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第3章------(5)



「いなくなったじゃ済まされないぞ」


 鋭い叱責の声に真吾はうなだれた。


 養護施設へ行く途中の町で、はるかがいなくなってから、かなりの時が過ぎていた。勿論、真吾たちは町のなかをくまなく探した。だが、はるかの波動はどんなに心をとぎすましても、感じることができなかった。そして仕方なく、地獄の門へ戻ってきて、事の次第を先輩たちに報告したのだった。


「なぜ、そんな町に立ち寄ったんだ!」


「それは――」詰問され、真吾は言いよどむ。かれは握りしめた拳に力をこめた。


「すみません。おいらの判断です。少しだけでも、気分転換させようと思って……」


「つまり、お前の勝手な判断で町に立ち寄ったせいで、あの子供は消えたんだな?」


「はい」


「どう責任をとるつもりだ。あの子供が施設に行くことは先方に連絡済みだ。こっちの不手際で、年若い霊人がひとり行方不明になりましたじゃ、話が通らんぞ。中間霊界で誘拐をするような霊人はあまりいないが、全くいないわけじゃない。中には霊界の法ぎりぎりのところで、犯罪行為を働くやつもいる」


 真吾はうなだれたまま、答えなかった。


 あの町に立ち寄ったことは、佐吉やベアトリーチェ、そして何よりはるか自身の望みであった。真吾は、はるかの願いを叶えてやったつもりだった。だが、それが単なる自己満足であったことを痛感していた。はるかがいなくなったことの責任は、つまり、自分にあるのだ。


「おいらの責任です。もう一度、探してきます」


 かれは言った。地獄の門番は頷いた。


「当然だな。だが、あてはあるのか?」


「……はるかは、多分、地獄に向かったと思います」


「地獄?」


「母親を探すためです」真吾は言った。





 真吾が詰め所から出てくると、ベアトリーチェが真っ青な顔で駆け寄ってきた。


「ごめんなさい。真吾、あたしのせいで――」


「こんなところで待っててくれたのか、有り難う」


 真吾が疲れたように笑うと、ベアトリーチェは目に涙をためて首を横に振った。


「本当にごめんなさい。あたしが、はるかに聞かれるまま霊界のことベラベラ喋っちゃったから……あの子は、これから行く場所でいくら待っても、母親が来ないことを感じとっちゃったと思うの。あの子は頭が良かったから、母親が――地獄に行く霊人だとわかっていたんだわ。それであたしたちから逃げる隙をうかがっていたんだと思うの」


 一気にそう言うと、ベアトリーチェはわっと泣き出した。マルコはそばにいない。ベアトリーチェは自分の失敗を兄にうちあけることが出来なかったようだった。


「いいから」真吾はベアトリーチェの背中をやさしくたたいた。


「何も心配するな。おいらにまかせて」


「でも」


「大丈夫だ。はるかはおいらが連れ戻す」


 ベアトリーチェを慰めるように真吾が言う。


「あの子は地獄に行ったんだ。お母さんを探すためにね。あの町から地獄へ行くためには、最果ての地に行かなくちゃならない。本当なら、この地獄の門から行けば地獄には歩いて行けるけど、はるかはきっとここへは戻ってこないと思う。だから、あの子は川を渡って、地獄へ行く道を選ぶと思うんだ」


「そんな、最果ての地って、グランドリバー? だって……あの川は激流で、おそろしい滝があるじゃない」


 ベアトリーチェは震える声で言った。


 中間霊界最下層に「最果ての地」という霊界がある。そこには絶壁に挟まれた渓谷があり、グランドリバーと呼ばれる激流がある。その巨大な川の流れは、地獄まで流れ落ちる大瀑布となっていることで知られている。


 当然、その地は、いつ地獄の堕天使から攻撃を受けるかわからない。元々の横田四丁目も中間霊界最下層にあったが、その地は四丁目以上に危険な土地だった。


 そのため、天使軍が常駐していて、地獄からの攻撃に備えている。そんな霊界の戦争の最前線でもあった。


「はるかが最果ての地から、地獄へ行く――? まさか。だいたい、あそこは一般の霊人は立ち入り禁止のはず……」


 ベアトリーチェは恐怖に身を震わせて言った。真吾は頷いた。


「そうだ。でも、絶対に不可能なわけじゃない。今までだって、間違ってあの川から地獄へ落ちてしまった霊人たちが何人もいるんだ」


「そうだけど、そんな恐ろしいところ――」


 真吾はベアトリーチェを元気づけるように言う。


「まだ、はるかが川に落ちたと決まったわけじゃない。多分、川へ辿り着いても、流れの恐ろしさに立ち往生してるんじゃないかな。とりあえず、おいらは最果ての地に向かってみるよ。そこに行けば、天使たちに助けてもらえると思うから、お前は心配するな。マルコのところへ戻って、いつものように過ごしていればいいから」


「真吾」ベアトリーチェは涙ぐんだ。「ありがとう。本当に、ごめんなさい」


「いいんだ、お前のせいじゃない」


 真吾は力強く頷いた。そして、くるりととんぼを切って、鮮やかにその身を消した。





「あ――」とベアトリーチェが小さく叫んだ時には、真吾の気配はなくなっていた。かれは行ってしまったのだ。はるかを連れ戻すために。


 ベアトリーチェは少し戸惑った。


 普段、真吾は自分の足を使って移動する。


 それは何かと行動をともにすることが多い、佐吉を気遣ってのことだった。生命ポイントの低い佐吉は自分のテリトリー内であっても、瞬間移動することができない。佐吉がそのことを気にしていることを真吾は知っていて、あえて、自分も日常生活では瞬間移動を使わないのだ。


 今は急を要するので、移動を使ったのだろう。


 もっとも、移動できる距離はそれほど長くないはずだった。それはベアトリーチェもマルコも同じである。だが、ベアトリーチェは真吾が消えた空間を見つめながら、ふと気がついた。


 真吾の消えた空間に、真吾の残した僅かな波動があるのだが、それがこれまでと少し違う。波動の本質の純度が高くなっている気がした。


(真吾……もしかして、前より、力を持ってる?)


 彼女は小首を傾げた。


 霊人のレベルはそう簡単に上がらない。


 毎日、定められた仕事を真面目に行い、善行に励んでも、ポイントとして加算されるのは僅かなものだ。だから、アフターワールドで自分のレベルを上げてゆくには、気が遠くなるような時間がかかる。


 また真吾は以前、佐吉にポイントをわけてやってしまったせいで、ベアトリーチェたちよりレベルが下がってしまったはずだった。


 それが、どうも、今は違うようなのだった。今の真吾は、ベアトリーチェたちと同等、もしくはそれ以上の力を持っている気がした。彼女は慄然とした。


(まさか、この短期間で?)


 霊界の常識で考えれば、あり得ないことだった。


 悪魔の竜に襲われて横田四丁目が失われた頃は、真吾の力は低かったはずだ。けれども、今は明らかにあの頃の真吾と違う。いつから変わったのか、彼女にはわからなかった。


(いつも真吾はぼんやりしているから、あたしとしたことが気づかなかった。あの、四丁目を作ってくれた菊音さんっていう人に比べれば、まだまだだと思うけど、真吾の力は確かに大きくなっている……誰かが、真吾に力を貸している?)


 それが何者であるのか、ベアトリーチェにはわからない。


 けれどもそれは、一霊人にすぎない彼女が窺い知ることのできない、とてつもなく、大いなる意思のようなものである気がした。


 真吾は誰かに守られている。


 その考えは、ベアトリーチェのなかで生まれると、急速に大きくなり、彼女のなかで確信となっていった。


(だって、そもそも、あたしたち程度のレベルじゃ、天使の僕に抜擢されることだって、あり得ない。しかもそれが、四大天使のラファエル様の直轄の僕だなんて――)


 ベアトリーチェはもう一度、真吾の消えた空間に目を向けた。


 その考え深そうな眼差しは彼女の幼い外観とは遠くはなれたものだった。


 霊界には、たまに天によって選ばれる個体があるという。


 その霊人は、善を作り出す英傑となって、やがて四大天使をはじめとする全ての天使たちを従え、創造主のみわざを継いで、アフターワールドを治めてゆく。


 そんな神話のような御伽噺があった。


 もしかしたら、真吾はそれに選ばれたのかもしれない、とベアトリーチェは思った。真吾は善い霊人だ。お人好しすぎて、端から見ると危なっかしいくらいだったが、基本的にとても優しい。真面目で正義感も強い。真吾なら、その御伽噺の英傑たちのひとりに選ばれても不思議はないと思う。


 佐吉あたりが聞いたら、大笑いして、けして真面目にとりあわないだろう。


 だが、真吾の霊人レベルの信じられない成長を目の当たりにしたベアトリーチェにとっては、笑い事ではなかった。


(真吾――あなたはまだ気づいてないみたいだけど。もし……もしも、あなたが本当に英傑になったら、あたしも兄さまもついてゆくわ。――どうか、あなたがはるかを見つけられますように)


 彼女は厳粛な気持ちになって、祈るように思った。





     ◇





 真吾は飛んだ。


 久しぶりの瞬間移動だったので、勘が掴みにくかったが、何とか飛べたはずだった。だが、到着した先の様子を見て、ぎょっとなった。


「えっ――おいら、間違えちゃった?」


 思わず声にだして言ってしまったほど、あたりの様子は一変していた。


 真吾の計画では、瞬間移動で地獄の門から一番近い霊界に出るはずだった。そこから例の雲海の上の近道を通って、最果ての地へ向かうつもりだった。


 だが、あたりは荒涼として何もない。町もないし、霊人の姿も全くない、荒れた道すらない、まるで地獄のような岩と土だけの不毛の大地がどこまでも続いている。


「ここは――どこだ」


 かれは呆然と呟いた。



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