第九章
第九章
肌の上を滑る冷気に目を開ける。ぼやけた視界には薄い空色の天蓋、そして緩やかに靡く白いカーテン。風に乗って届くのは花の香りだろうか。
幾度か瞬きをして、己が置かれた状況を考える。纏まらない思考を辿りながら首を巡らそうとするも体が重く、少し力が必要だった。なんとか転じた視線の先、花弁の鮮やかな色彩が徐々に目の中で像を結び、それらの彩りの向こうで振り返る人影が見えた。向こうも目覚めたことに気付いたのだろう、窓を閉めると、こちらを見つめたままゆっくりと寝台に腰掛けた。
「アルフ様」
自分の声ではないみたいだった。掠れた声に、だが優しい笑みが返ってくる。
微笑にほっとするもすぐに不安が過る。魔王が美しいことなどわかっている。だが、あまりに綺麗すぎて現実味がない。何がどうなったかわからないが、アルフレディオは危機的状況にあったはずだ。自分が間に合ったのかどうかはっきりと記憶にない。ならば……。
これは幻かもしれない。ここにいることも、このアルフレディオも。すべてが自分の夢。恐ろしい思考に涙が出そうになった。
本物なのかどうか。確かめたくて手を伸ばした。震える指をアルフレディオが捉え、指先を唇にあてた。そのまま己の頬へと運ぶ。
「よかった……無事で」
命を感じる温かさに、涙が零れた。涙を拭うアルフレディオの手がセルリアーナの頬を包み、その上に手を重ねた。伝わる温もりが徐々に凝り固まった不安を溶かしていく。
ようやくの安堵に小さく息をついた。その目を覗き込むように魔王が顔を寄せ、そっと口づける。淡い瞳を見返して、それからセルリアーナは目を閉じた。
再び触れた唇は甘かった。舌先に誘われるままに受け入れ、深く重なるうちに頭の芯が蕩けて、目覚めたばかりの意識が遠くなりそうだった。
「なぜ、戻った」
名残惜しそうに離れた口が問う。
「せっかく出してやったというのに」
いけなかったのかと問えばアルフレディオが目を伏せた。小さく首を振り、戻らないと思ったと続けた。
「戻らなくてもいいと。それも、仕方ないと思っていた」
絡んだままの指に力が入る。横向きに逸らされた表情は複雑なものだった。一度はチャンスを与えた。諦めたのだとその横顔が語る。
「……その方が、よかったですか?」
「そんなわけないだろ」
拗ねたような口調が返る。
「だったらいいですよね、帰ってきても」
「お前はそれでいいのか? 本当に」
どうしてだかアルフレディオの方が辛そうに見える。それに対してセルリアーナは頷く。
多分もうどうしようもない。良いも悪いも、一番大事なものが何かに気付いた気持ちは決まっている。どこにいても自分はアルフレディオのことを考える。考えてその存在を探し、求める。近くにいたいと願っているのは彼ではなく自分の方だ。手放すことなどできない、かけがえのない人――だからこそここにいるのだ。あんな喪失の恐怖はもう味わいたくない。
「帰ってきたんですよ。『おかえり』はないんですか?」
一瞬だけ驚いたような表情をした後、魔王はいつもの不敵で妖艶な笑みを浮かべた。
「妻なんだ。帰ってくるのは当たり前だな」
「あ、可愛くない言い草。だったら実家に帰りますけど」
「妻だと認めたんだな?」
「認めてません。っていうか、まだ未婚ですからね」
「婚約者なのだ、時間の問題だと思うが」
「婚約者ってところもまだ認めてませんから」
「とんでもない往生際の悪さだな」
さて、と魔王が立ち上がった。
「目が覚めたところで、医者を呼んでくるとしますか」
繋がった手が離れる。よほど不安そうな顔をしたのか、アルフレディオが苦笑を浮かべ、そんな顔をするなと言った。
「……元々こんな顔です。悪うございますね」
「そうだったな。その怒った顔は俺の好みそのものだ」
額に軽く口づけられる。途端にセルリアーナは真っ赤になった。
医者は医者だった。
扉が開いた気配に目を向けて、思わずセルリアーナは起き上がっていた。魔王と連れ立って入ってきた人物に釘付けのままあんぐりと口を開け目を瞠る。
「何、バカ面してんだい、みっともない」
「ルールゥ」
にやりと、奇妙に色気のある笑みが答える。
「顔色もだいぶよくなったね」
皺の多い手が有無を言わさず顎を掴む。瞼に触れ、口を開けさせ手早く様子を確認する。
「まだ少しだるいかもしれないけど、まあ、ぼちぼちよくなる」
ごく当たり前のように手近な椅子を引きよせ、背もたれを抱えて座る。無造作に束ねられた白髪も、奇妙な色香も、不敵な笑みもどこからどうみてもルールゥそのその人だった。枕元に腰を下ろした魔王を振り返るも、肩を竦めたのみで何も言おうとはしなかった。
「なんだい、ほんとに話してなかったのかい?」
「だからそう言ったではないですか」
ルールゥに答えたアルフレディオは敬語だった。
「俺が言うべきことではないでしょう?」
敬語も驚きだが、僅かな会話から、明らかにルールゥの方が上の立場にあるのがわかる。魔王であるはずのアルフレディオがどうして人間の老女を立てる必要があるのか。ただでさえ霞のかかった頭なのに、混乱してくる。
「ほら、困ってますから。体に障ったらどうするのです」
「看病と称して張り付いてられるんだ。お前はその方がいいんじゃないのか、色々と」
「病人に手を出そうとは思いません。健康でなくては、色々も何もできやしませんよ」
「元気になったら抵抗されるよ、相当じゃじゃ馬だからね」
「そのくらいの方がやりがいがありますから」
「ちょ、ちょっと!」
勝手に続く会話に、セルリアーナが待ったをかけた。
「二人で勝手に変な話を進めないでよ」
しかも内容がひどく生々しくて、セルリアーナの方が赤くなった。くすくすと笑ったルールゥがなんのことはないと口を開いた。
「ここは、あたしの家さ。あたしは、ここで育った」
立派な城である。厳つい城壁と頑丈な門、立派な尖塔を備えたここは魔王の城のはずだ。
「……実はお金持ちだったの?」
「つっこむところが違うだろ」
思わず呆れた魔王だったが、日々節約を心掛けていた身としては、そうとわかっていればというのが本音だ。毎晩のおかずをひとつ増やしてもよかったかとか、ルールゥのお酒だってもう少しいいものにできたとか、そんな下種な考えが浮かんでしまう。
「結構逞しく育ったじゃないか」
「おかげさまで。育てた人の影響が大きくて」
「あたしは素直ないい子になるようにと育てたつもりだよ、手に塩をかけて」
「それを言うなら手塩にかけてでしょ。そのあたりで間違ったんじゃないの?」
「大した違いじゃないだろ」
「微妙な違いでも結果は大きな違いよ。っていうか、そういうことじゃないでしょ!」
思わず大きな声を出して、視界が回るのを感じた。労わるように支える魔王の手に素直に身を委ね、きつく目を閉じてやり過ごす。
「相手は病人です、姉上。仮にも医者を名乗っているのでしょう」
アルフレディオの声が少し尖る。小さく息をついたルールゥが娘に向けて手を伸ばした。ごく自然にそれを握り返して、なんとなく懐かしい気分になる。小さい頃はよく繋いだ手、久しぶりに握ったそれは暖かくて、少し小さくなったように思えた。
「ルールゥ、干からびた?」
「大概失敬な子だよ、あんたは」
冗談めかした言葉に笑い含みの声が答えた。
「何も話してないらしいって聞いて驚いたよ」
「姉上、なの?」
先程の魔王の言葉をそのまま借用すると、ルールゥが片眉を上げて頷く。
「孫とかじゃなくて?」
「見た目のことを言うんじゃないよ」
確かに見たところでは祖母と孫というのが相応しい。だが、それはあくまで見た目だけだ。魔王は眠っていた時間だけでも三百年を超える。
「アディが眠ったのにはあたしに原因があるんだ」
アディと呼ぶ声には慣れた様子があった。アルフレディオの愛称なのだろう。
「あたしのとばっちりさ」
眉を寄せたセルリアーナにルールゥが微かに微笑む。目を伏せ、どこか寂しそうな表情は既に老女と呼べる容姿に似合わぬ艶やかさがあった。
「もう随分昔の話さ。世の中には魔族も魔術師ももっとうじゃうじゃしていた頃さね」
過去、人間と魔族には争いがあった。地上の支配権は殆どが魔族の下にあり、独立しようと人間が挑む。力の差は歴然だったがそこは逞しい人間達だ。魔法を生み出し、魔術師なるものを生み出した。彼らは魔族と対抗し得る力を得ていくことになる。次第に支配権は徐々に人へと移りゆくことになるのだが。
「ここらを支配していた魔族を廃そうって動きがあった。ひとりの魔術師を引っ立ててね」
魔族は元々組織だって行動することはあまり得意としなかった。加えて自分達の世界は別にある。魔界というのがそれで、地上に居場所がなくても生きる場所がなくなるわけでもない。それ故、魔王達が地上に固執することがなかったというのも、人間の勝因の一つであろう。
だが、ある魔王の娘は地上が好きだった。地上で生まれ育った彼女は魔界になじむことができなかった。夜が長く、陰鬱で好きになれなかったのだ。そして地上に残っていた娘は魔術師と出会った。敵同士だったはずの二人は、やがて恋仲になっていた。
「優秀な魔術師だった。魔術師としてだけじゃない、スパイって言うのかね」
ところが、魔王はその魔術師を殺してしまった。敵だというのは勿論あるが、それ以上に娘を裏切ったことを知った為の激怒だった。本気だったのは娘の方だけだったのだ。しかし、娘に理解できるはずもない。口論の末、娘は父王の命を奪ってしまった。
「なんとかは盲目ってのはよく言ったもんだよ。愚かな話さ」
――どこかで聞いた話だと思った。そしてすぐに、リディのことが頭に浮かんだ。あれはてっきりアルフレディオのことだと考えていたのだが……。
その件は魔界を騒然とさせた。重鎮である魔王の死は少なくない衝撃を与え、魔界の帝王は娘を含むその一族に厳罰を下すことを決めた。侯爵位を取り上げることはせず、息子への譲位を認めたものの、引き換えに一族の一定期間の魔力の凍結をした。これにより息子は一時的に魔力を失った。加えて娘には「寿命」を与えた。さらに魔力を使うに枷をつけ、魔力が戻った後も、力を使えば己の残りの時間が大幅に減っていくというものも含まれていた。
娘は魔族から追放された。人でも魔族でもないものとなった。
「死は悲しいだろう? だからせめて人間くらい助けて生きてみようと思ったんだよ」
父王もまた人の世を愛していた。そもそも人と争うつもりもなかったように思う。それなのに結果的に争わせてしまったのは娘の存在であったのだ。言うまでもなく、娘とはルールゥのことだ。ウイッチ・ルールゥの呼び名は奇しくも真実であったのだ。
「それだけならまだよかったんだけどね」
「え?」
「当時、アディに執着していた魔女がいたのは知っていたんだよ。たちの悪い陰険粘着魔女さ。そいつがアディにちょかいを出した」
魔王女エリージアのことだとはわかったが、よほどに嫌いなのか、なんだかものすごい修飾がなされている。
「魔力が使えない状態のアディに傀儡の術をかけやがった。あれは感情を殺し、いずれはその命を奪う。で、人形にしちまう」
セルリアーナが目を向けると、アルフレディオはもう心配ないのだと優しく髪を撫でた。
「魔力が封じられたのは一時的だからね。いずれは解けるものなんだよ。ところがそんな余計なものが追加されちまったから、思うように解除されなくてね。で、傀儡術の進行を遅らせる為にあたしが眠らせたのさ。それがまあ、三百年くらい前かね」
その時に大きく魔力を使い、ルールゥは大幅に余命を減らし、老化した。
「それでも、人間様よりは長生きだ。人から見れば途方もない数字だろうね」
基本的に寿命のない魔族にとっては魔力の衰えが寿命ということになるらしい。ルールゥに与えられた枷は、魔力をそのまま、本来尽きるはずのない寿命に置き換えるというものなのだそうだ。使った分だけ、身体が老化し、いずれは老衰を迎える。
「今は多分、見た目相応の年齢と大差ない残り時間じゃないかね」
自分の寿命の話だというのに、やけにあっさりとルールゥは言う。
「内部に術を跳ね返すだけの魔力が戻るか、術を打ち破るような何かがあれば目を覚ますようになっていたんだけど」
ルールゥの手に力がこもった。
「まさかあんたを巻き込むことになるとは思わなかったよ。姉弟揃って、世話をかけるね」
「世話なんて――」
「かけてないって?」
いたずらっぽく微笑むのに、セルリアーナは用意していたものとは違うことを答える。
「そうは言わないけど、でも、大丈夫。あたしだってルールゥがいなかったら生きてない」
寒空の中、捨てられていた。気づいてもらえなければとっくに消えいていた命だ。
ルールゥに会ったから救われた。救ってもらえたから今がある。助けてもらったから巻き込んでもらえたのだ。巻き込まれたから、大事な人に巡り合えた。
ルールゥに未来が見えるのかどうか、それはわからないし恐らく見えないだろうと思う。それでももしかしたら泣く力さえなくした赤子に何かを感じたのかもしれない。そう思ってしまうくらい、不思議な縁だ。
「ルールゥってただものじゃないとは思ってたけど」
まさか魔王の娘で、現在の魔王の姉だとは思いもしなかった。そう言うとルールゥはアルフレディオと同じ色の薄い片目を閉じて見せる。
「何言ってんだい。あたしはただの医者さ」
ルールゥが何者だろうとそれは構わない。ルールゥはルールゥだ。自分のどうしようもない母親であることになんら変わりはないのだから。
「さてと、ここまでは昔話だ」
そう前置きをしたルールゥがもう一方の手を添える。
「この先はあんたの体の話をするよ。ウイッチ・ルールゥとして」
真剣な眼差しは射るようで落ち着かない気分にさせた。
「セナ、あんたは死んだんだ」
「……え?」
「アディを庇って、お前は一度死んだんだよ」
――あの後。
アルフレディオの前に現れたセルリアーナはエリージアの攻撃の大半を受け止めた。傷は勿論、受け止めた風は皮膚を抉り内臓を破壊した。人間として生きていくに、その体はもはや使えるものではなかった。
エリージアの体が氷の礫となり散ると、庭に展開していた無数の獣もまた霧散した。魔王女の魔力を糧に動いていた者達である。力の源を失えば、自然と消滅となる。そもそもその体が術で作られたものであるのだから、当然の結果と言えた。その瞬間、アルフレディオにかけられていた術も霧散する。エリージアの匂いの残るものはすべてが消失していった。
皆、多少の怪我はあるものの大事はなかった。いずれも高位の魔族であり、召喚獣ごときに後れを取ることはないが、如何せん数の多さに押されていただけだった。そんな中、重傷だったのはカルテミアだが内包した力がその回復を助け命に別状はなかった。リディもエリージアの風の刃を食らっているが、幸い直撃したものはなく、いくつか裂傷ができた程度だった。
しかし唯一の人間であるセルリアーナは状況が違った。重傷を負ったセルリアーナの魂は既にこの世で生きる為の器を手放そうとしていた。
「セナ、セナ」
アルフレディオが必死に呼びかけるもぴくりとも動かない。流れ続ける血だけが、セルリアーナの中で動いている唯一だった。
「目を開けろ、セルリアーナ! 頼むから!」
アルフレディオの声に動ける者がテラスへと駆け上がった。セルリアーナの作った血溜りに幾つもの顔が集まり、各々がセルリアーナに呼びかける。
「アディ、どきな。あんたに任せたんじゃ助かるものも助からないよ」
その声にアルフレディオが顔を上げた。振り返ったパルムもまた驚きの表情を浮かべた。
「ルールゥ……?」
「お嬢様、なぜこのような場所に」
「ごちゃごちゃ言ってる場合じゃないだろ」
集る者どもを押しのけて、汚れることも厭わず膝をつくとルールゥが傷を検分する。
「バカな真似をして、この子は」
ルールゥの眉間に皺が寄る。口では悪態をつきながらもその顔は母親のそれだった。
「人間はこうなったら死ぬしかない。このまま逝かせてやるかい?」
アルフレディオが激しく首を振った。
「なんてツラだい、仮にも魔王だろ? 情けない顔するんじゃないよ」
ルールゥがアルフレディオの髪を撫でた。
「心配すんな、あたしにもそんなつもりはないよ」
ルールゥは首に下げていたペンダントから小瓶を外す。
「それは……ワールデア」
アルフレディオが目を瞠る。
死者を生き返らせるという奇跡の薬だった。魔の世界においても貴重とされる樹木から作られる薬で、それは魔界の帝王の管理下にあるものだった。
本当は姉に使う為にアルフレディオが手に入れたものだった。だが、もはや魔族として生きるつもりのなかったルールゥは使うことを拒否した。やがて傀儡をかけられた弟に対し使おうとした際に、それはルールゥのものだと強硬に拒否をしたものだった。
「この子はあたしの大事な娘だ。死なせるつもりはない。あんたも、失う気はないだろ」
「当たり前だ!」
「なら、いいね?」
答えなど決まっている問いだった。返事を待つこともなく、ルールゥはセルリアーナの口に小瓶をあてがう。そして幾たりかを含ませると、残りを体へと振りかけた。
「それであたし、生きてるの?」
ルールゥが頷く。
「人に使った例はない。だから正直どうなるかわからなかった。でも他に手がなくてね」
さすがのウイッチにも手の施しようがなかったということだ。
「ワールデアは元々人の世にあるものじゃない。それによって命を繋いだお前は、もしかしたら人の世から外れた存在になるかもしれない」
「それは、あたしも魔族になるってこと?」
「断言はできないよ。人のままかもしれないが、もしかしたら……」
気の強いルールゥの瞳が僅かに潤んでいるように見えた。険しい表情は辛そうでもある。己の失態からはじまった事象に、まさか、本来なら全く関係のないはずの娘を巻き込むことになったのは、さすがにルールゥにも堪えたのかもしれない。
――けれど、それは別にルールゥのせいじゃない。
そこまでの未来を予見できるはずもない。出来る限りの手を尽くしてくれたのだ。精一杯自分を思いやってくれる、この気持ちがあるだけで充分だ。
魔族だろうが、人間だろうが。今、自分は生きている。それは間違いなくルールゥのお蔭だ。
「大丈夫よ。生きてれば、いいことあるんでしょ? いつも患者さんに言うじゃない。あたしは平気。ルールゥもいるし、それに」
傍らに目を向けると、よく晴れた空に似た色の瞳が優しくこちらを見つめていた。
アルフレディオを助けたいというのが自分の選択だった。そして助けることができた。ならば悔いはない。その結果の出来事だ。ルールゥが気に病む必要などどこにもないのだ。
「じゃあ、弟で手を打とう。出来は大して良くないが、女には優しいよ」
「一言多いですよ」
憮然としてアルフレディオが言い返した。
「ねえルールゥは知ってたの? あたしがここにいたってこと」
「ああ、知ってたよ。ついでにいえば、アディが目覚めたのも気づいてた」
寿命を刻まれてもルールゥは人間になったわけではないのだ。
「だから心配はしなかった。フィオなんかは騒いでたけどね」
「あ、フィオはどうしたの?」
「元気さ。まだここにいるから後で連れてこようね」
ルールゥが苦笑する。
「あたしが魔族だと説明もできないしねえ、あれには余計な心配をかけたよ、ほんとに」
元々はありもしない――あくまで人の世での話だが――万能薬を求めたセルリアーナ達が蒔いた種でもある。それについては一方的にルールゥだけを責めることはできない。
「ルールゥは、元々からルールゥって言うの?」
セルリアーナは魔王を見上げた。
「……なんでそれはアディに聞くんだい」
「答えてくれなさそうな気がしたからよ」
ふん、とルールゥが肩を竦める。
「ルルテリア。癒しの魔女と言われていた。子供の頃は俺もルールゥと呼んでいたから、お前が口にした時は驚いたし、娘だと言われた時はそれはもう恐ろしく驚いた」
「どうして?」
「あの姉上が結婚したのか、とな」
「あの」とは一体どんな武勇伝があるというのか。それは恐らく語られることはないのだろうが、「あの」ルールゥのことだ。きっととんでもない話だろうとは予想ができた。
姉弟と入れ替わりに昼食を持ってやってきたイリーナも縋らんばかりに喜んでくれた。
どういうわけだか一緒に食事をするのだと言ってきかないカルテミアも手放しで喜んでくれた。セルリアーナと変わらず大怪我をしたはずの彼女だが、そこは大物の魔族である。腕に巻かれた白い包帯が左右にあるだけで、殆ど完治している状態だった。
「でも、よかったわね。蘇って」
「何か引っかかるんですけど、その表現」
相変わらずくねくねしてうんざりはするものの、目覚めるまでの姉弟のやりとりやルールゥを前にした魔王の醜態を楽しそうに語ってくれた。
パルムやワーサ、サフ、アンド・トロワ、リリア・ノノアにリディと皆が見舞ってくれ、改めて安心している自分を自覚する。やはり戻るべくして戻った――帰ってきたのだ。
一通りの訪問の後、遠慮がちな来客を迎えた。イリーナに誘われてやってきたのは幼馴染の少年だった。ウォリフィオがどういう役割を担ったかは聞いている。話してくれたのはルールゥで、アルフレディオは特に何も言わなかった。
「あんたの為にしたんだ。責めるんじゃないよ」
ルールゥはそんな風に念を押した。責められずとも己の行動がきっかけで最終的にセルリアーナが瀕死――ウォリフィオはそう聞いているらしい――になったという事実は変わらないらしく、寝台脇の椅子に腰かけても暫くは俯いたままだった。
「悪かったな」
ようやく口を開いたウォリフィオの第一声はそんなものだった。
「ううん。だって助けようとしてくれたんでしょ」
何も知らなかったのだ。もし自分が同じ立場なら似たようなことをしているかもしれない。そう考えると、感謝こそすれ、責める気なんて少しもなかった。ありがとうと言うと、ウォリフィオは首を振って俯いた。
「魔王の、妻になるのか?」
「誰から聞いたの、それ」
「イリーナ。なんでセナが『様』付なのかを聞いたらそう教えてくれた」
「イリーナってば」
イリーナはセルリアーナとアルフレディオの婚姻については賛成派であり、アルフレディオの味方だ。カルテミアあたりに確認してくれれば違う答えがあったろうに。
「俺、セナのことが好きだった」
「……うん、ありがと」
それ以外返す言葉はなかった。
「結婚式には呼ばれるのかな、俺」
「っていうか、それまだ承諾してないし、そもそも向こうが勝手に言ってるだけのことで」
「でも好きなんだろ?」
言葉に詰まった。本人じゃないとしても、そうだと言葉で認めたら負けな気がする。
「相変わらず捻くれんのか」
ウォリフィオが苦笑した。
「その調子じゃ本心は言ってないんだろうな」
さすがに幼馴染である。わかってるといわんばかりの溜息が痛い。
「悪い奴じゃなさそうだし。ちゃんと言ってやれよ」
魔王だと認識しているはずだろうに、ウォリフィオの口調ではあの魔王すらその辺のチンピラと同じみたいではないか。とはいえ、その気持ちはありがたい。素直に頷いておく。
「オーリャと仲良くね」
ウォリフィオが小さく頷く。
「たまには遊びに来てよね」
「ここにか?」
ほんの少し思案するような顔をして、ウォリフィオは肩を竦めた。
「まあ、魔族の友達ってのも悪くはねえか」
ようやく幼馴染の顔に笑顔が浮かんだ。




