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第3章------(2)



 一方、新しい横田四丁目では順調に町づくりが行われていた。


 とは言え、真吾が四丁目へ行くことができるのは、一日のうちで、ほんの僅かな時間しかない。


 なぜなら、かれはほとんどの時間、地獄の門に立っている。その仕事が終わると、自分のための調べ物をしなければならない。そうして、食べること、眠ることを差し引いた残った時間で横田四丁目にやって来るのである。


 だから真吾が四丁目に来ると、マルコがすかさず現われて、真吾の僅かな時間を出来るかぎり無駄にしないようにと、町づくりの進捗状況を素早く教えてくれるのである。


「今日は嬉しい知らせがありますよ。加藤さん一家が戻ってきてくれました」


 いつものように真吾を迎えたマルコが嬉しそうに言った。


「へえ。加藤さんが?」


 真吾は驚いて聞き返す。マルコは頷いた。


「ほら、あそこ」


 マルコが思念を向けると、マルコと真吾の目前に中年の夫婦と子供たちの映像がぼんやり浮かび上がる。彼らは古い木材を集めて、小さな家を作っているようだった。その木材の傍らに、「せんべいのかとう」の看板が立てかけられている。真吾は目を細めた。


「やあ。加藤さん夫婦はまたせんべい屋を開いてくれるんだな」


「そうですよ。前の四丁目がなくなって、地獄に行ってたらしいんですが、運よく中間霊界に戻ってこれたそうです。それまで積み上げた条件を全部はたいてしまったそうですが。また、せんべいが焼けると、ご主人がはりきってました」


 真吾はごくりと咽喉を鳴らした。加藤夫妻の焼いた、醤油の風味豊かなせんべいの味が口のなかいっぱいに広がってくる気がした。すると、マルコの思念のなかの加藤夫妻が気がついたように会釈してきた。


「あ、これはどうも、桜田さん」


「このたびは本当に有り難うございました。私どもにまで声をかけてくれて……」


 女が丁寧にお辞儀をする。真吾も頭を下げた。


「こっちこそ、戻ってきてくれて、嬉しいです。どうも有り難う。おいら、町を復活させることだけ考えていたけど、皆さんが戻ってきてくれなかったら、どうしようかと思ってました」


 真吾はあくまで謙虚だった。


 けして、新しい横田四丁目を作り出したのは自分のはたらきによるものだとは考えない。確かに真吾は四丁目の復活を強く願ったが、実際にその外枠を作ってくれたのは菊音であり、そのチャンスを与えてくれたのは大天使ラファエルであるということを知っている。


 夫婦は顔を見合わせて、にっこりした。


「また、お礼に伺わせてもらいます。桜田さんの家の建築や畑のほうも手伝わせてもらいますんで」


 マルコの思念の映像が消えた。マルコは土道を歩く足を速めながら説明した。


「町の大通りにも少しずつ人が戻ってきてますよ。たまたまこのあたりを通りかかった新参の霊人たちも何人か住み始めてますし。あなたの言うとおり、この町に来る霊人は無条件に受け入れています」


「うん。それでいいよ」


 真吾はにこにこした。町のあちこちから、家々を建てる木材のにおいがし、釘を叩く金槌の音が聞こえてくる。どの建物もようやく基礎が出来上がったくらいで、町と呼ぶには寂しすぎる風景だったが、誰もが、これから新しい町を作ってゆくのだという熱気に満ちていた。


「ああ、風が気持ちいいな」


 真吾は呟くように言った。


 この新しい横田四丁目は清々しい。以前の、中間霊界最下層に位置していた四丁目より、実際、かなり居心地が良いのだ。そんな霊界をたいした働きもしていない自分たちに与えられるとは、かれは今でも信じられなかった。


「なんだか……信じられないよ。こんな霊界が与えられるなんて」


 かれは自分の思いをそのまま口にした。


 地獄からの急襲を受け、目の前で大地が裂け、悪魔の竜に襲われたことが遠い過去のようだった。大勢の仲間たちが竜に連れ去られ、かろうじてその場に残った者たちもほとんどが地獄行きになってしまった。


 その横田四丁目を新しく作りなおすことが出来て、散り散りになってしまった町の人々が少しずつ、戻ってきてくれている。そのことは何よりも真吾を勇気づけた。


「真吾……」


 マルコも感慨深そうに町を見渡した。


「今、四丁目がここにあるのは、あなたのおかげですよ。あなたがあの時、四丁目を作りなおそうと決意しなかったら、この結果はなかった」


「そんなことない。おいらは何もしていない」


 真吾は言った。マルコは小さく笑った。


「そう思っていても、皆は真吾のおかげだと知ってます。勿論、僕もね」


「よせよ。おいらが調子に乗ってしまうだろう。本当に何もしてないのに。それに、まだあの頃の四丁目を本当の意味で取り戻せたわけじゃない。今も地獄にいる仲間が多いんだ」


「まあ、そうですね」


 マルコは頷いた。


 そう。かつての横田四丁目の全ての住人が新しい町に戻ってきているわけではない。戻ってこれたのは、ごく一部の霊人たちだけだった。


 そもそも、地獄に落とされて、再び、中間霊界に戻ることは不可能ではないが、非常に難しい。真吾は、いつかレベルが上がって、自分自身の力で霊界をひとつ作れるほどの霊力を持つようになれば、その力を使って仲間たちを呼び戻すつもりだったが、今の真吾では出来ないことだった。


 だが、今回、大天使ラファエルにより、特別な恩赦があった。


 それで先ほどの加藤一家のように、今まで比較的良心的に生きてきた、積み重ねてきた条件があった者たちは中間霊界に戻ることが出来た。けれども、そうでなかった者たちは、引き続き、地獄で暮らし続けなければならない。


「それに……」マルコは少し言いづらそうに言った。


「前の四丁目より、今の四丁目の位置がかなり高い場所になってしまったから、それで戻って来たくても、戻ってこれない霊人たちもいるみたいです。僕は今の霊界が気持ちいいけど、その、中間霊界最下層でしか生きられない霊人もいるから――」


「ああ」


 それは真吾も薄々、気がついていたことだった。四丁目の位置が最下層から中間層にあがってしまったため、それに適応できない霊人がいるのだ。真吾やマルコは問題なかったが、もっと霊人レベルの低い者たち――例えば、佐吉などは、はじめは新しい霊界にはしゃいでいたけれども、どうもこの四丁目がしっくりこないようなのだった。


「でもそれは仕方のないことだと思います。本人たちの努力でレベルをあげて、この町に順応して暮らせるようになればそれでいいし、そうでなければ、他の霊界に行ってもらうしかないでしょう」


 マルコが佐吉のことを念頭に置きながら言っているのが、真吾に伝わってきた。真吾は苦い顔をした。


「佐吉は――きっと大丈夫だ。あいつは仕事をよくさぼるが、今はおいらと一緒に門番の仕事をしている。文句を言いながら、けっこう真面目に働いてるよ。それがきっと善の条件になるはずだ」


「だと良いんですけどね」


 マルコは言った。マルコは佐吉がこの霊界に順応できるようになるとは、あまり考えていないようだった。真吾は聞いた。


「与作は? やっぱり戻っていない……よな?」


 与作と聞いて、マルコは微妙な顔をした。真吾を兄のように慕っていた、夏みかん畑を作っていた与作のことは誰もが知っている。その与作が地獄で暮らしていることも。


「戻っていません」


 マルコの答えは想像通りだった。


「と言うか、戻りたくても戻れないと思います」


「そうか」としか、真吾は言えなかった。


 それでは、与作は今でも地獄の「岩の町」の奥底で暮らしているのだろう。その苦しみを思うと、真吾は自分たちだけこうして安穏としていることが、申し訳なく感じられた。


「マルコ。悪いけど、与作の畑の分の区画も作っておいてやってくれないか。いつ戻ってくるかはわからないけど、与作だって、千年、二千年経てば、条件を積んで、戻ってこれるかもしれない」


「……真吾がそう言うなら、そうしますけど」マルコは逆らわなかった。


 真吾は嘆息した。そうして、心に刻みつけるように思う。


(そうか。全員が町に戻るためには、もっとやらなくちゃいけないことがあったんだな……おいらひとりの力でどうこうできる問題じゃないが、少しでも、皆のレベルを上げるようにしないといけないのか)


 かれは、新たな悩みに直面した。





(あいつらを全員、戻ってこさせるには、どうすればいいんだろう)


 真吾は、ぼんやり考えていた。その仕事は単純に霊界をひとつ作り出すことよりも、大変な仕事であるように感じられた。何しろ、レベルの低い仲間ひとりひとりの基準を底上げしなければならないのである。


(とても、おいらの力じゃ無理だ)


 そう思うものの、諦めきれない。


(頑張れば、きっと、一時的に新しい四丁目に連れて来ることはできる。でも、レベルが足りないと、定住できない。霊人は本来、その霊人のレベルにあった霊界でしか暮らせないように出来てるから……)


 だから、はじめの頃、あんなに新しい四丁目に喜んでいた佐吉は、ほとんど四丁目に寄りつかない。勿論、四丁目には建てかけの佐吉の家もある。だが、佐吉は何だかんだと理由をつけて、門番の仕事が終わった後も、四丁目に帰らないのである。


 そして、お幸のこともあった。


 真吾は毎日、地獄の門番の仕事が終わると、詰め所の膨大な帳簿を調べて、お幸の行方を探そうとしていた。だが、状況ははかばかしくなかった。


 何しろ当時の死者の数が多すぎて、また同名も多いので、真吾の探しているお幸が地獄のどの霊界にいるのかまったくわからないのである。帳簿の山に埋もれながら、真吾はお幸のことを考える。


(おいらに憑くほど恨みがあるなら、どこにいるかくらい教えてくれてもいいのにな、お幸。おい、返事くらいしたらどうなんだ)


 粗末な机につっぷして、頭をかかえる。窓の外を見ると、空がしらみはじめていた。


 また一日がはじまる。


 霊界には時間という観念がなかったから、この一日は今日であって、今日ではない。昨日でもあるし、明日でもある。この朝は新しい一日のはじまりであるようでいて、過去からずっと続いてきた長い長い一日でもあるのだ。


(せめて、地上時間であと三百年くらいの間には連絡して欲しいな)


 真吾は地獄のどこかにいる妻に向けて、思念を飛ばした。



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