信じて欲しかった人
白無垢の美しい花嫁。
優しそうに微笑む袴姿のお相手。
差し出す手に掌を重ねるお二人の姿はまるで雛人形のようだった。
それを見て胸の痛みが強くなる。
そして、思う。
これは自業自得の結果だと。
商家として栄えながらも男爵の爵位を持つこの家に代々仕えるのが私の家だ。
五つの時からお仕えするこのお屋敷には大事に育てられている二人のお嬢様がいた。
「優弥、優弥、来て」
長女のハル様は、いつも私をそばに呼んだ。
彼女とは五つの時からそばに居るせいか、体の弱いハル様を守らなくてはと刷り込みのように思い続けたせいか、私は不相応ながらハル様を家族のように思っていた。
「優弥絵本を読んで」
舌ったらずな声で朗読を強請る彼女が大切だった。
仕えるべき、旦那様に次ぐ第二の主人とも思っていたから尚更だ。
ーーでも。
彼女とは別の意味で大切な人が、いた。
最初はそれこそ、ハル様と同じように妹のように感じた。
よたよたと私を追いかけてくるアキ様はひどく愛しかった。
その想いが恋に変わったのはいつだったか。
彼女が九、私が十一の時。
「じゃあ優弥と結婚したい、ね、いいでしょう?」
旦那様に好きな相手を探して結婚しろと言われたアキ様がそう笑った時。
私は嬉しくて、もちろんだと笑って頷いた。
多分私はこの時初めて恋心を自覚したのだ。
私は、絶対に彼女と結婚しようと決意した。
ーーしかし、仮にも使用人。
私はアキ様と結婚するために努力した。
勉学も、運動も、そして仕事も。
何事も正確にこなした。
誘拐事件が起きた時も、腸が煮えくり返りそうな怒りを覚えながらも、ハル様の救出を担当しろと言われたら、私はアキ様を放ってハル様に手を差し伸べた。
本当はアキ様を助けて、抱きしめるべきだとはわかっていた。
でも、私は信頼を得たかった。
私にならアキ様を任せられると、判断してもらえるように。
躍起になった私は気づけなかった。
「優弥……あの…、」
私を呼ぶアキ様から笑顔が消えていったことに。
遠慮がちな声。
伏せた視線。
消えてしまいそうなその姿は、簡単に触れることすら躊躇われた。
「アキ様?」
「…ううん、なんでもないの」
それからしばらく経ったあと、私はハル様の新たな婚約が決定したことを聞かされた。
喜ぶ私とは対照的にハル様は、私の前でひっそりと涙を流した。
そして、更に驚くべきことを聞いたのはそれからわずか数日後だった。
「ご婚約…ですか…?アキ様が?」
旦那様が言った言葉に、頭の整理が追いつかない。
何故?どうして、アキ様がーー。
「アキがどうしても、と。
それで優弥、お前はハルのもとに来ないか」
「ーーえ?」
にこやかに笑う旦那様は私の気持ちに少しも気づかないようだった。
そして私は気づく。
私はハル様ばかりで、アキ様に関することにあまりにも関わっていなかったと。
これは、自業自得だ。
白無垢のアキ様。
待機の部屋には誰もいなかった。
彼女はなにも言わずにただただ床を見つめていた。
「……綺麗でしょう」
「………はい、とても」
涙が出るほど、綺麗です、とはとても言えない。
その涙が悔し涙であればあるほど。
「…私はそのお姿を出来れば隣で拝見したかった」
最後のわがままだ。
私は初めて、彼女を困らせてやろうと思ったのだ。
ーー彼女の心に少しでも残りたくて。
「そういう冗談はダメよ。姉様が傷つくわ」
「貴方は、何か勘違いなさってます」
アキ様は、小さく微笑むだけでなにも言わなかった。
小さな掌がゆっくり私へと伸びた。
焦がれて、焦がれて止まなかった彼女。
私の頬に触れたその手。
「こんな風に触れるのもこれが最後ね」
名残惜しそうに離れたのは刹那。
私がその手を握りしめたのも、刹那。
彼女は弾かれたように私を見上げた。
「ずっと、触れてみたかったのです、貴方に」
そう本音を言えば、彼女は泣きそうに顔を歪めた。
幸せな花嫁、とは程遠い表情。
それを作っているのは私なのだという妙な優越感と、不思議な虚無感。
「……貴方は信じてくださらないけれど…。
でも、でもどうか最後に聞いてください」
彼女の小さな手の甲に唇を落とした。
彼女は掠れた小さな声でやめて、とうわ言を発し、首を横に振った。
まるで怯えているように。
それでも私は彼女に伝えたい。
私がきっと彼女を一生忘れないように、彼女も私を忘れないように。
こんな独りよがりの幼稚なわがままを誰が許してくれるだろうか。
否、許さなくて、いいから。
「私は、貴方をお慕いしております」
貴方に恋をすることに一生懸命で、貴方に触れることも出来なかった臆病な一人の男のことを。
貴方を想い続けるだろう愚かな男を。
どうか、どうか忘れないで。




