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優しい嘘  作者: 神崎ゆう
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3/3

愚かな人

最低で、最悪で、無様で。

私はそんな人間でありながら妹の幸せを妨害した。

そして今、私はその罪にようやく気付いたのだ。



「優弥、こっちへ来て」

幼い頃、私がそう手招きすれば彼はすぐさま飛んできた。

あの頃の私にとって、私の世界は父と妹と優弥とで回っていたのだ。

母との思い出はあまりないが、その分優弥がそばにいて私の世話を焼いてくれたから格別さみしくもなかった。

「姉様ばっかりずるい」

と、二つ下の妹が泣きべそをかいて私に訴えるのは可愛くて、優弥がそちらに気を取られるのは少し悔しかった。

「アキ様も大切ですよ」

と微笑む優弥を見れば、その悔しさは一層強まった。

妹のことは可愛かった。

姉様、とおぼつかない口調で私の袴の裾を引くのはとても庇護欲をそそられた。

ーーけれど、優弥を取られるのはどうしても嫌だった。

母様が亡くなった時、約束したじゃない。

「私がそばにいますよ」

「だから泣かないで」

貴方はそう繰り返し私の頭を撫でてくれたじゃないの。

ただひたすら着物にシワができるほど拳を握りしめながら私はそんなことを思っていた。


そんな幼少期からしばらく経ち、私が十一となった年の秋。

父は私の婚約者を発表した。

幼い頃数回会った憶えのある子爵のご令息。

私は自分がいつか政略的な結婚をするのだろうとはわかっていたから何も傷つかなかった。

ふうん、とだけ私は言った。

でも、問題はそこじゃない。

父は妹には自由な結婚を許すといい、妹は優弥と結婚したいと言ったのだ。

優弥はーー心底嬉しそうに微笑んだ。

なぜ?どうして優弥をアキに取られなくてはならないの。

私の優弥なのに。

私の、私のーー‼︎‼︎


嫉妬に燃える私に、忠実な『影』が出来たのはこの数日後であった。

父は、いずれ跡取りを産む私に、人を使うという事を教えたいようであった。

私の忠実な、まるで忍者のような下僕(しもべ)は夜のような、妹ほどの年の男の子であった。

「青山でございます」

あどけない表情の中に頑なな闇を示す青山。

彼の存在は私と父以外知るものは無く、私は優弥に頼めないような、後ろ暗いお願い事を青山に託した。



「優弥、優弥、ねぇこのお菓子美味しいの。一緒に食べましょう?」

優弥は、私の誘いに一つも乗らなかった。

「使用人ですから」の一言で壁を作った。

私はそれがひどくさみしかった。

そして淋しいと同時になんとも言えない空虚さと苛立ちを抱えた。


優弥がアキを好きなことは、彼の視線でわかった。

彼は私のそばに居ながら、視線はいつもアキに向いていた。

咳き込む私の背中をさすりながらも、その視線は見舞いに来るアキに向けられていた。

アキが優弥、と一言口にすれば彼はたちまち嬉しそうに口を緩める。

なぜ?

私が彼の名前を呼んでも、彼は笑ってくれないのに。



「……青山、」

「はい」

青山の声は夜に溶け込むように低い。

成長した彼は端整な顔を無表情のまま崩すことはなく、淡々と私のそばに居続けた。

「お茶美味しい?私が淹れたの」

「はい、香りもとてもよいです」

青山は私を主人として扱いながらも、私と共にお茶を飲んだ。

無口な彼は、不思議と私に対して壁がないように感じ、私はそれに妙な胸の高鳴りを覚えた。

それは日毎強まる謎の感情。


でも、やはりそれと同時に思うのは醜い、焼けるような焦燥感。

青山は私のそばに居てくれるのに。

なのにどうして優弥は居てくれないのーー?


青山と優弥を比較すればこそ生まれるその愚かな苛立ちはついに私を追い詰めた。


「青山、お願いがあるの」


あの誘拐事件は私のその一言で始まった。

ーーあの誘拐事件の真相なんて陳腐なものだ。

青山が、どこぞの悪い輩を消しかけて私を誘拐させたのだ。

そして、その筋書きをお願いしたのはもちろん私だった。

アキが巻き込まれたのは計算外だった。

怯えながらも私のために懸命に振る舞う妹には確かに良心が痛んだ。


それでも私は優弥が諦められなかった。

小さい頃からそばにいてくれた人。

これからも私のそばに居なくてはならない人。

私を守ると約束してくれた人。

そんな優弥が、私から離れるなんて。



誘拐事件は成功した。

父から命令が下ったのか、優弥は今まで以上に私のそばに居るようになった。

社交界で不名誉な噂が流れ、件の婚約は破棄となったが私はむしろ安堵した。

これで優弥がそばに居てくれる。

嬉しかった。

ーー嬉しいはずだった。

でも優弥がそばにいる代わりにアキがよそよそしくなった。青山の姿を見る時間が減った。

私は何かを失っていくような気がした。

それを言えば青山は蔑むように笑ったのだ。

「これが、ハル様の望んだことではありませんか」

滅多に見ない彼の表情に私は何故か絶望した。






あれから数年後。

新たな婚約話が、アキへと流れ、私と優弥の婚姻が決定した。

そう父が告げた瞬間私は、何故だろう、まったく嬉しくなかった。

アキを思わず見やった。

痛々しい笑顔で「おめでとう」とはにかむアキを見て、私はどんどん冷えていった。

アキの奥に立っていた優弥は苛立ちと悲しみを混ぜたような色でアキだけを見ていた。

手に入れたいと願い続けた彼を手に入れたのに。

なのに、どうして私はーーー


「おめでとうございます、ハル様」

青山は表情一つ変えず祝辞を述べた。

背の高い彼を見上げ、そこに感情を探したが月明かりが邪魔をするせいで何も見当たらなかった。

「…そうよね、おめでたい…はずなのにね。

ねぇ、青山、どうして私は笑っていないのかしら」

「長年お慕いしていた方を手に入れられたのに、何がご不満なのですか?」

「…お、したい……?」

…私は確かに優弥が欲しかった。

そう、『欲しかった』の。

私は彼が好きだと、彼に恋しているとそう思ったことがーーあったかしら。

これは恋なんかじゃなくて、まるでお気に入りの玩具に対する子供の執着のようなーー


「ハル様、」

呆然とする私の思考を打ち消したのは青山の、初めて聞くような柔らかな声音だった。


「私は、貴方をずっとお慕いしておりました」


青山の笑顔を見たのは初めてだ。

こんなに美しく笑うのか、私の唯一の影は。

自分でも名前のつけられない感情の悲鳴が喉を震わせた。

喉の奥が握りしめられたように苦しくて、熱い。

ねぇ、これはなんの涙なの。


「あ、あおや「どうか、お幸せに」


呼び止めることさえさせてくれずに、青山は私の頬に一つ口づけをした。

ひどく熱い口づけだった。


「さよならですね、ハル様」


夜を背にして青山が消えてしまう。

「行かないで…っ‼︎行かないで青山‼︎待って‼︎」

急いで彼の消えた窓の下、真っ暗な庭に泣いて叫ぶ。

満月なのに、涙が邪魔して彼を探し出せない。


「行かないで…っ…待って……」


愚かな私をバカにしていいから。

ねぇ、だって青山、私はおそらく貴方がーー


叫ぼうとして、私は閉口した。

なんて恐ろしい事だろう、青山に想いを告げるなんて。

今更自覚したこの感情を伝えるなんて。


私はアキを傷つけて、優弥を傷つけてまで優弥を手に入れたのに。

子供のような幼稚さで彼を手にしたのに。

愛する二人の幸せな未来を壊したのに。

それなのに今更、青山に恋をするなんて。



絶望が押し寄せた。

自分の過ちの重さに気付いて涙が出る。


愚かな私には何も残っていない。

満月の夜、私は『影』さえ失ってしまった。



罪の重さに慟哭しながら、私はひたすら闇を見ていた。






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