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第4章------(2)



 真吾は町にたどり着いた。


 そうして、かれが町に足を踏み入れた途端、空気が変わった。


 湿気と臭気をおびた、肌にまつわりつくようだった空気が凍てつき、風が完全に止まった。まるで時そのものが止まってしまったような静けさだった。そこに住む霊人たちの気配はない。けれども、そこは間違いなく”恨み多き町”だった。


「おーい。誰かいませんかあ?」


 真吾はつぶれかけた家々のあいだを歩きながら、声をかけた。この町の家はほとんど傾くか、地面に倒れかけていた。なぜそうなってしまうのか、はじめのうち真吾はわからなかったが、歩きながら、次第にその理由が理解できた。


 地面があり得ないほど緩いのだ。


 家どころか、歩いているだけでも、少しずつ、足が土の中にめりこんでゆくほどだった。幸い、小柄な真吾はそれほど土に沈むことはない。だが、もっと体重のある巨漢だったら、歩けば歩くほど、土のなかにその身を埋めることになりかねない。


 そんなことを考えながら歩いていると、真吾は本当に土の中に埋まりかけている霊人を発見した。


「あ、あんた! 大丈夫か」


 傾いだ家の下敷きになるように、ひとりの霊人が埋まっている。真吾は急いで駆け寄った。霊人は老人だった。苦しいのか、背中を丸めて、岩のように動かない。だが、意識はあるようで、耳をすますと、「ウウウ……」という呻きが聞こえた。


「待ってろ。今、助けてやる」


 言うなり、真吾は腰に力をこめて、老人を引っ張りあげようとする。だが、老人の下半身はびくとも動かない。老人は辛そうに言った。


「無駄だよ、お若いの。おれの体はこの家と同化しちまっている……おれはここから一歩も動けないんだ」


「同化?」


 真吾は耳を疑った。だが、次の瞬間、真吾は口をぽかんと開けた。


「本当だ……」


 信じられなかったが、確かに老人の下半身の一部が家の木材とつながっている。不思議なことが多いアフターワールドだったが、真吾はこれまでこんなことは見たことも聞いたこともなかった。


「そんな――馬鹿な」


「って言ったって、つながっちまったものは仕方ない。わかっただろ? だから引っ張ってもおれは動けないんだ……」


「お爺さん。まさか、あんたこの町に来てからずっと――?」


「そうだ」


 老人は悲しそうに頷く。真吾は老人を見た。


「あんたもリアルで自殺したのか?」


「ああ」と老人。


「もしかして、誰かを……ひどく恨んでいた?」


「ああ、そうかもな」


 老人は渇いた声で答えた。確かに生前は誰かを激しく憎んでいたかもしれなかったが、この地獄の町で暮らし続けるうちに、そんなことはどうでもよくなってしまった、というような声だった。


「そうか。もしかしてこの町の霊人たちは、皆……」


 真吾は戦慄した。


 町に誰もいないように感じられたのは、住民たちが皆、この老人のように土のなかに埋もれたり、家々に縛りつけられて、一歩も動くことができなかったからなのではないかと思ったのだ。


 その直感は正しかった。


 よくよく見ると、家々の下敷きになっている黒い影がいくつもあった。


「まさか――そんな」


 真吾はわなないた。


 地獄には、確かに霊人レベルが低いため、極端に行動の自由が制限される霊人たちがいるという話を聞いたことはある。


 普通なら、自分の霊界の町のなか程度なら自在に行き来できるはずだったが、そうすることができず、家から一歩も出られない霊人たちが地獄にはいるという。


 真吾はその話を聞いた時、なんて気の毒なのだろうと思ったものだが、この町の霊人たちはそれよりもっと酷い状況に置かれている。


(でもこの町の人たちは家の中どころか、家に同化して――一歩も動けないなんて)


 真吾は思った。


 しかもこの状態は永遠に続いてゆくのだ。


(この霊界は――無限の世界なのに。どこまでも際限ない広い広い世界なのに、その広さを知る機会もなく、それどころか、この狭い町の中を歩くことさえ出来ないで、このまま――永遠の時を生きてゆかなければならないのか)


 それは、想像するだけでも、気が狂いそうな現実だった。


 真吾はあらためて、老人を見た。


 この老人はこの町に来てしまうような何かを地上界でしてきたに違いない。それが罪となって、地獄へ落された。勿論、それは自分の行動による報いなのだから、自業自得であるには違いない。けれども、真吾は老人が可哀そうでならなかった。


「お爺さん。何か、食べたいものはあるかい?」


「――りんご」


 老人は力のない声で呟いた。真吾は「わかった」と頷いた。


 念じると、かれは林檎を手のひらに出した。最近、真吾は以前より、上質な食物を出せるようになっている。以前の、凍ったジャガイモなどしか出せなかった頃に比べれば、味も格段に良くなっている。


 真吾は少し色の悪いその林檎を老人に渡した。


「あげるよ。あんまり美味しくないかもしれないけど」


「お……おぉ――」


 老人は信じられないといったように目を見開き、わなないた。それから、林檎にむしゃぶりついた。弱った歯を懸命に林檎につきたてて、その実を味わいはじめた。


「うまい……こんなうまいりんごは生まれてはじめてだ。有難う……有難う」


 老人は震える声で言って、まぶしそうに真吾を見た。


「お若いの。お前さんは地獄の人じゃないね……? どこから来なすった?」


「中間霊界だよ」


「そうか。お偉い人なんだろうね。お前さんから光が出てる。おれには少しまぶしすぎるくらいだ。目が焼けるから、本当にすまないんだが、よそへ行ってくれないか……?」


 真吾は「え」と聞き返す。


 思わず、自分を眺める。腕や手、足などを順番に見たが、そこにあるのはただの薄汚れた体にすぎなかった。だが、老人の目には違って見えるらしい。老人は弱弱しく首を横に振ると、瞼を閉じた。真吾はどうやら本当に自分が老人にとって害になっているらしいことを感じて、慌てて言った。


「ごめんよ。お爺さん。よくわからないけど、すぐ離れるよ。でも、その前に教えてほしいんだ。この町にお幸という名前の女はいないかい。おいらの妻なんだ」


「……お幸――」


 老人の瞼が重そうに開いた。


「知っている。その女は確かにこの町におるよ……」


「どこに? お幸はどこにいるんだ」


 ほとんど叫びだす勢いで真吾が聞く。老人はうっすら笑った。


「ほれ。あんたの後ろ……大きな黒い木が三本あるだろう。その真ん中の木のずうっと向こうに家がある。そこがお幸さんの家だ」


「どうも有難う」


 真吾は叫んだ。





 かれは走った。


 老人の教えてくれた黒い木を通り越して、そこから伸びる一本道をひたすら駆けた。なだらかな丘を越えると、小さな家が見えた。


「お幸っ!」


 かれは叫んだ。


「お幸、お幸っ――おいらだよ、お前の亭主が会いに来たぞッ」


 かれは二本の足で走ることに苛立ったように、瞬間移動した。瞬間移動が苦手な真吾だったが、目的地が見えているぶんには、正確に使うことができる。かれは飛んだ。


 次の瞬間、粗末な家の前に立っていた。


「お幸ーーッ!」


 かれは大声をあげた。


 そうすることでしか今の自分の感情の昂ぶりを現すことができなくなってしまったようだった。





     ◇





 返事はなかった。


 真吾は家の前で立ち尽くしていた。


 しばらく待ってから、かれは気がついた。


 この恨み多き町の霊人たちがどのような姿で存在していたかを。


(そ、そうか。もしかして、お幸も動けない状態なんだ……だから、おいらの声を聞いても、出てこれない)


 真吾は「入るぞ」と大声で宣言してから、ガラッと木戸を開けた。


「おいらがお前のところへ行ってやる。もう少しだけ待っていろ」


 かれは家の中に土足で入った。


 例によって、家は土台から傾いている。内部は薄暗く、狭かった。真吾はあちこちぶつかりながら、土間から部屋にあがった。古びたタンスが斜めになっている。部屋の隅に積まれた布団はかび臭く、長い間、放置されたままのようだった。


「お幸、お幸っ」


 真吾は声を荒げた。


 苦労して、お幸の住む町を突き止め、ようやくここまでたどり着いたのに、もしかしてこの家にはもう住んでいないのかもしれないという思いがよぎる。


(そんな――やっとここまで来たのに……)


 かれは弱気になりそうな気持ちを奮い起こした。


(いや、お幸は必ずこの家のどこかにいるんだ。そうだろう? 動けなくなっているんだろう? 教えてくれ、お前はどこにいるんだ。おいらはお前のところへ行くぞ)


 かれはあたりを見回し、それから、ぎくりとした。


 誰かに見られている。


 その視線は、どこか見覚えのある柱時計のほうからした。



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