第1話 目覚めは突然
※転載、翻訳禁止です。
目を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは見知った天井ではなかった。
天井には天使達が舞っている絵が描かれている。
(……あれ?)
脳が完全にはまだ目覚めていないようだ。
とてもぼんやりした感覚だ。
少女はゆっくりと状況を把握しようとした。
(体がだるい……)
というより体そのものが違う気がする。
腕を持ち上げてみると細くて白い腕が目に入る。
爪は綺麗に整えられ、つやつやしている。
自分の手のはずなのに、なぜか違和感を感じる。
(……何かがおかしい。……この違和感は何?……)
ベッドから体を起こすと周囲の光景が一気に視界を埋める。
そこは広く豪華な部屋だった。
天蓋付きのベッドに美しいレースのカーテン。
壁際には大きな化粧台がある。
そこに置かれた鏡には――
自分ではない誰かが映っていた。
空色の髪に白藤色の目をしている。
美しく儚げそうな容姿の少女。
頬を手で触る。
体と手を動かしてみる。
鏡に映っているのは自分だった。
(えっ? うそでしょ?! どういうこと……これが私?!)
少女は震える手で鏡に触れた。
冷たいガラスに触れる感触が現実にある。
これは夢ではなかった。
(本当にどういうことなの?! 誰か説明して! って誰もいなかったわ!)
記憶が戻ってきたのは、突然だった。
一気に頭の中に情報が流れ込んでくる。
前世の二十年以上の記憶と今のサティーナ・シェズリスとしての記憶が交ざり合い、激しく衝突する。
かつての自分の名前は――
そう――瀬戸夕菜。
瀬戸夕菜は平凡な会社員だった。
残業続きで疲弊しながらも休日はRPGゲームをするのが唯一の楽しみとしていた。
そんな普通の人間だ。
そしていつものように仕事帰りの疲れ切った状態で横断歩道を渡ろうとしたら、信号無視のトラックが目の前にきて――
(とういうことは、あのまま死んでしまったのね。……あー、やり残したゲームがあるのに……無念……)
随分とあっさりした認識だったが、別の重要な問題が頭によぎった。
先程の自分の顔。
そして前世の記憶の中に見覚えのあるものがあった。
(これって、「恋する乙女はあなたに狙い撃ち☆」じゃない!!)
脳内で絶叫した。
友人の早瀬千佳に半ば強引に勧められてプレイした乙女ゲームだ。
貴族令嬢が学園で攻略対象と恋に落ちるというストーリーである。
そしてそのゲームのヒロインの名前は伯爵令嬢のサティーナ・シェズリス。
(これはいわゆる……私が、サティーナに転生ということよね……)
しばらく少女は鏡を見つめ続けた。
(この顔って、どうやっても儚げに見えるわー)
空色の髪が朝の光りを浴びてきらきらと輝いている。
現実逃避したい気持ちを抑えて、状況を確認しようとする。
「とにかく落ち着きましょう。深呼吸よ、深呼吸……」
深呼吸を五回した。
六回目でむせた。
前屈をしてみる。
膝までしか手が届かない。
「この体……固いし、ちょっと弱くない?」
サティーナはふと思い出した。
来週から学園に入学する時期だった。
サティーナが入学するウルバネル王立学園は貴族の子息と令嬢が通う全寮制の学園だ。
そしてその学園には――
(いるのよね。あの三人が……)
サティーナはベッドに腰を下ろして天井を見上げる。
恋する乙女はあなたに狙い撃ち☆というゲームは、友人達が自分達の好みを凝縮して作った非売品の乙女ゲームだ。
「夕菜なら絶対好きになるって! 私達の渾身の力作よ! 是非やってみて!」
夕菜は乙女ゲームはあまりしないのだが、友人の圧に負けてプレイしてみることにした。
一応はメインである三人の攻略対象のルートはクリアはした。
絵は神絵師の友人が描いただけあって美麗だった。
そこはとても気に入った。
だが、メインの攻略対象三人が、個人的には無理だった。
メインの他に隠れ攻略対象も何人かいるそうだが、誰かは教えてくれなかった。
ただ、面倒なミニゲームで高いスコアを出さないといけなかったので、そのルートはしていない。
他に幻の攻略対象もいるそうで、ランダム要素が含まれているのだそう。
そのランダム要素がなにか分からないし面倒だったので、そのルートもしていない。
「まさか、友人達が作った乙女ゲームの世界に転生するとは思わなかったわ。……あまり思い出したくないけどこの先、対策が立てれないとも困るものね……」
まず、攻略対象その一。
キジネス・マストロク。
侯爵家の次男で剣術の才能があり、熱血漢な男。
体格のいい長身で、灰色の目と赤色の短髪をしている。
ヒロインに対して大げさといえるほどの愛情表現をする。
好感度が上がると周囲の目を気にせず「お前のために何だってする!」と言ってきたり、「お前の笑顔が俺の全てだ!」と大声で言いながら抱きついてきたりする。
(……キジネスはとにかく暑苦しいキャラなのよね)
人によってはきっと胸キュンする場面なのだろう。
私はならないが。
夕菜からすると、もう少し落ち着いてくれませんかと画面に向かって言いたくなる場面
が多かった。
あれは日常的にされると疲れる。
続いて攻略対象その二。
ミシルト・キクシスト。
公爵家の長男であり、冷静で知的なクール。
とても整った顔で、銀髪と氷のように澄んだ青い目をしている。
ゲームの序盤では掴みどころのない謎めいた人物として描かれる。
しかし好感度があがるにつれて、普段のクールなイメージと違うものが隠されている。
それは重い愛情だった。
「俺以外に笑顔を向ける必要はない」「他の男とは話をするな」「あなたが誰かと話しているだけで胸が苦しい」などの発言が多くなる。
好感度が上がるとヒロインの行動を常に把握し管理するようになる。
そう、彼は相手を管理したがる男なのである。
(めんどくさい男すぎる!)
夕菜としては、交友関係に口を出さないでほしいと言いたくなる。
そして攻略対象その三。
ソクネスト・カンゴドール。
伯爵家の長男であり、物静かで穏やかな紳士的な人物。
温かみのある花葉色の髪と優しそうな青竹色の目をしている。
このルートは好感度を上げるとヒロインを世界から守るという名目で、自分の屋敷に監禁してしまうのだ。
そして完全に二人だけの世界になる。
「ずっと一緒にいようね」とその笑顔は穏やかだが、どこか影のある目だった。
(監禁はだめでしょう!)
夕菜は三人をクリアしたあとは、友人の千佳に三人とも無理と正直に伝えた。
千佳には夕菜のセンサーがおかしいと言われたが、無理なものは無理だ。
そして今、その無理な攻略対象達がいると思われる世界に転生してしまったのだ。
(……絶対に関わりたくない。全員お断りだわ!)
そう思っていると部屋の扉をノックする音がした。
「お嬢様、お目覚めでございますか?支度の用意をさせて頂きます」
声の主は侍女だろう。
サティーナの記憶の中に、マリナという名前の侍女がいた。
二十代半ばぐらいで茶色い髪をしている。
明るくて働き者の侍女だ。
「……ええ、起きているわ」
扉が開き、マリナが入って来た。
「お嬢様、おはようございます。今日は天気も良く、お顔色もよろしいですね。学園の入学まで一週間を切りましたね」
マリナの声には温かさがあった。
これが現実なのだと、改めて認識させられる。
「ええ、そうね」
マリナは、てきぱきと行動をしている。
サティーナは立ち上がり、支度のために鏡台の前に座った。
マリナが慣れた手つきで髪を梳かしはじめる。
鏡の中で、空色の髪がさらさらと揺れる。
サティーナの見た目は美しい。
前世の自分は、どちらかといえば地味な見た目だった。
今のような、これほど目を引く容姿ではなかった。
この容姿はこの世界においては、ゲームのヒロインであることの証明でもある。
それはそれで問題だ。
(できれば地味に過ごしたかったわ。でもこの顔でそれは難しそう……)
「お嬢様、何かお考えごとですか?」
マリナが鏡越しに聞いてきた。
「ええ、ちょっとね。……学園での生活を想像していただけよ」
「まぁ! 楽しみにされているんですね。きっと、ご学友もできますし、素晴らし学園生活がまっておりますよ!」
マリナは嬉しそうだ。
サティーナは鏡の中の自分を見つめながら、心の中で静かに誓いを立てた。
(絶対に平穏に過ごしてみせる。攻略対象達にも関わらない。学園での生活は、普通に勉強して何も起こさせずに卒業するわ)
その誓いが盛大に崩れることになるとは、この時点ではまだ知らなかった。
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