっ……!」
男子学生はこちらに手をかざしてきた。
また同じ展開ー! ていうかまた無能力者って言った! ひどい!
わたしは慰め程度にカバンを盾がわりに構えて目をつぶった。
……またあの衝撃波がくるかと思ったけど、何も起こらない。
「……?」
恐る恐る目を開ける。
男子学生はなぜか魔法が出せないようで、自分の手のひらや腕に付けている魔器の腕輪などあちこちを見て目を白黒させていた。
「な、なんだ、どうなって……うわっ!? これ……!」
「あ……」
男子学生が足元に気づいて息を呑んだ。
床が何か薄く黒く染まっている。男子学生を中心に、濃い灰色の影が円状に広がっていた。円の中には何か文字のようなものが浮かび上がっている。彼はそのせいで魔法が撃てないようだった。
これ、ジョアンナ先生の授業で習った……影の力で魔法を封じる、たぶん、沈黙っていう魔法!
「くそっ! ……お前がやったのか……ぐげっ!」
男子学生がマヌケな声を上げる。彼の後頭部に、誰かの足がクリーンヒットして……。
「――やかましい」
「グ、グレンさん……!」
グレンさんが彼の頭に上段蹴りを食らわせていた。
無防備な所にまともに攻撃を受けた男子学生はそのまま膝から崩れ落ちた。
頭を抑えてうずくまる男子学生を、グレンさんは腕組みして座った目で見下ろす。
(ひえーっ……!)
「……こいつだな? 本を盗った魔術学院のクソ学生は」
「……は、はい……」
め、めちゃくちゃ怒ってらっしゃる……! クソ学生って、そんな。
しゃがみこんで男子学生の髪の毛を引っ掴みつつ、さらに反対の手は彼のアゴをつかみ、自身の顔を近づけた。
「俺は今、虫の居所が悪い。さっさと盗ったものを返して、彼女に謝れ。言うとおりにするなら解放してやる」
「ぐ、ううう……!」
男子学生は苦しそうに呻く。
『隊長は気が短いんだ、ヤンキーなんだ』とか前言ってたけど、ホントにヤンキーとかチンピラみたいな行い……!
「あと学校に報告するから、名前と階級を言え」
「だ、誰が……カラスと無能力者の馬鹿女なんかに……うがっ!」
髪の毛を掴まれていた男子学生は、頭を床に叩きつけられ変な声を上げる。
「『無能力者』『カラス』……侮蔑の言葉をいっぱい知っているな、魔術学院で習うのか、それは?」
男子学生は尚も反抗的な目つきでグレンさんとわたしを交互に睨む。
「ちくしょう、なんで……しょぼいジジイしかいないはずだったのに――」
「な……ちょっと……!!」
血の気が引く。なんでこの学生さん、火に油を注ぎまくるの?? おかしいよ!
『しょぼいジジイ』という単語を耳にしたグレンさんはますます眼光が鋭くなり、男子学生の髪を強くつかみ直す。
「グ、グレンさ……や、やめて……」
ダメダメ! また頭ゴンってされちゃう! 2つに折って捌かれちゃう! 八つ裂きにされちゃう!!
「ちょっとあなた、この司書の方の、言う通りにしてください!」
「レイチェル?」
「この人はあの、怖いんです! こ、これ以上怒らせたら明日の太陽見れなくなりますよ!?」
思わずわけ分かんない言葉が出ちゃった……! なんかわたし、ヤンキーの手下みたい?
グレンさんは手を止めて目を丸くしている。
でもでもこの学生さん、さっきから全然話が通じないんだもん。わざわざ怒るようなことばっかり言ってくるような……。
「……なんだか今日は、お客さんが多いですねぇ」
「あ、テオ館長!」
緊迫した空気を破ったのは、テオ館長だった。のんびりてくてくとこちらへ歩いてくる。
右手の甲が緑色にぼんやり光っている。
男子学生に沈黙呪文をかけたのは、もしかして館長だろうか。
姿が見えなかったけど、どこから魔法をかけていたんだろう。
館長が右手をサッと男子学生に向けると、盗もうとしていた本が浮いてスイッと館長の手元まで飛んできた。
男子学生の足元には、影が描いた沈黙の円陣が残ったまま。
さらに、館長が環境を調節していると言っていた天窓の日光を遮る薄い影の魔法も、光の魔法の玉も維持されたままだった。
――同時にそんなに魔法が出せるの?
紋章が……というより、館長の魔法のセンスがすごいのかもしれない……。
「申し訳ありません館長。すぐにこいつを――」
「マクロード君。今日はまるで北風のようですね。少し、抑えましょうか」
「…………。すみません」
テオ館長にたしなめられ、グレンさんは男子学生から手を放し立ち上がる。
「さて、さて……君は、魔術学院の学生さんだね」
「え、あ……はい」
さっきのテオ館長の魔法を見たからなのか、男子学生は素直に返答する。
「さっき……彼らに酷い言葉を投げましたね。それは、よくありません。言葉は、呪文です。時に人の心を切り裂きます。軽率に使うものではありませんよ。君の心も穢してしまいます」
「……」
「今日は帰りなさい……先日、本を持っていったというのも君かね」
「……はい」
「本は、どうでしたか? 少しは君のためになりましたか?」
「えっ? あの……はい」
「それなら、その本は君に差し上げます。どうか、有効に使ってください」
「えっ? でも……」
「――虫を捕まえてどうこうするくらいなら、その本の方が良いと思います」
「!!」
男子学生の顔色が変わる。
(……虫?)
「あ……あの、あの……す、すみませんでした!」
そう言うと男子学生は落としたカバンを慌てて拾い上げて両手で抱え、逃げるように去っていった。
◇
「館長、騒がせてしまい申し訳ありません」
「あの、わたしも大声出しちゃって……」
男子学生が去ったあと、わたしとグレンさんは館長にことの経緯を話していた。
テオ館長は上司だからか、グレンさんは普段わたし達と話している時と違い、いつになく堅い口調だ。
「いえいえ。二人が無事で良かったです。それにしても、マクロード君が取り乱すのは珍しいですね。風が吹くのはいいことですが、突風みたいでしたよ」
「色々ありまして、私情を挟んでしまいました。……それに、虫が飛んでいたので、不快で」
「そうですね。あれは慣れないものです。彼もやめてくれればいいんですが」
(……? また虫の話……)
――なんだかよく分からないけど話が通じ合ってるみたい。
紋章持つ者同士の会話かな……?
◇
「あの、これ借りていきます」
「ああ……」
再び平和が訪れた図書館。
気を取り直していつものように本を借りていくことにした。
名前のことやあの学生とのいざこざ。色々あったからかグレンさんは疲れたように見える。
「レイチェル」
「はい?」
本を手渡しながら、グレンさんが声をかけてくる。
「さっきは、バイオレンスな場面見せて悪かった」
「あ、いえ、そんな……」
「俺は今日、虫の居所が悪かった。あの学生相手への行いは良くなかった。冷静じゃなかった」
「はい……そう思います」
「『2つに折って捌く』『八つ裂きにする』『死ねばいい』――俺は普段からそんなようなことを言っていた」
「え? えと、……はい」
「――でも『明日の太陽見れなくしてやる』とか言ったことないよな?」
「ご……ございません」
「言ったことはないが……『言いそう』と思われてる、と」
「そ、そんな、そんな滅相もない……」
わたしは、今日借りようとしている『精霊と使い魔』という本で顔を隠す。
これは失態、失言……! でもでも、申し訳ないけど、言わないとも言い切れない……!
「あの、ごめんなさい……!」
「いや。俺は言動を改める。いい加減な物言いも程々にしておこう……うん」
ため息をつきながら、グレンさんはメガネを外して拭き始めた。
意図せず何か反省させてしまった……申し訳ない。