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第3章------(15)



 翌日、真吾は地獄の門の資料庫にいた。


 外の窓口で仕事をして、休憩時間になったので、詰め所に戻って休んでいた。冷めた茶をのみながら、それでも手はお幸の居場所を探すために資料をめくっている。仕事が終わった後もかれは遅くまで残って、同じことをしていた。だが、地獄のどこかにいるはずのお幸の消息は依然としてわからなかった。


「これもダメだった」


 かれは紐で綴じられた分厚い帳簿を閉じた。


 もうずいぶん探しているが、地獄に住まう霊人たちの数が多すぎて、とても探しきれない。だが、どれだけ時間がかかっても、やり遂げなければならないと真吾は決意している。かれは肩をまわすと、チェックし終わった帳簿を棚に戻して、新しい帳簿を取り出そうと立ち上がった。


「イテテ……」


 腰に鈍い痛みがはしる。いつもの腰痛だったが、動けなくなるほどの痛みではなかった。かれは腰をさすりながら、自分に憑いているというお幸の怨霊に話しかけるように言った。


「お前を見つけるために頑張ってるんだ。もう少し手加減してくれないか」


 体の不調は感じる日とそうでない日がある。


 生前は腰痛よりも心臓病のほうが深刻だったが、霊界では、心臓の痛みで動けなくなることは滅多にない。痔核の痛みも時折あったが、これも思い出したようにやってくるだけである。だが、腰痛は二日とあけず、やってくる。


「怨霊はおいらの腰についてるのかなあ」


 真吾は腰をさすった。


「おいらに言いたいことがあるなら、せめて何とか言ってくれればいいのに――」


 ぶつぶつ文句を言いながら、新しい帳簿を手に取る。その時だった。


「シンゴ」


 名を呼ばれ、真吾はちょっとビクッとなった。休憩中の同僚たちは、詰め所のなかの休憩室で談笑してるはずだった。資料庫にいるのは真吾ひとりきりで、それで真吾は遠慮なく独り言を言っていたのだが、それを聞かれたのではないかと思い、身を硬直させる。


「えっと――」


 振り返ると、チョコレート色の肌をしたたくましい男が肩をすくめた。先輩の門番のボビーだった。真吾はうかがうように言った。


「もしかしておいらの休憩時間、もう終わっていたか? 悪い。すぐ戻るよ」


「そうじゃない」


 ボビーはにやにやした。


「それに俺は他人の独り言なんか興味ない。お前が仕事のしすぎでおかしくなってしまって、何か口走っていたところで気にしないさ。それよりお前――いつも何してるんだ? 毎日、仕事のあとも残って何かしてるだろう」


「え……いや、まあ」


 突然、核心をつくように聞かれ、真吾は困惑した。


 地獄の門番たちは基本的に他人に干渉しない。日中は与えられた仕事を黙々とこなし、時間が来れば、家に帰る。ボビーもそのひとりで、だから真吾はボビーが真吾のしていることを知っているとは思ってなかった。


「調べものを少し――」


「仕事のことでか? だったら、今することないだろう。休憩中はちゃんと休めよ」


 ボビーは真吾の隣に来て、真吾が抱えている帳簿のラベルを見た。


「なんだ。霊人たちの受付リストじゃないか。こんなもの毎日、熱心に眺めて、どうするつもりなんだ」


 真吾はボビーが単なる好奇心で聞いているのだろうと思ったが、ボビーの波動にはどこか真面目なものがあった。真吾は適当にこの場をごまかしてしまおうかとも思ったが、そうすることをやめた。


「いや、昔の知人を――探してるんだ」


 かれは言った。


「知人?」


 ボビーの黒い目が光る。真吾の真面目さは門番たちの間で知れ渡っている。その真吾が仕事の休憩時間を使ってまで熱心に探している相手が、ただの知人でないことは明らかだと言っている目だった。


「それは、どういう知人なんだ?」


 詰め寄るようにボビーが聞く。一瞬、咎められているのではないかと思った真吾は言い訳のように言った。


「いや――これは……上役にもラファエル様にも許可はもらってることだから――でも、もしかして、私用で霊人の行き先を調べるのはいけないことだったのか?」


「そうじゃない。誰を調べてるんだ。正直に言えよ」


 ボビーが逞しい肩をいからせた。小柄な真吾はそれだけで威圧感を感じてしまう。かれはぼそぼそ答えた。


「……おいらの妻だよ」


「妻! お前、結婚してたのか」


 ボビーは大げさに驚いた。


「本当に? いや、その波動は本当か――驚いたな!」


「おいらが結婚してたのが、そんなに驚くことか」


 真吾は気を悪くして言う。ボビーは慌てたように両手を振った。


「いや、悪い。そうじゃない、あまり意外だったから驚いただけで。でもなあ、お前がなあ。人はわからないものだなあ」


 真吾は生前は六十四歳まで生きたが、霊界での見た目はごく若い少年のようだったし、真面目な真吾は他の者たちのように女性の話で盛り上がったりもしない。それでボビーは真吾が結婚していたとは全く考えてなかったのだろう。


 ボビーはまじまじと真吾を見た。


「いつだ、やっぱり生前だよな」


 興味津々で聞いてくる。真吾は言いにくそうに答えた。


「まあ、そうだよ。でも妻って言っても、別れてるんだ。ずっと会ってない」


「事情があるんだな」


 ボビーはしみじみした口調で言った。かれ自身にも何か思い出すような過去があるのだろう。次に真吾を見たボビーの眼差しには、どこか同情するような波動があった。かれは言った。


「よし。そういうことなら俺も手伝ってやる。一人より、二人で探したほうが早く見つかるだろう? なあ、そうしよう。俺にも手伝わせてくれ」


「え……?」


 唐突な申し出に、真吾は口を開けた。





 その日から、仕事が終わった後、真吾とボビーは一緒にお幸の行方を探すようになった。


 勿論、作業は一人きりの時よりはかどった。はじめ、真吾に教えられながら作業していたボビーもすぐコツを覚えて、分厚い帳簿をめくりはじめる。そうしながら、二人はとりとめのない会話をかわした。


 話題は生前のお互いの家族のことだったり、親しかった友人たちのことだったりした。ボビーは真吾の身の上話を真剣な表情で聞いていた。また、自分自身のことも正直に話してくれた。


 真吾はその会話のなかで、ボビーが真吾に対して、何か罪悪感めいた感情を抱いていることに気が付いた。けれども、真吾からはそのことについて何も聞かなかった。そうしたことは相手が話したくなった時に話すのが一番良いとわかっていたから。


 翌日の夜だった。


「実はな、俺はお前がすごいやつだと思ったんだ……」


 ボビーは帳簿をめくりながら、うちあけた。真吾は帳簿から目をそらさず、ゆっくり言った。


「どういうことだ」


「ハルカのことさ」ボビーは肩をすぼめた。


「俺は彼女を養護施設へ連れて行けと言って、お前に押しつけた。それなのにお前は最終的に彼女を自分で引きとってしまった。しかもわざわざ危険をおかして地獄まで行って、彼女の母親にまで会って。俺にはできないことだと思った」


「そんなこと……」


 真吾は驚いたように言った。


「おいらは仕事をしただけだ。地獄に行ったのは成り行きだったし、引きとったのは――今の横田四丁目があの子にぴったりだと思っただけで。特別なことは何もしてないさ」


 真吾は本気でそう思っていた。


 だいたい、留守がちな真吾のかわりに、はるかが家を掃除してくれるのを真吾のほうが申し訳なく思っているくらいだ。しかも、夜遅く帰宅すると、近所の家から差し入れられた夕食まで用意されている。


「普通、ただの仕事でそこまでするやつはいない」


 ボビーは白い歯を見せて笑った。


「お前はすごいやつだ」


「そんなことない。おいらはただの普通の霊人だよ」


 真吾は答える。ボビーは眉をかるくあげて見せた。


「自分でそう思ってるだけだろう。日本人は謙虚だからな。俺はその謙虚さは嫌いじゃないが、自分を出すときは出したほうがいい。おい、シンゴ。俺はこの話を他の門番たちにするが、かまわないだろうな?」


「どういう意味だ」


 真吾がびっくりして聞く。ボビーはにやっとしてみせた。


「要するに、この資料庫をかたっぱしから見てゆくには、もっと人手が必要だってことだ」





 そんな会話があった数日後、信じられないことが起こった。


 真吾は目を疑った。


 その日の地獄の門の仕事を終えた後、詰め所の資料庫にむさくるしい男たちが何人も集まってきた。一昨日あたりから、ボビーの話を聞いた門番たちが真吾に協力するために集まってきてくれるようになったのだが、その数が一昨日より昨日、昨日より今日といったように、どんどん増えている。


「ちょっと待て。今夜はいったい何人いるんだ……?」


 狭い資料庫が男たちでいっぱいになって、歩く隙間もない。


「ざっと十二人だな」


 佐吉が言った。真吾は驚いた。


「お前までいたのか! どうして。仕事が終わるとお前はすぐ飲みに出かけてしまうのに」


「まあ……俺もお前にはさんざん世話になってるからな。少しくらい手伝ってやろうかと思っただけだ」


 照れたように佐吉が言う。真吾は呆然となりながら、「有難う」と言った。


「おい、シンゴ。奥さんの名前とリアルを生きた時代と死んだ町を教えてくれ!」


 部屋のどこからか声がした。


 真吾がお幸の行方を探しあてることができたのは、それからまもなくのことだった。




                                       (第3章脱稿)



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