第1章------(12)
「で。何で俺がこんなところに呼ばれたわけだよ。と言うか、ここはどこだ? こんな霊界、四丁目の近くにあるなんて聞いたことない」
佐吉は文句を言った。シェルターで仲間たちと楽しく酒をくみかわしていたところを呼び出されたので、機嫌が良くない。真吾はまわりを気にするように言った。
「ここは一時的に作られた大天使の霊界だ。それからあまり不機嫌な声を出すな。ラファエル様に聞こえてしまう」
「ラファエル様だとお?」
佐吉は胡散臭そうに友人を見る。大天使の名を呼んだ真吾の声音のなかには、今までなかった親しげな響きがある。佐吉は真吾の道案内役としてすすきのに降りた時、一度、ラファエルと対面していたが、その時、同席していた真吾はラファエルを名前で呼ぶことはなかった。
「そうだよ」
真吾は今にもラファエルが現れるのではないかと落ち着かない。今のところ付近には真吾と佐吉しかいなかったが、あの大天使は神出鬼没でおまけに地獄耳だ。
(でも、それにしても――)
真吾は、ほうっと息をついた。そこは美しい霊界だった。青く澄んだ空と緑の草原がある。時おり顔をなでてゆく風にはかすかな花の香りがまざっていて、何とも心地良い。
真吾はこんな霊界で桃畑を作ったらどんなに素敵なことだろう、と考えながら、早口で言った。
「とにかくラファエル様は、おいらたちの心にちょっと思ったことも、口に出されたのと同じように聞いてしまう。だから、変なこと考えるな。善いことだけを考えろ」
「面倒くせぇ」
佐吉は口を曲げた。その佐吉の霊人からは、しっかりと不満の波動が出ている。真吾は「ばか」と言って、佐吉の肩をゆすった。
「その波動を消せったら。あの人はそういうのに敏感なんだ。お前はラファエル様の提案で、地獄行きを免れるんだぞ。もう少し、神妙にしてくれ。頼むよ」
「波動を消せって――無茶なこというなよぉ」
佐吉は唸った。波動とは、無意識の感情からたちのぼるものであるので、本人がコントロールすることは不可能だ。けれども、佐吉は真吾の頼みならということで、一応、不機嫌な気持ちを押さえつけて他のことを考えようとする。
「…………」
佐吉はパッと目を開いた。
「待て。今、お前、なんて言った」
「波動を消せって言ったんだ」
「その後だよ」佐吉が詰め寄る。真吾は「ああ」と言った。
「地獄行きを免れるってとこか」
「それだ!」
佐吉は指を鳴らした。
「お前、今、さらっととんでもないこと言ったよな? どういうことだ、説明しろよ」
いつになく真剣な表情だった。真吾は頷いた。そもそも佐吉をこの場所に連れて来たのはそのことを伝えるためだったのだ。真吾は大天使とのやりとりを話しはじめた。
話を聞き終わると、佐吉は黙り込んだ。
シェルターに避難していた佐吉は、横田四丁目の最期を知らなかった。四丁目が二度目の攻撃で崩壊し、地獄へ落ちたことに大きなショックを受けたようだった。また、それ以上に、真吾がごく僅かな間とはいえ、地獄に実際に降りたことも信じがたいようだった。
「今の話は本当か……」
沈黙の後、佐吉は確かめるように聞いた。真吾は友人を見た。
「そうだ。全部本当だ」
「地獄に行ったのか」
「ああ。そこで与作と会ったよ」
「与作か」佐吉が呻く。「それで、今の話でいくと、俺も地獄へ落とされるってわけだな……」
「ああ、そうだ」
「……」
「でも、おいらの仕事を手伝えば、地獄へ行かなくてすむ。ラファエル様は地獄行きの四丁目の仲間のなかで一人だけ、中級霊人にとどめてやろうと言ってくださった。おいらは悩んだ。悩んだけど、お前を選ぶことにした」
真吾は一言ずつを区切るように言った。
本当は皆を助けたかった。だが、それは叶わない。最終的に、真吾は新しい横田四丁目を作って、その霊界には仲間たち全員を呼び寄せるつもりだったが、それは今出来ることではなかった。
たった一人だけ救えると言われた時、真吾の頭に浮かんだのは佐吉だった。
「……どうして俺なんか――」
佐吉はややぶっきら棒に言った。だが、その声の端が震えている。真吾は笑顔になって「うん」と言う。
「お前がいいと思ったんだ。お前なら、おいらの夢を一番わかってくれると思ってな」
佐吉はこみあげてくるものを抑えるためのように口元を引き締める。
「お――お前の夢?」
真吾は佐吉を見つめた。
「そうだ。おいらも天使の僕になるというのが、どんなことか正直、よくわからない。でも、ラファエル様は言ったんだ。この仕事をやり遂げれば、おいらは、新しい横田四丁目を作りだせるだろうって」
「……――」
「だから、新しい四丁目を作って、また皆と一緒に暮らしたい。それがおいらの夢だ。その仕事の手助けを、佐吉、お前にしてほしいんだ」
その言葉を口に出した真吾は光り輝いていた。佐吉は打たれたように真吾を見た。真吾は本気でそのことを願い、そのことを叶えるために働こうと思っている。それがつたわってきた。そしてまた、佐吉の胸に真吾の暖かい波動が流れ込んできた。
「俺は――その……」
佐吉は真吾と目をあわせているのが辛くなったように、視線をそらした。真吾は、自分自身の身の安全のことしか考えていなかった佐吉とあまりに違う。それを思い知らされたようだった。佐吉は斜め下を見つめながら、強張った声で言った。
「お前が俺を選んでくれたのは嬉しいが、でも、あまり俺は……力になってやれないかもしれないぞ。お前みたいに何でも真面目にするわけじゃないし……」
「いいんだよ。出来る範囲で、おいらを助けてくれれば」
真吾は屈託なく笑う。
誰もがつられて笑い返してしまうような、そんな笑顔だった。佐吉もかたい笑いを浮かべた。真吾は元気よく言った。
「一緒においらたちの横田四丁目を作ろう!」
「作ろうっ、て、お前――でも、冷静に考えたら、それはとんでもないことだぞ?」
たちまち佐吉は現実にたちもどったように、心配そうに言う。
「そりゃお前は俺より霊人のレベルは高いかもしれないけどな、お前や俺のレベルなんてたかが知れてる。霊界ひとつ作り出すことなんて、絶対、不可能だ」
「大丈夫だよ。四大天使のラファエル様がそう言ったんだから。恐れ多くもおてんとさまに仕える天使が嘘をつくはずないだろ?」
「……それは――そうかもしれないが」
佐吉は困惑したように言った。無理もなかった。佐吉は真吾ほどラファエルと親しくなかったし、その堕天使軍との戦いぶりや、アフターワールドの創造主とじかに言葉をかわす姿を目にしたわけでもない。
「この話、受けてくれるよな?」
真吾が満面の笑みで聞く。佐吉は「ああ」と答えたが、なおも釈然としない様子だった。そこに咎めるような声がかけられた。
「佐吉。あなたが疑い深いのは勝手だけど、真吾にその不安な気持ちをうつしたら承知しませんよ」
「承知しませんよぉ!」
果たして、そこにいたのはマルコとベアトリーチェだった。
「マルコッ! ベアトリーチェも、無事だったのか!」
真吾は駆け寄って、二人を抱きしめた。真吾が地獄から中間霊界に戻ってきたとき、シェルターに避難していたはずの二人の姿が見えなかったから、真吾は心配していたのだ。
「良かった、また会えて。どこに行ってしまったんだろうと思ってたんだ」
「ちょっと天使に呼ばれて、留守にしていただけです」マルコは真吾を見つめた。意味ありげな波動を感じて、真吾は驚いたようにマルコを見る。
「天使って――ラファエル様か?」
「まあ、そうです」
マルコは照れたように笑った。
「僕とベアトリーチェはどうも正式な四丁目の住人として認められてなかったみたいで……僕の意思でなかば強引に四丁目に居住していたけれど、本来、もっと他の霊界で暮らすべきなので、そちらを探したらどうかと言われて」
真吾は目を丸くする。だが、マルコの話は妙に納得できるものだった。確かに明治、大正時期に生きた日本人ばかりで構成されていた横田四丁目にこのイタリア人兄妹はあまりにも似つかわしくなかった。
「お前はまだ永遠の地を探している途中だったんだな、マルコ」
「どうもそうみたいです。僕は四丁目が自分の永遠の地だと思っていたんですが……」
マルコは頭をかいた。それから、真顔に戻って真吾を見つめた。
「大天使からあなたの仕事のことを聞きました。真吾、僕たちも協力させてください。僕たちはもともと四丁目が失われても中級霊人として残れる霊人だそうなので、そこにいる誰かさんと違って、あなたに迷惑をかけることはありません」
「待てよ。何だよ、てめえ」
佐吉がカッとなりかけるのを真吾が制した。
「やめろ、佐吉。それよりマルコ、今なんて――」
「僕たちにも協力させてください。大好きな真吾が夢をかなえる姿を見てみたい」
「ベアトリーチェも……?」
信じられないといったように真吾は兄妹を見る。ベアトリーチェは元気に「はい!」と答えた。マルコは笑った。
「僕はどうも日本が大好きで、真吾みたいな、真面目で健気な日本人が大好きなんですよ。だから、真吾が頑張ろうとしていることを手伝わせてください」
「……有り難う。嬉しいよ、本当に」
真吾は思わぬ申し出に涙ぐんだ。
「ありがとう、本当にありがとう。おいらたちの四丁目を作ろう。皆が幸せで、マルコたちがいつでも遊びに来られるような、そんな明るい楽しい霊界にするんだ!」
かれは叫ぶように言った。
そうして、彼らは天使の僕になった。
(第一章脱稿)




