(特別編) 宴は果てなく、彼岸と此岸のドンチャン騒ぎ
瑞穂という名の箱庭を統一し、覇王ジンが海の向こうへと思いを馳せたその夜。
金牙城の広場では、天下統一の祝杯と、数年にわたる重圧からの解放を祝う宴が、前代未聞の規模で執り行われていた。
「酒だ! 飯だ! 今日ばかりは泥水じゃなく、最高級の米と酒を底なしに空にしろ!」
ゴウが空高く酒樽を掲げると、十万の軍勢が一斉に歓声を上げた。巨大な火がいくつも焚かれ、焼かれた巨大な肉の香ばしい匂いが夜空に立ち上る。
ガクはいつになく表情を緩め、ゲントと共に長年飲み交わしたことのない盃を合わせている。レンは沙那の民たちと肩を組み、戦場の疲れを吹き飛ばすように歌い踊っていた。リョウガ率いる海狗衆は、南の海から運んだ見たこともない珍味を並べ、会場の熱気を最高潮へと押し上げている。
中央の席で、ジンもまた、クロウと酒を酌み交わしていた。
「終わったな、クロウ」
「ええ、終わりました。……まったく、最後まで貴方という方は、私の計算を裏切り続ける覇王でしたよ」
クロウは苦笑しながら、手元の杯を干す。
しかし、その賑やかな宴の喧騒は、現世の城郭を越え、霞の向こうにある「彼岸」へと届いていた。
そこは、戦乱の世で命を散らした英傑たちが、なぜか何不自由なく酒を飲み、笑い合っている不思議な空間であった。
「……ん? なんだか騒がしいな。下界のあいつら、また変な祭りでもやってるのか?」
のんびりと団子を頬張っていたのは、魔王ソウガであった。
彼は、己が灰となったはずの炎の中で、今や何食わぬ顔で酒を煽っている。その横には、かつて彼を討ったはずのメイカクが、優雅に茶を啜っていた。
「メイカク、お前が酒に混ぜ物をしてくれたおかげで、死後の酒も旨いよ。……ジンとかいうガキ、なかなかやるじゃないか。瑞穂なんて狭い箱庭を、よくぞここまで耕したもんだ」
「ソウガ殿、混ぜ物などしておりません。……ジン殿の覇道は、貴方の狂気をも肥やしにしたようですね。実に愉快だ」
そこへ、ひょいと現れたのは、トウガであった。
「おい、親父! 俺の負け戦の報告まで聞いてやがったのか! あのジンの野郎、あの陣形は俺には絶対に使わなかったぞ!」
「お前が死んでからが本番だったんだよ、馬鹿息子。……見ろ、あいつら、美味そうに食ってやがる」
その時、霧の中から大槍を背負ったシュウスイが、静かに歩み寄ってきた。
周囲の英傑たちが、一瞬だけ表情を正す。黎州の武神。彼もまた、ジンとの一騎討ちを経て、この宴の輪の中に加わっていた。
「……秋水か。お前も、あの若造の最期を見届けたのか」
シュウスイは、ソウガに差し出された杯を無言で受け取ると、一気に飲み干した。
「……ああ。あれは、間違いなく本物の器だ。二百年の歴史を背負うのが重いと知ってなお、民の胃袋のために泥に塗れることを厭わなかった。私の最後の一撃を正面から受け止めたあの姿、悔いはない」
「おいおい、そんな神妙な顔をするなよ! 宴だぞ、宴!」
そこへ、天からドタドタと駆け下りてきたのは、天才軍師シオンであった。
「ジン! ジンよ! お前、箱庭の真実まで突き止めやがったな! さすが私の選んだ覇王だ! 私はね、こっちでジンが外の世界を切り拓くのを、特等席で見物させてもらうよ!」
シオンの登場に、彼岸の宴はいっそうの盛り上がりを見せた。
ソウガが豪快に笑い、メイカクがそれを嗜め、トウガが愚痴をこぼし、シュウスイが穏やかな表情で盃を傾ける。かつて敵対し、殺し合った者たちが、今は互いの健闘を称え合い、酒を酌み交わす。戦いの記憶は、酒の肴になるほどの思い出に昇華されていた。
一方、現世の金牙城。
「オラァッ! この酒は俺が一番乗りだァッ!」
「待てゴウ! 私にも回せ! 宴に軍規は無用だァァ!」
ゲントが酒をあおれば、ガクが黙々と料理を運び、レンが歌を歌う。
「おい、ジン大将!」
リョウガが、大きな鍋を抱えてやってきた。中身は、リョウガ特製の極上の海鮮鍋だ。
「海狗衆から、最後のとっておきだ! この海の幸、シオンの遺したレシピを改良して作ったんだぜ!」
ジンはその鍋を受け取り、豪快に一口飲んだ。
「……美味え! 最高の味だ!」
ジンはふと空を見上げた。
そこには、なぜか夜空に浮かぶはずのない、奇妙に輝く星々が、まるでこちらを覗き込んでいるかのようにまたたいている。
ジンには見えないはずの「彼岸」の宴の灯りが、星の瞬きのように、少しだけジンを照らしているようであった。
「……みんな、見てるか」
ジンは、空に向かって杯を掲げた。
「あんたたちが泥の中に埋めてくれた種が、こんなに美味い酒と食い物になったぜ。……これから俺たちは、この箱庭を飛び出して、もっと広くて美味い世界を獲りに行く。……あの世からも、その目でしっかり見届けてくれよな!」
そのジンの一言に、金牙城の広場は歓喜の渦に包まれた。
ゴウが空に向かって鉄砕棒を突き上げ、レンが六文銭の兜を放り投げ、クロウでさえ、車椅子の上で不敵に微笑んで拍手を送っていた。
空の上では、ソウガが「やれやれ、相変わらず騒々しいガキだ」と苦笑し、シュウスイが誇らしげに目を細めている。
生者と死者。
すべての戦乱の果てに到達した、泥臭くも幸福なこの宴は、まるで永遠に続くかのように、どこまでも、どこまでも賑やかに続いていく。
平和という名の最高の贅沢を噛み締めながら、ジンは仲間たちと共に夜通し笑い、飲み続けた。
明日には、未知の世界へ至るための大船団の建造が始まる。
だが、そんなことはどうでもいい。
今のこの瞬間、誰も飢えず、誰も殺し合うことなく、ただ美味い酒と仲間がいる。それだけで、覇王にとっては、この世の何よりも素晴らしい天下の極みであった。
北風も、冬の寒さも、二百年の呪いも、すべてはこの宴の熱気の中に溶けていく。
宴の喧騒は、夜が明けるまで鳴り止むことはなかった。
それは、瑞穂という名の小さな島国が、新たなる世界へと踏み出す前夜の、魂の咆哮だったのである。




