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第2章------(8)



「菊音は心根の良い女子だ」


 修験者は過去を懐かしむように言った。修験者から菊音の情報を送られた真吾も、確かにその通りだと思う。菊音は稀にみる、思いやりに満ちた、心の優しい女性だった。死後、アフターワールドに来て、強い力を持つ善霊となったのも頷ける。


(だけど)


 と、真吾は思う。


 菊音はやさしいだけの女性ではなかった。


 彼女は非常に誤解されやすい。


 とにかく乱暴で、ひねくれ者で、またプライドも高いので、一見、非常に冷たい女性に見える。それで生前は、菊音は自分に関わったほとんどの人間から誤解された。そしてそれは、菊音がその生涯をかけて仕えた姫本人でさえそうだった。


 修験者は不器用な自分の娘に同情するように言った。


「菊音には困った癖があって、自分の好ましいと思った相手をとことん苛めてしまうのだ」


 真吾は「なるほど」と頷く。佐吉だけが、きょとんとしている。真吾は佐吉の手を握って、修験者から送られてきた情報を佐吉にも送ってやった。


 すると、少しずつ、佐吉の表情が変わっていった。佐吉は菊音の人生を知って、驚き、呆れ、口を開けた。


 菊音の根底にあるのは、男の子なら、誰もが子供の頃に一度や二度は経験する、好きな女の子を苛めたり、怒らせたりしたくなるあの懐かしい衝動と似ている。普通、それは子供時代だけの話だったが、菊音は生涯、そうであったらしい。佐吉は言った。


「ガキだな」


「……申し訳ない」


 修験者が頭をさげる。佐吉は慌てて、とりつくろうとした。


「そうじゃなくて――あの」


「いや、そうなのだ。菊音は子供の頃から問題ばかり起こす娘だった。本当は誰よりやさしいくせに、それを隠すためのように、わざと突き放すのだ。誤解され、叱責されても、最後まで泣きもしない気の強い子で、言い訳すらしてくれんのだ」


 修験者は途方にくれたように言う。親としても、長年の間、持て余していたのだろう。それが言葉の端々からうかがえる。


「……」


 真吾と佐吉は顔を見合わせた。


 修験者は遠い目をした。その脳裏には、子供の頃の菊音のひとつのエピソードが浮かんでいた。修験者は真吾たちを見ると、二人にその内容を送ってきた。それは生前、菊音の実家の隣の貴族の邸から迷い込んできた飼い猫の話だった。





 猫は足を怪我していた。


 怪我の原因は、飼い主による虐待だった。それを知った菊音は猫を自分の部屋にかくまい、そのまま飼うことにした。だがまもなくして、そのことが飼い主の姫に知れ、姫は菊音に猫の返却を求めた。


 するとまだ女の童に過ぎなかった菊音は、


「この猫にはもう菊音が名をつけてしまいました。名は藤と申します。藤は記憶を失っていて、たいそう菊音が好きです。去年、当家で亡くなった妹の藤の生まれ変わりだと菊音は信じてます。あなた様はわたくしから妹を取り上げるのですか」


 堂々と、自分よりずっと年上の相手に向かって言った。そして、


「藤はまた酷い怪我をしてました。足を引きずっていたのです。それから毛皮は汚れ、血が流れ、とても可哀相だったのです。まさか、藤の前の飼い主様が少しでも人らしい優しい気持ちを持っていれば、そのような状態を見過ごすわけはありませんから、この猫はやはり貴女様の”白”ではないのでしょう。そうだよね、藤?」


 最後は猫を見て、やさしく問いかける。猫は「にゃーご」と鳴いた。


 実際、猫が受けていた虐待はそこまで酷いものではなかった。だが、怪我をしていたのは事実だった。隣の姫は、顔を真っ赤にして邸へ戻っていった。


 菊音の両親や邸の者たちは、菊音の豪胆さに驚いた。と同時に、猫を守った幼い菊音の勇気を称賛した。


 けれども、この話には続きがあった。


 菊音は一ヶ月後、藤の子猫たちも同じように飼いはじめたのである。今度はあろうことか、自ら隣の邸にしのんで行って、藤に子猫たちを呼び出させ、連れ帰った。そのことを知った隣の姫は激怒した。


「猫をお返しなさい! お前が盗んだことはわかっているのですよ!」


「とんでもない言いがかりです。証拠はあるんですか」


 菊音は一歩も退かなかった。それどころか、これ以上、騒ぎたてると姫に通っている公達に姫が貴い動物である猫を苛めていることを告げ口し、またこのことを都中の噂にするぞと言って、脅しあげた。


 結局、猫はすべて菊音のものになった。


 だが、後年、この隣の邸の姫が幼馴染みの公達に本気の恋をした時、その仲を陰ながらとりもってやったのは菊音だった。ちなみに、隣の姫自身は生涯、そのことを知らずに過ごした。姫は猫のことを根に持って、死ぬまで菊音を嫌いぬいていたが、菊音はそんなことは気にしなかった。





 菊音にはそんなエピソードが山ほどある。


 結果として、菊音に飼われた猫たちは前の飼い主のもとにいるより幸せに暮らしたし、前の飼い主の姫もそれなりに幸せに過ごした。誰も傷ついていない。ただし、菊音だけは誤解されたままであったが。


「まあ、なんていうか。うん……」


 佐吉は唸った。真吾も困ったように言った。


「そういう人なんだよ、菊音さんは」


 修験者が送ったきた情報によると、藤と名づけられたその時の猫は、今、アフターワールドでも菊音のそばで暮らしている。猫は菊音によって姿を変えられ、カモシカになっていた。真吾は岩山の上で寝そべっている老いたカモシカを感慨をこめた目で眺めた。


「あれがそうか」


「まさか猫だったとは……」


 佐吉も言った。


「でもなんでカモシカなんだ。猫なら猫でいいじゃないか。まぎらわしい」


 佐吉が不満そうに言うと、修験者は言った。


「菊音が言うには、この山ばかりの霊界で暮らすなら、猫よりカモシカのほうが楽しいだろうということだった。あの娘らしい心遣いだな」


「……――」


 真吾と佐吉は顔を見合わせただけで、その言葉には同意しなかった。代わりに、真吾は聞いた。


「じゃ、あの下にいたお婆さんが?」


「うむ。菊音が仕えていた宮家の姫だ」


 修験者が頷く。真吾は次の疑問を口に出した。


「お婆さんは修験者――つまり、あなたが生前、お婆さんの家の祈祷師だったから、その縁で、今、お婆さんがあなたを世話しているといったことを言ってましたが、それって本当なんですか」


 修験者はムッとした顔になった。


「俺は生前、あの婆さんに会ったことなど一度もないわ」


「え。それじゃあ」


「あの婆さん――菊音のあるじの姫の家にお抱え祈祷師がいたのは本当だ。菊音は他の霊界にいた俺を呼びつけ、婆さんを安心させるために、その祈祷師の姿に俺を似せたのだ」


「な、なんのために」


「霊界で行き場のなかった婆さんを助けるためだ」


 修験者が言う。真吾は驚いて、聞く。


「助けるって……」


「それはだな」修験者が言いかけた時だった。空気がざわっと動いた。その空気がだんだん動きだし、小さな竜巻のようなものになったかと思うと、人の形になった。


 女が現われた。


 二十代後半くらいの容姿を持った、きつい顔立ちの、なかなか綺麗な女だった。その女がものすごい顔で三人を睨んでいた。


 勿論、それは菊音だった。





「わっ。な、何だよ……驚くじゃねえか!」


 佐吉は飛び上がった。真吾は叫んだ。


「菊音さんっ!」


 ようやく会えたという感動もあって、相手が菊音当人であることを波動で理解すると同時に、真吾はつい名前を呼んでしまった。すると、菊音は世にも凄まじい目を真吾に向けた。


「どなたが、わたくしの名を呼ぶ権利をお前に与えたのでしょうか」


「え――」


 真吾はぽかんとなった。叱責の意味がわからなかった。菊音は厳しく言う。


「わたくしとお前はまだ知り合ってもおりません。その見知らぬ者から、呼び捨てにされる覚えはありません。すぐさま、この場から立ち去りなさい。礼儀を知らぬ者にわたくしの霊界にいて欲しくありません」


「あ、あのう」


「菊音……この人たちはな」


「お父上は黙ってらっしゃい!」


 一喝する。修験者はそれまでの威厳が消えて、びくっとなった。


 真吾は呆然として菊音を見た。


 それから、思い出した。


 大天使ラファエルの忠告を。


「――そこでお前に菊音を探し出し、連れてきてほしい。嫌がるだろうが、まあ、お前なら大丈夫だろう。ちなみに菊音は中級霊人のなかでも上のほうの霊人だ。かなり力がある。生前を生きたのは平安時代。没落貴族の姫に仕えた女房で、気位も高い。ものの言い方には気をつけたほうがいい」


(ラ……ラファエル様……大丈夫じゃありません)


 真吾は情けなく、思った。


(もし、この無限の霊界のどこかでこの会話を聞いてるなら、すぐ、来てください。菊音さんを見つけました。話は自分でして下さい。おいらにこの人を説得するなんて、無理です。お願いですから、来て……)


 菊音が気難しく、礼儀にうるさいらしいということは聞かされていた。地上界の子孫に降臨していた翁と姐さんの霊人たちも、菊音の仕返しをやたらと恐れていた。


 だが、ここまでとは思わなかった。彼女にひと睨みされただけで、背筋がぞわぞわする。真吾はこの会話をどこかで聞いているに違いないラファエルを、心底、恨めしく思った。



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