混迷する王国―3
「ハッ、ハッ……にっ、兄様……どうなさったのですか?」
闇夜の中、少女のか細い声が荒い息遣いとともに静寂を震わせる。王城の下層、中庭に面した回廊では、夜もふけると月明かりが僅かに照らし出すだけであった。
「……いいかいヒルデ、良く聞いてくれ」
月明かりから隠れるように、暗闇の中からもう一つ青年の声が聞こえる。
「今からフリューデル伯爵を頼って、レイル君の元に行くんだ」
「えっ……賢者さまの……?」
「そうだ、そしてレイル君と一緒に逃げるんだ」
「……逃げる……どうして?」
青年の声は更に小さく、そばにいる少女だけが微かに聞き取れる程度になる。
「このまま王都にいれば、お前は無理やり兄上と結婚させられる事になるだろう。父上がお倒れになった今、兄上を止められる者はいない。兄上の目的は、お前との婚姻で王族としての義務を果たし、名実ともに国内の実権を握ることだろう」
「けっ、けっこん……いや。だめ、いっ……だって、私、わたし、賢者様と賢者様じゃないと……」
「わかってるとも、僕だってこんな事絶対に許しやしない。だけれど、今の僕では兄上からお前を守りきる事は難しいだろう。だから、だから悔しいけど今は逃げるんだ」
「……うん……うん、わかった」
「いい子だ」
少女から兄と呼ばれる青年――この国の第ニ王子であるミラルド・トーレル・ヘイムダルは、その手で優しく妹の頭を撫でた。
「でも……兄様は、どうするの? 」
「 僕も遠からず、身を隠すつもりだよ。ただ、一緒に行けば目立ちすぎる。僕はもう少し兄上の出方を見るつもりだ。母上の事も心配だしね」
「母様……へいき?」
頭に置かれる手を、少女――第一王女ブリュンヒルデは、そっと自分の両手で包み込んだ。その手は緊張のため、強く握りしめられている。
「心配ないよ、グラルド兄上だって表立って危害を加えるような馬鹿な真似はしない筈だよ。今のところね……。ただ、父上がこのまま戻られないければ、あるいは……」
「お父様……お父さま!」
ヒルデの声が、自然と上ずってしまう。
それをなだめるように、ミラルドは優しく話しかけた。
「ああ、父上は、父上は僕らも持っているこのヘイムダルの力を使いすぎたんだ。あのレイル君と魔神の戦いから、王都を守るために仕方がなかったとはいえ既に限界だったのに」
「お父様、死んじゃうの?」
「大丈夫、きっと大丈夫だよ。父上には、僕と母上が付いている。だからお前は、心配せずにレイル君と王都を離れてくれ」
「……うん、わかった。私、行く」
月が流れる雲に隠れ月明かりが途切れると、ひと時中庭を漆黒の闇が支配する。
まるで暗闇に溶け出すように、二つの人影はその場を後にするのだった。
「レイル、忘れ物はない?」
王都の南、都への出入り口の一つである通用門で、俺はアイナを助けるため出立しようとするのを、両親に見送られていた。
日も昇りきらない早朝と言うこともあって、人の姿もほとんど見受けられない。昨日、王都の上空を覆ったあの劫火の出来事が、まるで嘘のように静まりかえっていた。逆に、あの出来事がったからこそ、早朝とはいえ行商や旅の者で賑わうはずの王都の通用門がこのように不気味な静寂に包まれていたのかもしれない。
「ご心配なく奥様。レイル坊ちゃまのお世話は、このエルシアめにお任せ下さい」
心配そうに見つめる母クレアに、俺に代わってメイドのエルシアが答える。なぜなら俺の横には、同じく旅装のエルシアが立っていたからだ。
「母上、旅行に行くのではないのですから、忘れ物とかそんな事は」
まったく、アイナを追って敵国に行こうと言うのに、なんでこんな呑気なんだか。俺の言葉など意に返さず、クレアとエルシアは何やら旅支度の確認を話し合っている。
「すまないな、レイル」
クレアとエルシアを呆れて見ていると、父カイルがぼそりと呟いた。
「アイナさんの事、本当なら俺もついて行ってやりたいんだが。今のこの国の情勢では、とてもここを離れる訳にはいかないからな」
「大丈夫ですよ父上。僕が必ず、あいつを連れ戻してきます」
「ああ、お前なら大丈夫だろう。お前の魔力は、俺なんかより遙かに大きい。だがな、だからと言って油断するなよ。帝国領に行けば何が待ち受けているかわからない。決して、自分の力を過信するな」
「ありがとうございます、父上。ですが、そんなに王国の内部は難しい状況なのですか?」
「んっ、あぁまあな。お前も知っての通り、国王陛下が御倒れになった。未だその事実は公表されていないが、王国上層部は慌ただしく動き出している」
「つまり、次の国王が誰かと言うことですか?」
「というか、第一王子グラルド様の派閥が、早々に諸侯の囲い込みに動き出したと言うところだな。この王都で言えば、騎士団と宮廷魔道士の一部が既に取り込まれつつある」
「ミラルド様は?」
「あの方は、もともとご自身が積極的に派閥構成を推し進めていた訳では無いからな。伯爵、お前のお祖父様も後ろ盾となってはいたが、面だってグラルド様と敵対していたわけではないのだよ。どちらかと言えば、グラルド様がミラルド様を極端に敵視されていたのだからな」
「では、お祖父様も難しいお立場ですね」
「だな。だからこそ俺も、王宮内では変に上位の位階をもっているがために、人ごとではなくなっているんだがな」
ましてや義理の父がミラルド殿下の後見人ともなれば、必然的に第二王子派と見られる事になるだろう。本人がそういった権力争い等には、全く興味が無くてもだ。
「父上も、気をつけて下さい」
「ハハッ、まったく。息子に心配されるとはな。しかも、これから敵国に侵入しようといのにな。お前は、気にするな。アイナさんと自分達の事だけ考えて、必ず戻ってくるんだぞ」
「はい、父上」
カイルとそんなやりとりをしていると、一頭の馬がこちらにやってきた。馬上には、シュバルトの前にレーヴァテインが一緒に跨がっている。
「やあレイル、それにエヴェレット様、おはようございます」
呑気に挨拶をしながら、シュバルトだけが馬より降り立った。
「準備は良いのか、レイル坊よ」
鞍に跨がったままのレーヴァテインが、馬上より声をかけてくる。昨日とは違い、真紅の髪を後ろで束ね、その出で立ちも白を基調とした旅支度となっている。
「もっ、もしかして、そちらがあのレーヴァテイン殿であるのか?」
カイルが、ぽかんとした表情で馬上のレーヴァテインを見上げている。一応話はしてあったが、伝説とまでなっていた魔神がこんな少女の姿をしているとは、にわかには信じられないのだろ。
「ええ父上、これが例の魔神ですよ……」
「なんじゃレイル坊、その紹介の仕方は! 我のような、可憐な美少女を紹介するに、そんなぶっきらぼうな言い方もなかろうて」
はんっ、自分で美少女と言いやがって。豪勢な料理を前に、餓鬼のようにむさぼり食ってやがったくせに。
「父上、こんななりですが、昨日の事件の発端となった魔神で間違い在りません」
「いやはや、これは失礼いたしました。私、ここにおりますレイル・エヴェレットが父で、カイルと申します。魔神レーヴァテイン様におかれましては、この度不祥息子めのわがままにおつきあい下さると伺い、お礼の言葉もございません」
恐ろしいほどに謙った態度で、父カイルが挨拶する。なんだってこんな奴に、そんな礼をとらなきゃならないのだ。だいたい今回こんな事になっているのは、このレーヴァテインのせいなんだぞ。
「坊主の親御にしては、愁傷な心がけじゃ。心配するでない、我がおれば人であろうと神であろうと瞬く間に消し炭に変えてくれようからな」
「おいお前、またそんな物騒なこと言って。頼むから面倒事だけは起こすなよな」
「のう、お父上殿。お主らが坊主の心配をするのは無理からぬ事だが、このレイル坊に至ってはそれは杞憂というものぞ。こやつが本気をだせば、大陸程度は簡単に消滅させかねんのじゃからな」
「は、はあ……」
「まあその時は、我がまた止めてやらないでもないがの。アハハハッ」
「父上、適当に聞き流して下さい」
「おっ、おう。まあなんだ、気をつけてなレイル」
まったく人を化物みたいに言いやがって。
魔神に言われると、冗談に聞こえないじゃないか……。
「じゃあ、みんなそろそろ出発しよう」
「ああそうだな、レイル。早くバーンズさんを追いかけよう」
4人がそれぞれ騎乗し、カイルとクレアが見送る中出発しようとした時だった。
俺たちの前に、一頭の馬車が凄い勢いで駆け込んできた。
「はぁ、はぁ……けっ、賢者様」
馬車の扉が開くと、そこからヒルデ王女が俺に飛びついてきた。
「でっ、ヒルデ様!? なんでここに?」
「わっ、私も……連れて……連れて行ってください」
「はぁ?」
俺は、一瞬何を言われているのかわからず、思考が止まってしまう。
すると馬車が来た方角から、怒号とともに数騎の騎馬が駆けて来るのが見えた。
「待て、待て! そこの馬車を、行かせるな!」
こっちに慌てて駆けてくるのは、どうやら王宮騎士団のようだ。
しかしあの様子、どうもただ事じゃない雰囲気だぞ。
「ヒルデ様、一体何があったのです?」
「はぁ、はぁ……おっ、お兄様が言ったの……賢者様と行きなさいって。それで伯爵が……この馬車を用意してて……」
「伯爵――もしかして、お祖父様が!? でも、父上?」
祖父である、伯爵がヒルデを俺と一緒に行かせようとした?
わけがわからなくなり、思わず父カイルに聞いたが。
「いや、おいちょっと待て、俺は何も聞いてないぞ」
どうやら、カイルも知らないようだ。クレアも、面食らっているようだし、子細を俺達に伝える時間さえなかったのだろう。
だが、どうすればいいんだ?
いくらヒルデの頼みとは言え、一国の王女を俺たちの危険な旅に付き合わせるなんて。
そこにヒルデを追ってきたであろう騎士達が、乱暴に駆け込んできた。
「おい貴様、ブリュンヒルデ殿下をこちらに渡して貰おう!」
二の次を言わせぬ高圧的な口調で、馬上の騎士は剣をこちらに向けてくる。
「……賢者……さま」
しがみつくヒルデの手に、いっそう力が入る。
その手の震えが、伝わってきた。
「二度言わせるな、早く殿下を寄こせ!」
騎士の一人が、ヒルデを強引に引き離そうと手を伸ばしてくる。
俺の胸に顔を押しつ、ヒルデが必死にしがみついていた。
「――鋼雷爆符――」
「ぐはっ、貴様!」
掴みかかろうとしたした騎士の前を、雷撃が遮った。
「駄目だな、お前達にヒルデ様は渡せない」
「……けっ、賢者様……」
腕の中のヒルデを、俺はぐっと引き寄せる。
「シュバルト、すまないが殿下も連れて行くぞ」
「えっ、ああ……」
「貴様、王宮騎士に刃向かうのか!?」
そう言うと騎士達が、一斉に剣を抜き放ってくる。
だが、彼らの剣が俺達に届くことはなかった。
「――爆炎昇壁――」
「――爆水昇壁――」
騎士達を取り囲むように、炎と水の壁が地面より立ち上る。
「なっ、これは! くそ、貴様等まで刃向かうか!」
「父上、母上!?」
騎士達を身動き出来なくさせた魔法は、カイルとクレアが発動したものだった。
「王宮魔道士カイル・エヴェレットだ。貴公等が誰の指示に従っているの知らんが、息子の門出を邪魔させるわけにはいかんのでな」
「ええ、理由はわかりませんが、彼等の邪魔をするというのなら、私達が相手になりましょう」
騎士たちも、数メートルに及ぶ魔法の障壁に為す術もないようだ。
「さあ、レイル。とっとと行け。悠長に惚けている暇はないぞ!」
「そうですよ、レイル。早くアイナちゃんを助けてあげないさい」
「ありがとうございます、父上、母上。では、行ってまいります」
魔法の障壁を発動し続ける二人に、礼を告げると懐のヒルデにも声をかけた。
「良いのですね、ヒルデ様?」
ヒルデが腕の中で、コクリと頷く。
「よし、みんな行こう!」
未だ怒号混じりに叫び続ける騎士達を尻目に、俺とヒルデ、シュバルトとレーヴァテイン、そしてエルシアを乗せた三頭の馬は王都の通用門を後にするのだった。




