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第4章------(11)



 恵吾にさんざんからかわれてから、真吾は再び、一人になった。地獄の暗い道をてくてく歩き続け、やがてひとつの分岐点にさしかかる。道しるべの方向を確認し、かれはタロウに声をかけた。


「お前はここまでだ。この先はおいら一人で行く。用が済んで、おいらが呼んだら、この場所まで迎えに来てくれ」


 天使の白馬のタロウは「わかった」と言うように、鼻を鳴らす。本当はタロウはどこまでも真吾について行きたいようなのだったが、この先は地獄の大地の下へもぐってゆくことになる。のしかかる怨念や空気のなかの黒いものがさらに濃くなる。


 無理をさせれば、行けないこともなかったが、この先の空気は善の生き物の天馬にとって毒になる。真吾は愛馬に無理をさせたくなかった。


 タロウは気遣うように真吾を見つめる。真吾は笑って、肩をすくめた。


「おいらは大丈夫だ。お前たちと違って人間だし――それに天使の羽のバリアーがあるからな。さあ、こんなに長く地獄にいては体にさわるだろう。早く、上へお戻り」


 タロウは何か言いたげに真吾を見たが、渋々、納得したように首を振った。少し後ずさり、背中の翼を広げて、上空を一気に駆けのぼる。その姿は黒い空を分断する、一条の光の線のようだった。タロウはまだ若い馬だったが、脚力がある。あっという間に姿が見えなくなる。


「さてと。おいらは奥さんのところへ行くか」


 分岐点を曲がると、あたりの景色がぐにゃっと曲がった。


 このあたりはいくつかの霊界が重なりあっている。その重なりあった霊界をたどりながら、目的地――恨み多き町へたどり着くには、ちょっとしたコツがいる。だが、この道を何度となく行き来している真吾は慣れていた。


 かれは短距離の瞬間移動を何度かして、あっという間に町の入り口へ到着した。スムーズに移動できれば、なんてことない道のりなのだが、ひとつ間違えると、永遠にたどり着けないことになりかねない。


「よかった。今回もちゃんと着けた」


 真吾はほっと息をつくと、目の前にあらわれた町を見た。





 お幸の家は村はずれの一軒家だった。


 村の真ん中にある一本道を抜け、三本の黒い木を通り越して、そのままずっと行くと、粗末な平屋が見えてくる。真吾はその家が見えてくると、我慢しきれなくなったように走り出した。


「お幸!」真吾は叫ぶように言った。


「今、来たぞ。元気か? 久しぶりだな」


 真吾は木戸をガラッと開けると、履物を脱いで、家の中にあがった。家のなかは綺麗に片付けられていた。小さな丸テーブルの上に来客用のお茶の用意がしてある。


「お幸、お幸」


 真吾は妻の姿を探して、家のなかを歩きまわった。すると、どこからか、笑いを含んだ波動が感じられた。お幸の声が真吾の脳に直接、響く。


「そんなに大声ださなくても、聞こえてるわよ」


「お前の姿が見えないぞ。どこにいるんだ。また時計にでもなってるのか?」


 思わず真吾は例の柱時計を見る。お幸は笑いころげた。


「まさか。庭にいるのよ。庭で作った小さな畑に、トマトがなったのよ。あんたに食べさせてあげようと思って」


「庭か! それはいいな!」


 真吾は胸が熱くなるのを感じた。かれは急いで、部屋を突っ切って、庭へ出る。すると前掛けのなかに小さな実を抱えたお幸が振り向いた。


「お帰り。待ってたわよ」


 その妻の笑顔を見ただけで、真吾の膝から力が抜ける。かれは、体の芯からこみあがる幸せを噛みしめた。


「久しぶりだな。また桃の収穫期になったから、やって来たぞ」


「ええ。待ってたわ」


「元気だったか。離れてる間に何か変わったことは?」


「特にないわ。どうしたの、あんた。泣いてるの」


「まさか……違う。違うけど――」


 真吾は手で涙をぬぐった。


 それからお幸から視線をはずし、庭の様子を眺める。お幸が女手ひとつで作ったささやかな菜園があった。いくつかの野菜が植えられていたが、それらはやせ細り、枯れかけていて、お世辞にも良い出来ではなかった。けれども、お幸の言ったとおり、赤や黄色の実がぽつぽつなっている。


「小さいでしょ。あんたの桃に比べれば、色も味も全然なんだけど、でも、この畑ではじめて実をつけたのよ」


 お幸は恥ずかしそうに言う。真吾は裸足のまま庭に駆け下りた。


「お前が作ったトマトか! この地獄の町で作物を育てられるようになったなんて、凄いじゃないか。おいら、嬉しいよ。とても感動している。頑張ったんだな」


「そんなことないわ。今日、たまたま、実をつけたのよ」


「立派だよ、お幸。おいらはお前が誇らしい。お前はおいらの自慢の妻だ」


 真吾は言うと、妻のやせた肩を抱いて、一緒に家の中に戻る。


「さあ。立ち話もなんだから、ゆっくり座って話を聞かせてくれ。この前会った時からこっちのこと、どんな些細なことでもいいから話してくれ。桃も持ってきたよ。それからこれはちょっとした贈り物なんだけど」


 かれは隠しから小さな巾着をとりだした。それをお幸に差しだす。お幸は不思議そうな顔をして巾着を受け取り、中をあける。それから「あ」と声をあげる。


「これって」


「うん。久しぶりに――作ってみた」


「ももしずく……」


 それは、淡紅色のういろう生地に甘酸っぱい餡を包み込んだ、桃の形を模した和菓子だった。生前、真吾が得意としていた生菓子のひとつで、当時、お幸は真吾が作ったそれをとても気に入っていた。


「その。お前が好きだったから……」


 真吾は照れたように頭をかく。お幸は和菓子を大事そうにしまうと、うるんだ目を真吾に向けた。


「真吾さん」


 じんわりと、暖かい空気が真吾とお幸の間に流れた。言葉で伝えなくとも、互いが互いを思いやっていることを分かり合うことができる。そんな初々しい、愛の空気だった。


 それもそのはずだった。


 彼らは新婚まもなく運命を引き裂かれ、それきり長い間、会っていなかったのである。再会した彼らは当時の――生前の、まだ初々しさを残す新婚の雰囲気を残していた。


「さあ、お茶にしよう。お茶を入れてくれ」


 真吾は恥ずかしさを隠すためのように、わざと大声をあげた。お幸もぱっと頬を赤らめ、弾かれたように動きだす。


 真吾は丸テーブルの上に持参した桃を置くと、だらしなく足を崩して座り込んだ。すぐに先ほどの和菓子とトマトを皿にのせて、お幸がやってくる。


「ねえ。あんたは生前、ずっとあの店で和菓子作ってたの?」


「いや。兵隊にされたり、店が焼けたりしたから、ずっとってわけじゃない。戦後、かなり経ってから小さな店を出したけど、全然たいしたもんじゃなかった」


「すごいじゃない。自分の店を持ったなんて」


 お幸が感心したように言う。真吾は「そんなことない」と言ってから、自分の作った”ももしずく”を見つめた。


 実は、かれはアフターワールドに来てから、和菓子を作ったことは一度もなかった。


 かれは和菓子を愛していたが、それはどうしても生前の、最も辛かった記憶――妻が自分を捨てて他の男のもとへ行ってしまったという記憶に結びついてしまっていた。それを思い出したくなくて、かれは霊界では和菓子ではなく、桃を作りはじめた。


(だけど)


 かれはいそいそと働くお幸を眺めながら、思った。


(結局……おいらが桃を作りはじめたのも、本当は――昔、お幸が好きだったももしずくがあったからなのかもしれない。あの頃、おいらはお幸のことを忘れようと必死だったけど、本当は、桃の菓子が好きだったお幸にいつか、これを食べさせることができたらと思っていたのかもしれないなあ)


 今、お幸は以前よりずっと生き生きしている。


 相変わらず、暗い、地獄の町に住んでいるが、家と庭の敷地内なら自由に動きまわれるので、家の中の仕事ができるようになった。ささやかな菜園を作る喜びも知ることができたし、近ごろは縫物などの内職もはじめたようだった。


 そして、それらの仕事によって幾ばくかの報酬を受け取れるようになった。これは、お幸にとって大きな自信になった。また、桃の収穫期になると、必ず、真吾が訪れてくれる。そのこともお幸にとっては安心感となっている。


(いつかまた、お幸と一緒に暮らせる日が来るかもしれない……)


 真吾は真剣に考えた。


 その日は遠いだろう。だが、必ず来る。


 その日のために、かれはこれからも人々のために働いてゆくだろう。


 天使の僕の仕事は大変になるいっぽうで、かれはその身をもって大天使ラファエルの人使いの荒さを知ることになったが、かまわなかった。働けば働くほど、結果として、誰かを喜ばせることができるのだから。


 そうして、ポイントをたくさん貯めることができたら、今度はそれを使って、お幸をもう少し上の霊界に移してやるつもりだった。


(百年……二百年――いや、千年かかったって、かまわない。おいらたちに時間は関係ない。霊界は永遠なんだから。小さな条件を積み重ねて、いつか本当に――)


「真吾さん。お茶がはいったわよ」


 妻が明るい声で言った。





 妻との逢瀬を終えて、真吾がタロウとともに中間霊界に戻ってきた時だった。霊界中に轟くような大音量で、声が鳴り響いた。


「桜田真吾! そこにいるのはわかっています。ラファエル様がお呼びです。お前の持っているなかで一番良い着物に着替えて、すみやかにパラダイスへ行くのです」


「き、菊音さん?」


 真吾はびっくりして言った。空のかなたに光の点のような人影が浮かんでいる。百年経って、菊音はますます強烈な個性を発していた。まばゆくて、最近は真吾でさえ、その姿を直視することが出来ないほどだ。


「あ、あの。桃はお婆さんに渡したはずですから、そちらから受け取ってください」


 桃の配達が遅いことを怒っているのかと思って真吾が叫ぶと、菊音は呆れたような波動を返してきた。


「桃のことではありません。いえ、それも有難く受け取りますけど、内内の告知があるのよ」


「告知?」


「本日。千五百年ぶりに、新しい英傑が内定しました」


「英傑? 内定?」


 わけがわからず真吾が聞き返す。菊音がすっと真吾の前に姿をあらわした。彼女は複雑そうな顔で真吾を見たが、すぐにその表情をひっこめて、微笑した。


「おめでとう。桜田真吾。あなたが次の英傑よ」


「えぇえ?」


 真吾は耳を疑った。


 霊界をおさめる英傑の存在については知識としては知っている。だが、まさか自分がそれに選ばれるとは、この瞬間まで、真吾は考えたこともなかった。


「お……おいらが?」


「そうよ。残念ながら、霊力の最も大きい者が英傑になれるというわけではないみたい。霊力だけで言うなら、わたくしのほうがあなたよりはるかに大きいのにね」


「いや、何かの間違いなのでは? おいらはただの天使の僕で――」


 菊音は面白くなさそうに、眉間に皺を寄せた。


「天馬を与えられた時にもしやと気が付かなかったのですか?」


「だ、だって、あれは……単においらが地獄へ行く回数が多いから、面倒だから、天馬を与えるって、ラファエル様が――」


「普通、そんな理由で尊い天馬を一霊人に与えたりしません」


 菊音はぴしゃりと言った。それから、綺麗な顔をにっこりさせた。


「そういうわけで、あなたはまずパラダイスへ行きなさい。その後はびっしり訓練が入っているので、覚悟するように」


「く、訓練」イヤな予感がして、真吾が後ずさる。


「勿論、あなたも今のままで自分が立派な英傑になれるとは思っていないでしょう? だから内定後、正式な通達が全霊界におりるまでの間、あなたは訓練を受けます。大天使やその補佐官クラスの天使たち、それから及ばずながら、この菊音もあなたの教育係に選ばれました。よろしくお願いしますね、英傑殿」


「えぇぇえええ?」


 真吾の声が轟いた。





     ◇





 その後、アフターワールドに二十六代目の英傑が生まれた。


 名を桜田真吾と言う。


 かれは英傑として四大天使を従えて、全霊人を善に導くための先導者となった。その活躍は目覚ましく、やがて、真吾の人格に影響を受けた何人かの霊人もまた成長し、新たな英傑として迎えられてゆく。


 かくして、アフターワールドは複数の英傑たちに守られた安定期に入ってゆく。









                               【広大無辺なあの世界 脱稿】

ここまでお読みくださいまして有難うございます。

広大無辺なあの世界。

完結しました。


次の連載はこの世界観と一部のキャラたちを使ったお話を考えています。

よろしければまたお付き合いくださいませ(^^)♪


天瀬由美子

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