第3章------(3)
そんなある日だった。真吾がいつものように地獄の門に立っていると、
「母とはぐれてしまいました。お母さんを探してください」
おかっぱの、少し大人びた口調の女の子が言った。真吾は突然の言葉に「え」と聞き返す。地獄の門で人探しを依頼されることは稀有である。と言うか、そもそも門はそうした依頼を受ける場所ではない。女の子は当惑したように真吾を見た。
「だから、母を――」
「いや、それはわかったけど、お譲ちゃん。ここは地獄の門で、君たちがこれから住む霊界を案内するところなんだよ。人探しはしないんだ」
「うそ」
女の子は叫ぶように言った。真吾は困って、頭をかく。
「悪いけど、嘘じゃないんだ」
「だってここに来れば教えてくれるって……」
女の子の目にたちまち涙がもりあがる。誰に聞いたのかわからなかったが、女の子はここに来れば母の行方がわかると信じていたらしい。それを否定されて、こらえてきた不安と緊張の糸が切れたように、大声で泣きだした。
「あ。えっ――その」
真吾はおろおろした。何事かと、周囲の霊人たちが真吾と女の子を見比べる。真吾は慌てて窓口から飛び出して、女の子の手をとった。
「と、とりあえず、こっちにおいで」
「あーん。あーん」
女の子はマルコの妹のベアトリーチェと同じくらいの年頃に見える。ただし、ベアトリーチェは見た目は十歳前後でも、生前は七十一歳まで生きた。だから幼い外見をしていても、実は結構、老獪さをそなえている。
一方、目の前の女の子は正真正銘の幼い霊人のようだった。真吾は困りはてながら女の子を詰め所へ連れて行った。佐吉や先輩の門番たちに相談しようと思ったのである。
「あー。シンゴ。あの子の親はとっくに届出済みで、地獄のある霊界でもう暮らしはじめてるようなんだ。で、子供のことは母親の書類に記載がない。と言うことは、あの子は養護施設へ行くべきだな」
しばらく後、門番のひとりが真吾を詰め所の隅に呼んで、こう言った。真吾は驚いて、相手を見る。チョコレート色の肌をした逞しい男は肩をすくめた。
「可哀相だが、仕方ないさ。地獄じゃ、自分が第一だ。親が子供を捨てることだって珍しくない。普通じゃ信じられないが、それが地獄さ」
「でも、ボビー……」
真吾はうろたえたように言う。
おかっぱの女の子は、今、真吾が呼び寄せたベアトリーチェと一緒にクッキーを食べている。目はまだ赤かったが、涙はようやく渇いたようだった。
ベアトリーチェを呼んだのは、童女の相手は同じ童女――と言うか、女性のほうがうまくやれるだろうという真吾の判断からだった。
実際、この地獄の詰め所はむさくるしい男ばかりで、彼らは本気で泣いてる女の子の慰めかたなどわからない。女の子のほうも大人の男ばかりに囲まれて、さらに激しく泣いた。
おそらく、女の子が真吾の窓口に来たのは、真吾が門番たちのなかで見た目が一番、若かったからなのだろう。はじめ、女の子は真吾の手を握って、離さなかった。
「すまない。悪いけど、ベアトリーチェ。こっちに来てもらえないか」
真吾が頼むと、兄のマルコと一緒に横田四丁目の町づくりをしていたベアトリーチェは「いいよー」と快諾してくれた。
「なるべく若く見える格好で来てくれ。相手は本物の女の子なんだ」
「どういう意味ですか。女性に対して、失礼じゃありませんか?」
ベアトリーチェは兄に似た口調で怒ったが、すぐ事情を察したようだった。そして、普段以上にリボンとフリルとレースをあしらったワンピースを着て、詰め所にやって来た。だが、来た途端、彼女は呆れた声をあげた。
「なんて汚い場所なの! 誰も掃除する人がいないの?」
明るい茶色の巻き毛の美少女が、目をくりくりさせながら足を踏み鳴らした。真吾と佐吉は目線をかわした。
「おい……今はそこじゃないだろ」
佐吉が咎めるように言う。ベアトリーチェは佐吉を睨んだ。
「こんな不潔な場所でよく息をしてられますね」
「だって、なあ」
事実、掃除はしていない。
後から後から霊人たちが押し寄せてくる地獄の門は忙しすぎて、掃除などする余裕はなかった。だから、書類や帳簿は散らかりっぱなしだし、埃や汚れも放置されたままだった。
男ばかりの門番たちはそれで不都合は感じなかったが、ベアトリーチェは違ったらしい。彼女はキッと男たちを睨みつけてから、真吾の後ろから女の子が見ていることに気がついて、あわてて笑顔を作った。
たちまち、天使のような美少女になる。ベアトリーチェは「まあ」と叫んで、女の子に駆けよった。
「大丈夫? 怖かったね。こんなところにひとりで来て――もう、大丈夫だよ。あたしはあなたの味方だよ?」
真吾はベアトリーチェの変わり身の早さに感心しながら、女の子をまかせることにした。女の子のほうも、自分と同じくらいの年頃(に見える)の少女にやさしい言葉をかけられて安心したのか、真吾の手を離した。そうして、彼女は少しずつ身の上を話しはじめた。
それによると、女の子の名前は、井上はるかと言った。
享年十歳。
小学四年生の夏休みに両親と祖父母の家に帰郷したのだが、その帰途で交通事故に遭い、親子ともに死亡してしまった。仕事の都合で数日前に帰宅した父親は、事故に遭わずに済んだ。今も地上界で生きている。
はるかは自分が死んだことを理解していた。
母親はなかなかそれが理解できず、ずっと事故現場に居続けようとしたらしい。それを霊界の道案内役の霊人に説得されて、ようやくアフターワールドにのぼって来た。そして霊界の初期ガイダンスを受けて、自分たちの行くべき霊界を探す旅に出たのだが、その途中で母親とはぐれてしまったらしい。
ボビーはベアトリーチェと一緒にクッキーを食べているはるかを眺めながら、真吾に告げた。
「母親は子供をわざと置き去りにしたんだ。このアフターワールドで家族が一緒にいないというのはそういうことだ」
真吾は唇を噛んだ。
「でも、あの子は母親の所に行きたがっている」
「そうだな」ボビーは頷いて、帳簿の一ページを開いて見せた。
「ここに母親はいる。居所はすぐわかった。比較的新しい霊人で、場所の特定も簡単だったからね」
真吾はそのページに書かれている霊界の住所を見る。そこは地獄のなかでも下のほうの霊界だった。確かに、そういう霊界を自らの〈永遠の地〉として選ぶ親なら、自分の子供を捨てることもあるのかもしれないと真吾は思う。
「あの子を連れて行ったところで、母親はあの子を引き取るつもりなんてないぞ。子供を置き去りにしたのは、母親が本心から、子供と一緒に暮らしたくなかったからだ。霊界ではそういう気持ちはすぐ表に出る。一緒にいたら、やがてあの子も気づく。だからまだ、あの子がそれに気づいてないのが救いだな」
ボビーの言うことは正しかった。釈然としない気持ちはあるが、真吾にもそれは理解できる。ボビーは真吾の背中を叩いた。
「悪いことは言わない。このまま何も知らせないで、養護施設へ連れて行ったほうがいい。そのほうがあの子にとって幸せだ」
「あんたは、あの子を騙せと言うのかい」
真吾はボビーを見る。ボビーの黒い目が仕方なさそうに真吾を見つめ返してきた。
「確実に傷つくとわかっているのに傷つかせるのは良いことなのか? 時には黙っていることが優しさってこともある」
「それは――そうだけど」真吾は、ぐっと押し黙る。
「じゃあ、あの子のことはお前にまかせるからな、シンゴ。お前とサキチで、ハルカを養護施設へ連れてゆくんだ。そこに行けば、母親が迎えに来てくれるとか言ってな。うまくやれよ」
「え。おいらが?」
驚いて真吾が聞き返すと、ボビーは当然のように頷いた。
「この地獄の門に立ってる門番が何人いると思っているんだ。その中から、ハルカは自分の意思でわざわざお前を選んで、お前の窓口に並んだんだ。あの幼い子が、大人たちに混ざって、心細いのを我慢して、順番を待っていたんだぞ? あの子はお前の担当だ。最後まで責任を持て」
何となく、面倒ごとを押しつけられたような気がしたが、真吾は気にしないことにした。こうなってしまった以上、誰かがその役目を引き受けなければならないのは、明らかだったのだから。
◇
「はるか。話がある」
真吾は咳払いして、切り出した。ベアトリーチェと話をしていたはるかが緊張した面持ちになって、真吾を見る。
「今から、出発しよう」
真吾は言った。はるかがパッと明るい顔になる。
「お母さんのいる場所がわかったんですか」
「うん。それがね」真吾は言った。自分が嘘をつこうとしていることを相手に悟らせないように細心の注意をはらいながら、ゆっくり続ける。
「実は、お母さんとはすぐは会えない。帳簿で調べたんだけど、見つからなかった。この広い霊界で、たった一人を探すのはとても大変なんだ。それはわかるだろう?」
「え――はい……」
「だから、お母さんを直接、探しに行くより、良い方法を思いついたんだ。おいらは、これからはるかをある場所に連れてゆく。その場所には、はるかみたいに親とはぐれてしまった子供たちが大勢いる。皆、そこで生活しながら、親が迎えに来てくれるのを待ってるんだ。だからそこにいれば、お母さんは必ず迎えに来てくれる」
「本当……ですか?」消え入りそうな声ではるかが聞いてくる。真吾は良心がうずくのを感じながら「そうだよ」と答えた。




