湯屋と同郷人
ルカはリリスと別れると、宿へ向かった。
ミレイラは、ルカの後をついて行った。
いつもと逆だ。ルカは私の後ろについていてくれた。
ルカが後ろにいない事が、こんなにも心細いとは思わなかった。
宿に着くと、カウンターには老人しかいなかった。
奥さんは、昼寝の時間だそうだ。
ルカは湯屋に、持っていくべきものがあるか聞いた。
金を払えば、手ぶらで行けると聞くと、そのまま宿を出て湯屋を出ようとした。
ミレイラは、ルカの行動が分からなった。私を守ってくれるのでは。
今は、まるで私が存在しないかのように振る舞っている。
護衛以上の、重要な何かあるのか。
ミレイラはルカに聞いてみた「どこに行くの?」
ルカは「湯屋に行く。ミレイラも一緒に行く?」
本気で湯屋に行きたいだけのようだ。何のこだわりだろう。
しかも、敵味方が入り乱れているであろうこの町で。
ミレイラは仕方なく「一緒に行く」と答えた。
仕方ない。それ以上に不安な気持ちでいっぱいになった。ミレイラは湯屋には行ったことが無い。
屋敷にあるし旅先の宿にも、概ねあった。
他人と一緒に湯に浸かるのか。恥ずかしい。
ふと、ルカの背中を見ると、もっと恥ずかしくなった。
湯屋に着くと、ルカは金を払うとミレイラに、衣はいるかと尋ねた。
ミレイラは、何のことか分からなかった。
ルカによると、薄い衣で湯に浸かる人と、そうでない人がいるそうだ。
ミレイラは、迷うことなく衣を頼んだ。しかし、ルカは頼んでいない。
奥に行くと、湯から上がった人たちが涼んでいる。
井戸水だろうか、冷たい水が用意してある。
ミレイラは、入り方がわかなかったが、見よう見まねで準備した。
ルカを探すと、すでに洗い場に入っていた。
ルカは、さっさと体を洗うと湯船に浸かっている。
ミレイラも体を洗うと、ルカの隣に行って、湯に浸かった。
ミレイラは、始めは恥ずかしくて顔を上げられなかったが、慣れてくると、入り方は人それぞれだと分かった。
確かに、衣を着ている人と、着ない人がいる。足だけの人、肩まで浸かる人、浸からずに湯だけたっぷり浴びる人。
色々な人が居る。
ルカのような、何もつけずに肩まで浸かる人は少数のようだ。
ルカは国の話をし始めた。
「訓練が終わったら、みんなで湯に浸かってた。小さい時だけど。」
「荒地ばかりだけど、お湯はたくさんあった。疲れもとれるし、傷の治りも早くなる」
そう言いうと、大きく伸びをした。
ミレイラは、温泉の事を思い出した。
地面から湧き出る天然の湯で、傷の治りをよくしたり、病気を癒す効能があると言う。
この国にもあるが、険しい山岳地帯にしかないので、気軽には入りに行けない。
ルカは故郷を思い出しているのか。
一人で遠くから来ている。どれくらいの時間をかけて、この地についたのか。
しかし、今はリリスが情報を求めて、町を回っている。すれ違いの事を心配していた。
望郷が悪いとは言いたくないが、のんびりし過ぎではないだろうか。
ミレイラが、リリスが帰ってきているかもしれいないと言うと、ルカがミレイラを見て言った。
「頬の傷。血は出てない?」
ルカの頬の傷は、少し赤みが増しているように見えた。
「大丈夫だけど、少し赤くなっているかな」
ルカは長風呂が好きだが、長く浸かると頬の傷が開くそうだ。
「ならいい。先に上がって。もう少し入って出るから」
ミレイラは、分かったと言うと、先に上がった。
ルカは湯に浸かりながら、天井を見上げた。
天井に張り付いていた水滴が、顔を打った。
向かいで湯に浸かっている女がルカの隣に移ってきた。
女は言った「聞いてた話と違うんで、間違えたかと思ったよ」
ルカが、「何が」と言うと、女は良くしゃべる事と言った。
確かにそうかもしれない。いつも一人で、目の前の剣士を斬れば良かった。
誰にでも、頷くか首を横に振るかで、事足りていた。
ルカは、今の自分を悪くないと思っている。
「こんな所でも現れるんだ」
女は間者だ。重要な事を伝えに来たはずだ。
女は「偶然だよ。私も国を離れて長い。あなたと会う前に、ここに来てしまった。魔が差したよ」
そして、告げ口はなしだと言った。
間者でも、湯が恋しくなるのか。
女は「リリスに接触している女がいる。最近、王が目覚めさせた者だ。やり過ぎなんで、上は交代をさせたがっている。お前は待機だ。その女は無視しろ。」
そして、赤い髪の女が、ティファニアに接触していると言った。
ルカは「その女。手を出して来たら?」
女は「斬れば前が追われる。この掟は変わらない。お友達がかわいいのなら、大人しくしとけ」
そして、自分の頬を撫でる仕草をしてみせた。
ルカは、頬の傷を指でなぞると、血がついていた。
ここまで長く湯に浸かったのは、どれくらい前だろうか。
ルカは「先に上がる」と言って、湯から上がった。
赤い髪の女。美味しい茶葉をくれた人が来ている。
リリスは市場に向かうと、反物を扱う店が集まる場所を中心に見て回った。
遠くから運ばれてきた、凝った模様の絨毯や、仕立てられた服、色とりどりの布地。
リリスにとっては、今はただの布でしかなかった。
探して、どうなるものでもないんだが。
あの女の事は諦めて、自分で偽造屋をあたるか。
ルカの身分証がある、出来の良し悪しが分かるだけでも、幸運だ。
リリアが市場を出ようとしたとき、ある布地が目に飛び込んできた。
テーブルに敷かれてる飾り布。その縁には、若草の刺繍が控えめに施されていた。
あの女の刺繍だ。リリスは直感的にそう思った。
店主に聞くと、西の商店から、たまに仕入れるそうだ。
その店の主人の刺繍が入った布地は、よく売れていると言う。
リリスは、その主人は今日、この町にいるかと尋ねると、見ていないそうだ。
しかし、仕入れでこの市場に来ることは珍しくないと言って、いつも泊まる宿を教えてくれた。
礼に、ハンカチを二枚買った、縁に二匹の小鳥があしらわれている。
あの女ほどではないが、きれいで凝った刺繍だ。
ルカとミレイラにあげれば、喜ぶだろう。
リリアが宿に向かう途中、後ろから声をかけられた。
「こんにちは」
振り返ると。あの女がいた。黒の布地に青い刺繍が踊っている。
上半身は体の線が浮き出るほどに絞られている。
外套を着ていなければ、男たちの好奇の目で見られるだろう。
しかし、女の本性をしるリリスにとっては、邪悪さを感じるばかりだ。
「後ろ姿が似ていたので、声をかけづらかったのですが、当たってましたね」
「偶然ですね。私の服を見て、興味がわきましたか?見る目がありますね。一着、仕立てあげましょう」
いつものおしゃべりだ。今日は付き合っている暇はない。
リリアは、女に身分証と通行証が必要だと言った。
「そうですね。用意できなくもないですよ」
「ただ、私は別の用事で手が離せません。だって、今日は仕入れで来ているので」
「そうだ。手に入れる方法を紹介しましょう」
女は、そう言うと、商業地区と工業区の境に、民間の職業紹介所の事を話し始めた。
「そこに行って、仕事を探してください。身分証が必要な仕事ですね。無いと斡旋してくれないわけですが、ごねてください」
「で、諦めて帰ると、声をかけてくる男があらわれます。怪しさ満点です」
「後は、値段交渉ですね」
リリスは、信頼できる者か尋ねた。
「それはわかりません。ご自身でお確かめください」
そう女が言うと、市場の方へ立ち去った。
リリスは、あの女の様子がおかしいと思った。いつもなら、ルカの情報や、こちらの安全に関わる情報を言ってくる。
当然、この前のように、際どい状況に巻き込まれる可能性はある。
あの女も動けずにいる。こちらを餌に、何かがかかるのを待っているのか。
あの女にとっては、それで結果が得られればいい。
しかし、この前の斬り合いのように、ルカを斬り合いに誘導しかねない。
入手の方法は分かった。一旦、宿に戻って、ルカとミレイラの様子を見てからでも遅くない。
リリスが宿に戻ると、ルカとミレイラがいた。
本当に湯屋にいったらしく、二人ともさっぱりしている。
とりあえずは、何事もなかったようだ。
しかし、二人の姿を見て、安心より憤りを感じた。
ミレイラは、肌着でベッドに横になっていた。目には濡らした布を置いて涼んでいる。
ルカが口に指をあてて、静かにするようにと伝えてきた。
ルカが扇子であおいでやっている。気持ちよくて油断しているのか、部屋に入ったことに気付いていない。
ミレイラが、喉が渇いたと言うと、ルカが水を飲ませてやった。
ルカを召使いのように使っているミレイラの姿に、この女の本性をみた気がする。
そして、何よりも汗だくになって、帰ってきたら、この二人の姿。
納得いかない。
リリスは、ミレイラの額を力いっぱい指で弾いてやった。
ミレイラは、悲鳴と共に飛び起きた。額に小さく赤いあざが出来た。
ミレイラは、眉間に皺を寄せて自分を見下ろしているリリスに、消え入りそうな声で「ごめんなさい」と言うと。気まずそうに上着を着た。
リリアが深いため息をつくと、身分証の事について、二人に話始めた。
入手方法は分かったが、粗悪なものになるかもしれない。
何よりも、入手することで、何らかの厄介ごとの巻き込まれるかもしれない。
再度、ルカの国の物を手に入れることを考えた方が良い。
そう言うと、案の定、ミレイラが危険は承知の上だと言った。やはり時間が惜しいと。
ルカが、興奮するミレイラをおいて、口を開いた。
「私の国の女と会ったな。そいつはクビだ。私は、新しい者が来るまで動かない」
「リリスは、その女との接触を絶て」
ミレイラは、ルカの口調に驚いている。いつもと違う、まるで、上官が下士官に命令するような口調。
ミレイラ、驚きで反論の機会を失って、呆然とルカを見ている。
同じだ。リロワの隠れ家の時のように。剣士としてのルカがいる。
リリスが、なんでクビになるのか、ミレイラの目的はどうするのか聞いたが、ルカは答えない。
ミレイラは、まだルカの口調に押されて、口が開けないでいた。
ここまで駆けてきた意味は何処に行った。
リリスは、深いため息をついた。疲れた。
ルカがリリスの様子をみて、「湯屋に行く良いよ。疲れが取れる」と言った瞬間、リリスがルカを睨みつけた。
ルカは、生まれて初めて、相手から目をそらした。




