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天高く肥ゆる秋≪後編≫

「こんにちは、アコニートさん!」

「……シルフ・ビーベル」



 アイリーンさん座っているところより奥に座るわたくしに気づいていなかったらしく、ひどく硬い声がわたくしの名前を呼びます。



「まだお昼休憩の時間ありますから、アコニートさんもぜひこちらへ!」

「その、君は、本当に……」

「シルフって基本的に控えめで気にしいなのに、あからさまに苦手に思ってるアコニートに対してはアグレッシブよね。まあ面白いからいいけど。さああんたも座りなさい」



 わたくしはアコニートさんから好かれてはいません。ずっとあからさまに苦手に思われています。けれど苦手に思っているのを隠そうともしないこと、話しかければ必ず嫌そうにしつつあくまで丁寧で親切にしてくれる誠実さをわたくしはとても好ましく思っています。強くて、カッコよくて、きりっとして女騎士である彼女が、わたくしに声を掛けられると無下にできないところはどこか愛らしさがあります。

 しぶしぶ椅子に腰かける彼女は手に持っていた箱を机の上に置きました。



「それは?」

「実家から送られてきた。収穫の時期だからな、栗とか、芋とか。アイリーンにおすそ分け」

「やった! 毎年楽しみにしてるの! このあたりだと栗を育ててるところないから、お店買うと高くて……ありがたくいただくわ! おうちの方にもよろしく伝えておいて」

「心得た。…………君もいるか?」

「えっ、いえ! お気持ちだけで十分です!」



 慌てて手をぶんぶんと振り、物欲しそうな顔で見てしまっていたかと反省します。

 あくまでもわたくしはただここに居合わせただけ。彼女はアイリーンさんにおすそ分けしに来たのです。そこでわたくしまで分けていただこうとするのはあまりにも面の顔が厚い気がしました。



「栗や芋は好きじゃないか」

「そんなことはありませんが、申し訳ありませんし。それに暴食はよくないと思っていたんです! 最近太ってしまって」

「シルフ、あなたは太ってない」



 つい出てしまった言葉をアイリーンさんが素早く叩き落します。



「太った……?」



 相変わらず硬い声が彼女の声から出て、鋭い眼差しでわたくしを眺めまわします。再び表現しがたい羞恥心に襲われます。アイリーンさんもさることながら、アコニートさんも美しい人です。引き締まった身体に意志の強い顔つきそんなストイックな彼女になんと言われてしまうか。



「……太った、と。どこが」

「ほーら見なさい! あなたにお世辞なんて言わないだろうこの子だってこう言ってるのよ!」

「…………むしろ最初が不健康すぎただろう。身体がペラペラだった。今でも痩せすぎなくらいだ。もっと食べなさい。鍛えなさい」



 アコニートさんの言葉にはっとします。

 体型の話、となるとアイリーンさんよりアコニートさんの方がよく知っているだろうと思い当たりました。わたくしが陛下に拾われた夜に、着替えをさせたのはアコニートさんだと聞いています。

 一般人であるアイリーンさんの手前、“最初”がいつを指しているのかわかりませんが、きっとその時のことをおっしゃっているのでしょう。



「もっと食べなさい。遠慮はしないでいい。ただのタイミングの問題だ。私がアイリーンにこれを持っていくタイミングで君がいた。そして私が君に食べさせたいと思った。それだけだ。君に気を遣っただとか、君が物欲しそうだったとか、そういう訳じゃない。私が君にやりたいと思ったんだ」

「相変わらず不器用で迂遠ねえ。シルフ、ありがたくもらっておきなさい」

「ですが……」

「いい? ここでもらっておけばアコニートにお礼をするって名目でプレゼントを渡したり食事に誘ったりできるのよ……!」

「君はたまに本当にろくでもないことを言い出すな……!」

「シルフとぎこちなく話すあんたってかわいいのよ。知らなかった?」



 ニコニコと満足げにしているアイリーンさんと眉根を寄せるアコニートさんにこちらも嬉しくなってしまう。アコニートさんと話すアイリーンさんはいつも以上にカジュアルで楽しげなので見ているだけで喜びを分けてもらっている気分になります。



「シルフ袋とか持ってる? もうすぐお昼休憩も終わるし分けちゃいましょ」

「分けなくていい。彼女には私が別に持っていく。どうせその細腕では運べもしないだろう。アイリーン、君はそれをそのまま持って帰って」

「……あら、シルフにはデリバリーしてあげるの? 優しいわね」

「君もデリバリーが良いなら業後に迎えに行こう」

「さすが! ありがとう助かるわ!」



 一瞬時計を見るとアコニートさんはさっと席を立ち、扉の方へ向かいますが、思い出したように笑いました。



「もっと話がしたかったなら、素直にそう言いなさいアイリーン」



 揶揄うようにアイリーンさんの頬を撫でてそう言うと、さっと部屋を出ていかれました。



「…………、」

「アコニートさんって本当にかっこいいですよね……! 不器用で、優しくて、親切で、ぶっきらぼうに見えて触れる手つきは丁寧でって、もうお伽噺のヒーローみたいですもん。……アイリーンさん?」



 惚れ惚れとアコニートさんが姿を消した方を見ていましたが、なぜか当のアイリーンさんは酷く悔しがっているようでした。こちらはこちらで、いつも落ち着いて余裕のあるアイリーンさんではなかなか見ない表情です。



「あなたの前だからカッコつけようとしてるのよ……! 普段はもっと情けないのよあの子! すぐ迷うし、すぐいじけるし……」

「そういうところも大好きなんですね!」

「……あなたもいい性格してきたわよね!」



 そう言うと彼女はわたくしの顔に手を伸ばし、遠慮なく顔を触ります。痛くはありませんがこそばゆく疑問符を浮かべていると、アイリーンさんはなぜか困った顔をしました。



「あいひーんひゃん?」

「……あのね、腹いせにもちもちしてるけど、あなたのほっぺはすごく気持ちいいんだけど、嫌なことは嫌って言わなきゃだめよ? してる私の言うことじゃないけど」



 そっと顔から手を離され、なるほどこれがアイリーンさんの言っていた“もちもち”なのかと独り言ちます。ほっぺをもちもち。確かに少しふっくらしているほうがほっぺの触り心地は良いのかもしれません。



「嫌じゃないですよ? 痛くないように気を遣ってくれてるのはわかりますし、アイリーンさんがわたくしのことを好きなのは伝わってきますので、素敵なスキンシップだと思います」

「あなたって本当……本当に良い子……」



 私の傍に来ると今度はほっぺではなくぎゅうぎゅうとハグをされます。

 こちらも居心地がよく、されるがままになります。


 顔に触れるのも、ハグをするのも、愛情表現であると知ったのはダーゲンヘルムに来てからでした。わたくしの知らない素敵な文化、素敵な人たち、素敵なコミュニケーション。


 思っていることを文字にするのは良いでしょう。きっと正しく伝わります。

 思っていることを言葉にするのも良いでしょう。きっと重ねやすいでしょう。


 けれど文字や言葉にしなくても、触れれば温かく思いが伝わることでしょう。

 少なくとも、アイリーンさんからはよく伝わってきます。


 13時の鐘が鳴るころ、ふと思い出します。

 わたくしは愛を受け取るばかりで、自分から渡したことが果たしてどれだけあったでしょう、と。






 17時も過ぎれば、外はすっかり日が落ち、気温も下がる秋の様相。持ってきていたカーディガンを羽織りアイリーンさんと共に図書館から出ると、職員用出入口にはお昼に会ったばかりのアコニートさんが立っていました。



「お疲れ様。荷物は君の家まで運ぶよ」

「わざわざ運びに来てくれるなんて、真面目ね」

「来なかったら君、怒るだろ」



 少しだけ困ったように眉を下げると、二人を眺めていたわたくしに目線が移りました。



「それと、ほかのはまた君の家に持っていくから、これを持っていくと良い」



 この程度なら君の細腕でも持てるだろう、と寄こされたのはサイズの割には重みのある包みの入った紙袋でした。



「こちらは?」

「ベーコン。栗や芋も旬だが、うちでは秋に家畜を潰して冬に備える。秋の風物詩の一つのようなものだ。量がある。持っていくと良い」

「ありがとうございます!」



 二人と別れ、帰路に着きます。少しだけ重いベーコンは、どこか温かく幸福を感じさせました。ふと立ち止まりあたりを見回します。


 そこは通い慣れた王都の大通りです。日が落ちても人が忙しなく往来を行き交い、明かりの灯った店からは機嫌のいい笑い声が聞こえます。風を吹けば街路樹がざわざわと揺れ、耐えきれなくなったように枝から離れる木の葉を攫って行きます。風は道に滞積する落ち葉を舞い上げくるくると躍らせ、道行く人は着ているコートを北風に奪われまいとするように袂を手繰り寄せます。


 秋になると家畜を潰すこと、栗や芋が旬になること、通りに植わり彩を添えるメタセコイヤ、空に浮かぶまばらな羊雲。


 どれも何も、知りませんでした。知る必要のない些細なことで、日々生活する世界のただの背景。ダーゲンヘルムに来て、いかに自身が解像度の低いぼやけた世界で生きていたかを思い知らされます。

 今更それが悪いことだとは思いません。けれどそんな生き方は酷く味気なくさっぱりとしたものだろうと、ただ単純に、そう思います。


 必要なことを、必要なものを、必要な分だけ。

 それはきっと、無駄のないことでした。無駄な時間もなく、無駄な行動もなく、無駄な贅肉もない。無駄を削ぎ落されたそれは、確かに身軽でしょう。けれどその身軽さとは貧相さであり、身体の重さは同時に豊かさの証左とも思えます。



「シルフ?」

「へ、……ファルさん!」



 明かりの灯った大衆食堂から出てきたのは本来ここにいるはずのない、この国の王でした。

 ついいつものように陛下、と呼びそうになるのを何とか飲み込み、キャスケット帽に相応しい名前を口にしました。機嫌よく足取りの軽い彼は背後から呼びかけられる声も無視して私のすぐ隣に立ちました。



「仕事終わりか」

「ええ、その、ファルさんは……」

「鬼ごっこをしている」

「あぁ……」



 悪びれることなくけろっと宣う陛下に思わずため息にも似た相槌が零れ落ちます。王城から逃亡して、街をぶらつきつつ部下の方々を撒いているのでしょう。今頃血眼になって探している彼らを思うと落涙を禁じえません。



「食事はまだか。良かったらこのあたりで食べて行かないか」

「申し訳ありませんが、また別に機会に。本日は頂き物を持っているのでできるだけ早く帰りたいのです」

「頂き物?」

「アコニートさんからベーコンを頂きました」



 ずっしりとした紙袋を持ち上げると陛下は猫のように目を丸くして、それからにんまりと愉快そうに笑いました。



「そうか。アコニートとは良くやれているか」

「あんまり好かれてはいませんが、わたくしは大好きです!」

「ふはははは、そうか! それは重畳! お前が好きならそれで良い。あれは元来気難しい。だがその分、好意を持って近づく人間の拒否の仕方も知らん。そのうちお前にも慣れるさ」



 呵々と笑う陛下につられて思わず笑顔になります。

 この方も愛情表現が豊かです。レオナルドさんやアコニートさんをはじめとした部下の方々のお話をする陛下は、本当に彼らのことを愛しているのだと伝わってきます。雑に扱っているように見えて、よく皆のことを見ていて、尊重して、頼りにしていて、たまに甘える。そこには外部からでは到底表現できない確かな信頼関係があるように感じられます。



「陛下はこのあとは」

「そうさな。もう1軒くらいどこかへ行こうかと」

「でも部下の方々も陛下をきっと探されていますよ」



 わたくしの言葉に機嫌よく笑っていた口がキュ、と結ばれます。怒っていません。ただ少しだけ不満で、ほんのちょっと我儘を言いたいときの顔。


 本当にわたくしは、いろんなことを知ることができるようになりました。



「一緒に帰りましょう。このベーコン、わたくしには少し重いみたいで、持っていただけませんか?」

「……どれだけ重いベーコンなんだ」

「本より重いものは持てませんので」

「嘘つきめ」



 この私に荷物持ちをさせる不敬者などいないというのに、そう嘯きながら私の手から紙袋を攫っていきました。


 そこにはもう少しの不満もなく、少し下から見上げた横顔は機嫌よく口角が上がっています。

 長いコンパスをわたくしに合わせるように緩やかに歩を進め、今日あったこと、聞いたことをとりとめもなく話します。どれもこれも必要でないことでしょう。けれどわたくしが共有したいと思ったことです。


 一緒に帰ろうと言われたら嬉しいことでしょう。

 一緒にいないときの出来事を共有して、少しでもその景色を想像できることは嬉しいことでしょう。

 アイリーンさんのようにハグをしたり頬に触れたりする以外にも、愛を表現する方法をわたくしはもう知っています。


 わたくしにできる方法で、少しずつ。



「随分と機嫌が良いな」

「ええ、とっても。好きな人に会えることはとても嬉しいことです」



 アイリーンさんと会い、アコニートさんと会い、フィアーバさんと会い、陛下と会う。

 わたくしにとって、大事で、大好きで、尊敬できる人たち。そんな人たちと過ごせるこの日々の、なんと素晴らしいことでしょう。



「……お前のその言葉の足りなさが、時たま憎らしく思える。まるで私の独り相撲のようではないか」

「どういう意味ですか?」

「情緒が未だ生まれたてのお前にはまだ早い、という話だ」



 重ねられた言葉をもってしてもどういう意味か分からず首をかしげました。もう子供ではないというのに、陛下は未だ時折わたくしのことを幼子のように扱います。


 より詳しく聞こうとして、口を閉じました。

 空いていた手をやんわりと引かれます。市井に降りてファルと名乗る彼は、いつもはめている黒い手袋をはめていません。北風に晒され、知らず知らずのうちに冷えていた手がじわじわと温かくなります。


 きっとダーゲンヘルム王のことを怪物だと思っている人たちは、その手が温かいとは想像もしないのでしょう。


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