第2章------(1)
真吾は再び、札幌のすすきのにいた。
もっとも、今回は現代に生きる真吾の子孫に降臨することが目的ではない。その子孫についているはずの善霊を訪ねるためだった。と言うのも、大天使ラファエルが美しい顔で言ったのだ。
「お前には我らの僕となって、我らの仕事を手伝ってもらうことになったが、まずは私の私用からはじめて欲しい。お前にもゆかりのある霊人だから、ちょうど良いというのもあるしな。菊音という霊人を探しだして、私のもとへ来るよう説得して欲しい」
「……私用ですか」
新しい横田四丁目を作り出すという夢に向かってはりきっていた真吾は、若干、肩を落とした。真吾の不満の波動を感じたラファエルは眉間に皺を寄せた。
「どんな仕事でも下積みが大切だ」
「――」
確かにそれはそうだった。生前、真吾も和菓子職人になる前、長い下積み時代があった。と言うか、奉公先の和菓子屋にはいったばかりの頃は、それこそ子守だの、台所のおマサ婆さんの手伝いだの、そんな仕事ばかり与えられていた。
(あれと同じか)
そう思えば、納得できる。納得できるが、しかしどこか腑に落ちない。天使は真吾の釈然としない気持ちに気づかないふりで言った。
「菊音は変わり者でね。子孫に降臨して、子孫を善に導く役目を与えられているが、しばらくその仕事を放棄している。彼女は言い訳をして自分の霊界に戻っていたが、再三の呼び出しにも応じず、先日、配下の天使を遣いにやったら、その自分の霊界も留守にしていた。探すなという書置きを残してな」
大天使はため息をつくと、真吾を見つめた。
「そこでお前に菊音を探し出し、連れてきてほしい。嫌がるだろうが、まあ、お前なら大丈夫だろう。ちなみに菊音は中級霊人のなかでも上のほうの霊人だ。かなり力がある。生前を生きたのは平安時代。没落貴族の姫に仕えた女房で、気位も高い。ものの言い方には気をつけたほうがいい」
「…………」
真吾は目を丸くした。
ラファエルは短気で尊大だ。真吾のような一般霊人など、自分のはるか下の存在だと思っている。そのラファエルが一霊人を気遣う言い方をしている。信じられないことだった。
(平安――?)
真吾に平安時代を生きた霊人に知り合いはいない。大天使は言うだけ言うとさっさと消えてしまったが、ラファエルの説明では不安な要素しかなかった。しかも、それはどこかで聞いたような話だった。
(子孫を導く役目を与えられているが、役目を放棄している)
そして、思い出した。先日、真吾が、横田四丁目を救うために地上界にいる子孫に降臨しようとした時に同じような話を聞いたことを。
果たして、菊音というのは、まさにその霊人だった。
真吾がラファエルの部下を問いただしたところ、菊音は真吾の遠い先祖にあたる女で、今現在の直系の子孫に降臨する使命を与えられている善霊だった。
それで、真吾はまた、すすきのを訪れた。
けれども、やはり菊音はいなかった。
子孫のところにいたのは、先日の翁と姐さんと数え切れないほどの悪霊たちだけである。子孫は今日もせっせと街角でスカウトをしていたが、今日もやっぱりあまり仕事ははかばかしくないようだった。翁が言った。
「お若いの。また会ったな。今日はどうしたんだい」
「――菊音さんを探してます。彼女、まだここに戻っていないんですよね?」
「ああ、そうだな」翁は間延びした声をだした。それは予想していたことだったので、真吾は驚かなかった。
「自分の霊界にも戻ってないそうです。一応、おいらは菊音さんの遠縁らしいけど、一度も会ったことがないので、手がかりがありません。菊音さんの波動を教えてもらえませんか」
普通、同じ血統同士の霊人なら、本人たちに面識がなくても、霊界では互いの存在を感知できる。だから、真吾もじっと心をとぎすませば、広大無辺な霊界のどこかにいる菊音の気配を探ることは出来るはずだった。
しかし、菊音は自らの意思で姿を隠している。仮に、真吾からの呼びかけに気づいたとしても、大天使の命を受けた真吾の呼びかけに応じるわけはなかった。
実際、真吾は霊界で菊音に呼びかけたが、反応はなかった。
それで困った真吾は、最近の菊音を知っている霊人たち――子孫に降臨している翁と姐さんの存在を思い出したのである。
「菊音の波動ねえ」
翁は渋い顔をした。姐さんは「ハッ」と唾を吐いた。
「教えてやりゃあいいじゃないか。ほとんど他人と言っても、血縁なんだからさ」
「そうじゃが、わしが教えてやったと知られたら、わしが菊音に恨まれる。あやつは恐ろしい女子だからのう」
「……」
真吾は驚いて翁を見る。翁は嘘を言っていない。心底から、そう思っているのだ。翁の波動からそれがわかる。姐さんは艶っぽい声で笑った。
「びびってんのか、爺」
「じゃあ、おぬしが教えてやればいいじゃろ」
「やだよ。あたしは。そんな義理はない」
「だったら、わしにだってそんな義理はない」
翁と姐さんは喧嘩をはじめた。真吾は困りはてて、二人を眺めた。
(どうしよう)
二人の気持ちはわかる。
波動とは、霊人の本質をあらわすもので、唯一無二のものである。この地上界、および無限に広がるアフターワールドで暮らす無数の霊人たちひとりひとりが独自の波動を持ち、同じものはふたつとない。
だから、いったんその霊人の波動を覚えてしまえば、本来は、たとえ全く違う霊界にいたとしても、瞬時に会いに行くことができる。波動とはつまり、その霊人の位置情報にもなるし、個人情報にもなるのだ。
見知らぬ霊人に本人の許可なしに波動を教えるということは、その個人情報を勝手に渡すということだ。真吾も、翁や姐さんが渋る気持ちは当然だろうと思う。しかも、菊音は善霊とはいえ、かなり個性的な――いや、強烈な性格をしているのがうかがえるのだから。
「あのう」
真吾は声をかけた。
「皆さんの気持ちはわかります。でも、おいらもこのまま霊界に戻るわけにはいかなくて。それにおいら、四大天使のラファエル様のお遣いで菊音さんを探してるんです。ここで波動を教えてもらわないと、天使様が何と言うか……」
「ラファエルじゃと?」
翁は目を剥いた。姐さんも驚いた顔をした。
「あのイケメンが?」
「はい。ラファエル様に会ったことがあるんですか」
真吾が聞く。姐さんはものすごい勢いで首を横に振った。
「まさか! あたしなんかが御前に出ることなんて、あるわけないだろっ! でも、噂で知っている。ものすごい美形なんだって? 声も素敵で、その立ち姿は絵のようだって」
「……まあ、天使ですからね」
真吾は曖昧に答えた。確かにラファエルは美貌だ。性格は問題があるが。だが、そんなことは知らない姐さんは真吾の手を力強く握った。その目は心なしか潤んでいる。
「わかった。あたしゃ、あんたに協力するよ。ただし、あたしひとりが教えたとなったら、後で菊音の仕返しが怖いから、ここにいる霊人一同が教えたということにしてくれないか。それから、菊音の波動を教えてやるかわりに、ラファエル様の波動をあたしに教えておくれ」
「わかりました……」
「待て。わしらを巻き込む気か」
翁が叫ぶ。姐さんは「黙れ、じじい」と叫び返すと、素早く真吾に菊音の波動を送ってきた。
(――……!)
瞬間だった。
真吾は菊音という霊人を知った。
(な、なるほど……これは確かに、大変なひとのようだぞ……)
背中に冷や汗が流れる。と、真吾はさらに強い力で手を握られた。姐さんが凄まじい形相で睨みつけている。かれは「ひっ――」と声をあげて、慌てて、大天使ラファエルの波動を送った。
「きゃっ」
姐さんは小娘のような声をあげた。
「やっぱりとんでもない美形じゃないか。ラファエル様……素敵だわ。なんていいお声――聞いたことはないけど、あたしにはわかる。セクシーで、ぞくぞくする」
「……じゃ、おいらはこれで」
真吾は見てはいけないものを見てしまった気分になって、別れの挨拶をした。翁が「おい、待て。若造っ、わしを置いてゆくのかー」と叫ぶ。
翁はラファエルの波動の内容より、菊音の仕返しのほうが恐ろしいらしい。真吾は同情するように翁を見た。
「また、機会があったら、来ます。菊音さんには、くれぐれも、皆が教えてくれたと言っておきますから……安心して――」
「安心できるか!」
翁は入れ歯が口から飛び出す勢いで叫ぶ。真吾は心のなかで謝りながら言った。
「共同責任ってことで。ラファエル様にもフォローしてくれるよう、おいらからもよく頼んでおくんで」
もう一度、頭をさげると、真吾は逃げるようにその場を後にした。ちょうど、そんな背後の霊人たちのやりとりを全く知らない子孫の若者が、ひとりの女の子に声をかけたところだった。
「ねえねえ。きみ、誰かに似てるって言われない? すっげー、可愛い。超、可愛いんだけど。今の店より倍払うところ知ってるんだけど、話だけでも、聞いてみない?」
若者は営業用の笑顔を作って、一生懸命、言った。
その様子を見て、真吾は嘆息した。
(おいらの子孫は――今日も元気で働いている、か)
なにやら物悲しい気分になってきた。そしてかれは思った。ラファエルの波動を勝手に教えたことは黙っておこうと。




