11 王子を殺せば人魚に戻るが…
夕方に船に乗り込み、明日の朝にはツィーブラウの港に着く。寝ている間の船旅だ。
みんなが寝静まった夜、特等席にいる王子の元へ。
王子はぐっすり眠っている。穏やかな船の揺れが眠りを誘っているのか、殺し屋の気配にも気付いていない。
持ってきた海の王国のナイフを鞘から出し…、
…
そのままゆっくりと鞘に戻した。
やーめた。くだらない。
たかがブラをゴミと間違えて引っ張ったくらいで、結婚か、死かって。やっぱりおかしいよ。
結婚は好きな人とするものだし、あれくらいのことで死ぬ必要もない。
これから愛する人に会いに行く人を殺しちゃだめだ。アンシェラとかいう人も、悲しんでしまう。
殺したいほど極悪人でもなかったし、むしろ私には良くしてくれた。だから、もういいよ。もうおしまい。
じゃあね、王子。バイバイ。
そっと船室の扉を閉じて、甲板に出た。
さて、私はどうしよう。
父に叱られるかな。もう一度殺しに行けって言われるかな。
ここから離れた方がいいよね。足は尾びれに戻せないけど、泳げるところまで泳いで、海の王国からも離れたら大丈夫かな? 人の足でどこまで泳げるかわからないけど。
沖を見ると、月がきれいだ。私を導く道のように海面に伸びる光。
たどり着いた先がどこになろうとも、海こそが私が帰るところ。
ま、何とかなるでしょ。
手すりに手をかけて、海へ、ダイブ!
「危ないっ」
船から離れようとする腰に腕が巻き付き、そのまま後ろに引かれて倒れ込んだ。
私を掴んで船へと引き戻したのは、さっきまで寝ていたはずの王子だった。
「死ぬ気なのか」
(いや、あの、…帰る、というか)
「… カエル」
「僕を殺しに来たんじゃないのか」
えっ???
恐る恐る振り返ると、王子は恐い顔をして、私を見ていた。
ばれてる。さっき刃物を向けたのがばれてる。殺されそうになりながら、寝たふりしてたの? まさか。
「僕が君に何をして殺そうと思ったのかは知らない。でも君が死んでどうする。…死ぬな」
いや、死ぬ気はないけど。
殺しに来た者に死ぬなって…。そんなこと言われたら、困るなあ。
この人を殺さなくて良かったって、思ってしまうじゃない。
(あなたは死ななくていい。破廉恥でも、不埒物でも、もういいから)
「シヌナ ハレンチ フラチモノ」
王子が目を丸くし、固まった。翻訳がおかしいのかも知れない。でも言葉を止められない。
(私が人魚に戻れないのは自分で何とかする。元々の二択がおかしいのよ。私は何とか逃げるし、逃げられなかったらその時は父に殺せませんでした、結婚もしませんって言う。許してもらえなければ、泡にでも何でもなるし)
「… …」
ああ、長文過ぎたな。もういいや、伝わらなくても。
(私が助けた命、大事にしてね。お幸せに…)
「… …」
笑顔を作って立ち上がり、もう一度ゆっくりと後ずさりながら手すりに近づいた。
(さよなら)
「… …」
手すりに手が届いたところで、いきなりペンダントが長文読解を終えてしゃべり出した。
「ニンギョ モドル ナイ ジブン … ニタク ワラウ … ワタシ ニゲル … コロス ナイ ケッコン ナイ アワ ナル … ワタシ タスケタ イノチ ダイジ」
王子は訳わからん、と言わんがばかりの顔をしてる。どうもちゃんと翻訳できていないっぽい。
そう見えたのに…
「人魚…? 君が人魚…。僕を助けて、僕を尾ひれで殴った…」
余計なことを思い出されてしまった。
「服の背に大きな尾ひれのような跡があった。ぼんやりとしか思い出せないけど、誰かが岸まで運んでくれて、それなのに何故か怒らせて…。人魚なのか。道理で歩くのがたどたどしい訳だ。人になったのは何でだ? 僕に怒って仕返しに? 僕は君に何をした?」
別に仕返しに来た訳じゃ…。いや、仕返しに来たんだった。
何か、自分がすごく小さい奴に思えて、恥ずかしい…。
自分が何したって? 元はと言えば、
(…ブラ、取った)
「ブラ ドロボー」
かなり衝撃的な顔をしてる。これは恐らく正確に伝わってる。
(あの日、ゴミと間違えて私のブラを引っ張って…。古いしきたりで、ブラを取った男と結婚するか、結婚しないでいいように殺すか、って言われて、殺しに来たけど、思えばずいぶんつまらないことで…)
「ゴミ マチガイ ブラ ヒッパル フルイ シキタリ ケッコン コロス … コロス ツマラナイ」
「ああ、貝のあれか…」
何やら徐々に思い出してきたらしい、自分のしたことを。みるみる元気がなくなって、うなだれていく。
「…すまない」
王子は顔を赤くしながら、深々と頭を下げて謝った。そして、しばらくの間俯いてうんうん考えて、出てきた言葉は、
「それなら、結婚すればいいのか」
はい?
待て。
(無理強いするつもりはないよ)
「ムリ ナイ」
(あなたにはあなたの幸せがある。通りすがりの人魚にしょーもない義理立てする必要はないの。アンシェラとかいう人と幸せに暮らすのが、あなたの…)
「… … アナタ アナタ シアワセ … トオル ニンギョ ギリ ナイ … アンシェラ シアワセ クラス アナタ」
突然、王子は私をにぎゅっと腕を回して締め上げると、声を上げて笑い出した。
「ははははは、全く君って人は…」
ウツボのように巻き付く腕には毒でもあるのか、何だか力が抜けていく。
「アンシェラは僕の母だよ。父に頼まれて、母の宝飾品を届けに行くんだ」
母…。王妃様??
そう言えば、お城に王妃様はいなかった。
ああ、そうか。王妃様なら紋章入りの指環も持ってる。恐らく王家に伝わる正統な王妃を示す物。あれだけ王様が喜んだ理由がわかった。妻である王妃様の大事な持ち物だからだ。きっと王様自身が妻に捧げた…
「母と暮らすのも幸せだろうけど、子育ても一段落して羽を伸ばしてる母に叱られるよ。…人魚って面白いなあ。君が特別面白いんだろうか。うん、いいな。君となら楽しく暮らせそうだ」
うん?
「もう少し人間の世界で暮らしてみないか? …結婚を前提にして、気に入らなければ、僕を殺して人魚に戻っていいって条件なら、全てうまくいくんじゃないだろうか?」
…うん??
「もちろん、君がその気なら、だけど…」
そ、その気、…?
殺さなくていい、今は。
結婚は、前提ではあっても、決定ではない。
合うか合わないかは、これから考えたのでいい…。
それは、父が出した条件より遙かに現実的で、折り合いがつきそうな気がした。
「僕のご先祖が、恩人の人魚にとても失礼なことをしたと聞いてる。もし人魚に会えたら、僕は絶対に恩人を間違わないと心に決めてたんだけど、…僕もずいぶんと失礼なことをしてしまってたんだな」
(そりゃあもう…、結構、失礼だったよ? でも…)
「ケッコー シツレイ デモ」
「でも?」
私の答えを待って、じっと見つめられて、ちょっと恥ずかしい。
(王子と一緒にいるの、嫌じゃない)
「オウジ イッショ イヤ ナイ」
そう答えた途端、海から水しぶきが上がり、ぐるぐると大きな渦巻きができた。
これは…、この登場は、…父!
突然現れたばかでかい海の王に、さすがに王子も驚いてる。
「まだ殺してないのか」
父は登場するなり、物騒な発言で王子をにらみつけた。
(殺さないよ。殺す必要ないもん)
「コロス ナイ」
私がそう言うと、父はつまらなそうに溜息をついた。
「殺さぬのか…」
王子が父に深々と頭を下げて礼をした。
「海の王のご尊顔を拝し、光栄にございます」
「ふん。人間など、とっとと殺されておればいいものを…」
あの父のにらみにも怯まず、笑顔を見せている王子。
「人魚が殺さぬと決めたなら、約条通り、縁を結ぶ事を許さぬ訳にはいくまい…」
約条?
「だが、気に入らないと思ったら、さっさと人魚に戻るがいい。その時は殺そうとも、殺さずともよい。おまえに任せる」
いともあっさりと二択の呪いが解かれた。殺さなくてもいい? なら初めからそうしとけばいいのに。一体何なの?
王子が私の肩に手を乗せ、自分の方に引き寄せて
「ありがとうございます」
と父に礼を言った。父はもう一睨みして、
「まだ人に託すと決まった訳ではない。半年後、再び見えよう」
そう言い残すと、とっとと帰ってしまった。
続いて、いつの間にか甲板に上がっていた魔女様が、
「失礼」
と言って、王子の腕に刃物を当て、血を小瓶一本分採った。
「これで『人魚に戻る薬』と『完全に人間になる薬』を作れるよ。どっちを使うか決めたら、もう一方の薬は買い取ってやるからね」
そう言って、ニンマリと笑った。久々に薬の素材が手に入って張り切ってるな。
「ただし、完全に人間になったら、もう戻れないからね。よーく考えて、結論をお出し」
魔女様が指でなぞると、王子の傷はあっという間に塞がった。そして魔女様の姿は霧になって消えていき、月明かりの下、私と王子だけが残った。
まだいい。決めるのはもう少し先で。
焦らなくていい。
ゆっくりと、王子を知って、人間を知って、決めればいいんだから。
でも、何となく…、何となく答えはもう決まってるような気がする。殺さないと、決めたあの時に。
半年後、飲んだ薬は喉を癒やし、ずっとつけていたペンダントとピアスがはじけると、口からすらすらと言葉が紡がれるようになっていた。
もうえら呼吸には戻れない。もう尾びれもうろこも戻ってこない。
イルカのように、おなかの中で子供を育む体になり、胸びれほどだった胸がもう少し膨らんで、あの貝のブラでは収まらなくなった。
人になった私は、陸に夫を得て、大地で生きる。
人魚のように長寿ではなくなり、毎日はめまぐるしく冒険のよう。
イルカのように泳ぎ、ウサギのように跳ねて、
海の友達も、陸の友達も増えて、
やがて家族も増え、
孫に「ほら吹きばあさん」と呼ばれながら、
最後は笑っていい人生だったと言って、泡になり、海に帰る…
「おばあさま、泳ぐの上手ね」
「当たり前よ、昔、私は人魚だったんだから」
お読みいただき、ありがとうございました。
今回もUP後、あちこちいじりまくってます。
未熟ですみません。
誤字ラ出現報告、ありがとうございます。
少々妄想がうずきつつ…




