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エピローグ

エピローグ



「ポイ、ポイ、どこにいるの? あら、さっきまでここにいたのに……」

「だいぶ前に、廊下のほうへ出ていった気がするけどな。それよりミス・セアン――」

「ねえトニー、それ、嫌みなの? なれなれしく呼び捨てにすると思えばミスを付けたり定まらないのは」

「ミセスになったら呼べなくなるから、今のうちにと思ってるんだよ」

「結婚の予定なんてないわよ。ミセス・シンクルーになる予定はもっとないけれど」

「つれないなあ」

 食卓に肘をもたれながら紅茶のカップを傾けるトニー・シンクルーは、しゃれた流行のかたちの(カラー)にも抜群に糊のきいた都会的ないでたち。

 州都の銀行勤務に栄転してからはさすがに週二回の訪問が月二回になったけれど、〈気取り屋トニー〉の本質は変わらない。

 十年たっても、つれないなあ。

 窓の外にはるかな水平線を眺めながら、キザな調子で呟いた。

「あなたがしつこいのでしょ」

「ここで飲むお茶ほどうまいものはほかにないんだから、仕方がないよ、ミス・セアン」

「メアリに言ってやってちょうだい。あの子、マクビーじいさんに、スーの入れるお茶に比べたら泥水だ、なんて言われてびーびー泣いてたんだから」

「老いてもしぶとくむっすり毒舌なんだからなあ」

 じいさんがさらに十年ぶんじいさんになって、まだまだマクビーじいさんはかくしゃくとした足腰を保っている。むろん相応に衰えもしているから、半命令のような主人のお願いにしたがって夕食はセアンの家のほうで取るようになったし、面と向かう機会が増えたからなのか、無口と思っていたマクビーじいさんはなかなか毒舌家で、セアンもたまにぼやきのような文句をくらうことがある。「サギ男という名前は酷い。ほんとに酷い」マクビーじいさんは、くりかえし思い出しては言うのだった。「人を人とも思ってない名前だ」老人の繰り言はセアンの反省や弁解やらを求めるわけではなく、ただぼそぼそと、唇を動かして言いたいためだけに言うのだ。

 もうずいぶん昔のことのような気がするのに。

 あっと言うまに十年たっていた気もするのだけれど、セアンの周りの状況は転々と変わっていったから、思い出はたくさん塗り重ねられて、あの秋の一週間のことなんて、もう遠すぎた。

 サギ男なんて人間は本当はどこにもいなかったし、仮にそう名付けられていた人間も、あれっきり、二度と会わないままセアンの世界から姿を消して、それっきり。

 幻とまでは言わないが、セアンには関係ないことになって久しい。

 一年くらいは、〈そのこと〉はセアンに色濃く付きまとって、生活まで変えさせてしまった。セアンの海辺の家での静かな日常は、首都での演説を境に失われてしまったように思われた。

 セアンの演説は思っていたより多くの人たちの心に届いた。良い届きかたもあれば、悪い届き方も。誤解されたり、誤解じゃなくても、どうしてもセアンの考え方を受け入れられないという人たちは大勢いた。もちろん、予想していたことではあった。

 非魔法圏と魔法圏との対立は昨日今日の簡単さではないから、仕方がない。

 サリアック王子を匿っていたと公表したことでセアンはメディアから取材攻勢を受けたし、セアンのしたこと、話すことに腹を煮えくりかえらせたのだろう人たちからの嫌がらせもかなりあった。蜜の丘の実家からしばらく出られなくなって、そのとき、海辺の家にはもう戻れないのだと思った。

 ラジオに演説が流れた次の日、シンアック国王によって、中立国の主導による停戦協議の受け入れ表明がなされたのは、約束が果たされたことを了解してのリアクションだったのだろう。

 このニュースを境にして、ペンセルの悲劇いらい参戦気分に傾いていた北コロニアの世論は、微妙な沈静化を見せはじめたのだった。

 フランド大統領は、中立国法にのっとったサリアック王子の身柄の返還を決断し、それはすみやかに実行された。南コロニアに対しては参戦の意志の希薄さを突きつける行為であり、援軍が見込めないとなれば、南コロニアも強気な戦争継続はできなくなるのだった。 

 すべては一通の親書を元にした信頼の構築がなしえたこと。

 セアンのスピーチにわずかでも影響力があったとは、本人は考えていない。伯父はピース・クイーンの誕生などと言ってからかったが、なんだか間抜けな響きのする称号で、道化じみていて、でもチャリティー・クイーンよりは重くないから、笑い話にしておけばいいかなと思った。

 まもなく停戦協議が始まると、皆の興味と話題はそちらに移って、セアンの周りは波の引くように静かになった。半年が過ぎ、綱渡りな停戦協議のすえに南コロニアもやっと講和交渉に応じる気になったころ、セアンは首都の大学へ聴講生として通いはじめた。

 そこではセアンは、車椅子の娘というのではなく、魔法使いを拾った例の演説のひと、という目で見られた。奇異の目もあれば、リベラルな学生からは身内意識を持たれたり、反魔法思想の学生グループはあからさまに敵視して攻撃してきたり、面倒は面倒だったとはいえ、言葉でなんとかなることならば、セアンには切り抜けられる()があった。

 大学へ行ってみて知ったのは、史学の教授が私的におこなっている魔法史研究の存在だった。魔法関係がタブーであるため書籍化はされないが、研究者そのものは新大陸にも少なからずいるという話だった。

 教授が教えてくれたことで興味深かったのは、ヤーヘルなどの魔法国では成人年齢を境に大人と子供の区別がはっきりしていて、それは対話により築かれる精霊との関係が人間がわの言語能力の発達をもって成熟し、能力も安定する時期の平均的な目安として、十六歳と定められているというのだった。大海の向こうでは、精霊と仲良くなれて初めて一人前と認められるのだ。

 ところで、ここコロニアでも、スピーチの上手い子供はひとつの(きょう)になるが、スピーチが上手い大人は珍しくもないということらしい。再デビューを寄付金の額としてはそこそこの成績で飾ったセアンには、しかし、以前ほどの引っぱりだこな声掛かりは舞い込まなかった。だったらかまわない、と、自分のペースを尊重しつつ、呼ばれる催しにはなるべく出ていって弁舌をふるうたび、セアンはどこか気恥ずかしい感じがするのだったが、それは目の前の人たちや、社交界の見知った人々に対して覚える出戻りの気後れというのではなく、遥か遠くの誰かに対してのものだった気がする。

 そういうわけで、首都の暮らしも今ではそう悪くなかったが、やはり潮風と潮騒と、こじんまりした生活が懐かしく恋しくもあり、三年後にセアンは海辺の家へ戻ってきて、前と同じように暮らしはじめた。

 スーは首都の屋敷にいるあいだ、厨房で働く幼なじみと急に仲良くなって結婚した。セアンが海辺の家へ帰るのにともなって、新婚夫婦は直近の町でパン屋をひらいた。海辺の崖の上の家では、町で募った若い娘が、何度か人を変えながら働いている。なにも主人の偏屈に耐えられないというのではなくて、あまり長く置いて婚期を逃させたら可哀想だというのと、町の娘たちにはあんがい仕事がなくて、名家の娘の世話という職はいい結婚をするために箔がつくしということで、応募はけっこうあるのである。

 スー以外の他人から世話されるのを嫌がっていたセアンの、十年内の変化のひとつだ。

「十二ゲールって言いかけたんだよ、十二はヤーヘルの最小紙幣の数字で、コロニアでは間違えて出てきようがないんだからねえ。僕の勘が、奴の正体を見抜いたのさ」

 ふっと物思いから覚めて隣を見ると、得意そうなトニーの目つき。

「何度目なの、その話? それにあなたは、潜水艦を覗き見して泡を食ったんだって言ってたじゃない」

 トニーは肩をすくめて、

「だって今も、考えてただろう? あのねセアン、使う貨幣が違う人間とは、仲良くしたくてもうまくいきっこないよ。数の数え方が違うってのは、考え方もズレてくるってこと」

 絶対の自信を込めて言ってのける。

「べつに何も考えてないわ」

「じゃあ、僕のことでも考えてくれないかな」

「ええ、いいわよ。そろそろ結婚したら、独身貴族さん? どんな人がお似合いか考えてあげるから」

「それならはっきり決まってるんだよ。僕のことを苛めてくれる金髪さん」

「首都にならたくさん居そうよ」

 すっかり求婚はお茶うけ話にしかならなくなっている。

 海辺の崖の家に深くかかわると、皆なかなか結婚できなくなるのはどうしてだろう?  

 トニーが気心の知れた茶飲みともだちになって、だらだらと何年もその関係がつづくなんて十年前のセアンは想像もしていなかったし、トニーだってそのはずだ。だけど現実にトニーは、戻ってきたセアンとふたたび前と同じ交流を望んで、過去にセアンがとったひどい態度のことだって根に持っていなかったし、指輪を返したときも、「今の給料ならもっと良いのが買える」と求婚のやる気を見せて、あらかじめセアンが断ると「でもいいよ。会いたいから会いにくるよ」などとあくまでキザに言ってのけた。

 そろそろいいかげんにセアンだって信じざるを得なくなったのは、トニーが本当に正直な気持ちから、ちょっと度が過ぎるくらいセアンのことを好ましく思っているのだ、ということ。

 結婚したいとか、好き、という言葉だと経験がないセアンにはよくわからないのだが、「会いたいから」という気持ちなら、少し想像できる感じがする。

「首都は寒さが長いというから嫌だねえ」

 そう嘯いて、トニーは日差しの注ぐテラスにセアンを誘った。

「今日の風はそろそろ初夏の匂いがしているんだよ。出てみてごらん」 

「よかった。明日から子供たちがくるから」

 海辺の家は五月から八月、貧困家庭の子供たちを集めて過ごさせる活動に使われている。

 セアンがはじめたこの活動には、国籍を問わず、対魔法戦争に起因する南コロニアの母子家庭の子や、肌色の違う南方大陸の紛争難民の子供たちも連れてこられる。体の不自由な子も選別なく受け入れていた。

「今年も僕は、人生の役にたつ数の数え方を教えてやらなきゃ」

「恩に着るわ、トニー。あなたって、本当にいい人ね」

 車椅子をテラスへ押し出すトニーが、セアンの仰ぎみる頭上で自嘲気味に呟いた。

「永遠にね。わかってるよ……」

 玄関のブザーが鳴った。

「メアリは気を利かせて果樹園だったね、僕が出てくる」

「あなたが袖の下を渡してるのはお見通しよ」

 肩越しにひらひらと手を振りながらトニーは廊下へ出ていった。

 テラスと居間との境でセアンは降りそそぐ初夏の太陽をまぶしがりながら、カーディガンを脱ごうとした。

――君は……

 玄関のほうから、小さくトニーの応対が聞こえてくる。

 客の声は低いから男性だ。日曜日に、巡回の警官はこないけれど――。

 今日は何をしに? といったことをトニーが尋ね、忘れ物を取りに来たようなことを相手は答えたみたいだった。わずかな間のあと、急にトニーの声が大きくなる。

――ああ、思い出した! 君は三十ゲール預けてくれたままいなくなった、元運送員だね

 はっと瞼をひらき、セアンは廊下をふりかえった。

――その節はお手数をおかけして

――いや、仕事だからね。え、利子? 利子なんて端数しかついてないよ、三十ゲールぽっちじゃねえ……

 声が遠ざかり、玄関ドアが閉じられて彼らの気配が消えた。

 セアンは車椅子を動かして居間をわたる。

 やっと廊下へ頭をつきだして玄関をうかがったときには、いま中へ戻ったトニーが、閉めたドアの把手に手をかけたままうつむいて立っているだけだった。

「トニー」

 トニーは肩ごしにひらひらと、しかし、さっきよりのろのろと手を振った。

「トニー」

 ……なんだ、と思った。

(帰ったのね)

「また来るけどね。再来週には」

(……どういうこと?)

 ポイの老いた吠え声が海のほうから聞こえた。

 廊下で静かに寝ていたはずのポイが、なぜ外へ出て年甲斐もなくはしゃいでいるのだろう?

 ――無意識のうちに腕が動いて、セアンは車椅子を海の向きへ返した。

 背後で玄関ドアの閉じる音が響く。ためらいながら車椅子はテラスへと出た。

 直射の日差しに目がくらんで、慣れるまで数瞬の時間がかかる。

 ポイの声を追いかけた。車輪が進むたび広がっていく視界に、その姿はない。砂浜には点々とあたらしい足跡がここへ向かって刻まれていた。辿りついた欄干から見下ろす真下に、老犬を抱き上げた青年が立っていた。

「あなた、誘拐犯?」

「幾ら出します? 聞いた話じゃ結構な忠犬らしいけど」

「ゲテモノ()いがたまに傷だけれど」

 サリアックはポイの正面をセアンに向けて抱えなおし、毛むくじゃらの犬の顔と自分の顔を並べてセアンを仰いだ。

「おひさしぶりです。だいもーんです」

「それ、腹話術じゃない……」

「バレたか」

 おもちゃにされて唸りだしたポイを砂の上へ降ろし、あらためてセアンを見上げる表情もしれっと悪びれないのは、昔と変わらない。

「そう言ってるのは本当。感謝を伝えてほしいって。……伝えるだけじゃなくて、俺からのと併せて二人ぶん言いたいんだけど、感謝が二倍になるような言い回しってあるかどうか、先に〈生きた辞典〉の君に訊いたほうがいいかな」

「オールドミスの先生に教わってから来ればいいじゃない」

「そんな気の利いた言葉を知ってたらあの人はオールドミスになってないよ」

 そこで、どうしてこういう応酬になるかなというようにサリアックは苦笑した。

 仕切りなおして、首をかたむける。

「驚いたりしてないね」

「そうね。〈生きた辞典〉だから」

 サリアック・マーデル元大尉が、ヤーヘル王国の友好使節団とともに北コロニアに来ていることは新聞で読んで知っていた。

 一昨日は、南コロニア・ペンセル市への慰霊献花の予定が組まれていたが、やはり根強い反対運動に阻まれるかたちで入国すらならなかったことも。

「知らないことだってたくさんあるけれど。今は何してるの? 英雄?」

「もっと意外だと思うけど。教官。沿岸警備隊の学校で潜水訓練をしてる」

「海の気難しさを教えてるってわけね」

「教えられる限りはね」

 ふと視線を落として、うん、とサリアックは穏やかに深く頷いた。

 いろいろな意味がこもっていたが、葛藤をつづけながらも道を見いだしている彼の今が感じられる頷きだった。

「忘れ物って、お礼? それとも、つなぎ? それとも、巻き上げた三十ゲール?」

 彼は片頬に微笑をのせて、ちょっと考えるように海を見返った。

 そしてまたセアンを見上げたときには、開き直ったような、それでいて痛む傷もあるような、複雑な顔で笑っていた。

「いろいろあるけど、どれでもないかもな。今そう思った。君の顔を見たら」

「ふうん」

 セアンは急に、しかめ面をしたくなって、そっぽを向いた。

 だから何? というように。

「感謝の言葉を探すのはお手上げだったけど、君に会ってすることはちゃんと、ずっと考えてたんだ」

 上がっても? と仕草で尋ねられて、しぶしぶ許した。

 一国の王子様を軒下に立たせたままは、スタチェットの品格にもとる遇し方だろうから。

 あっというまに目線が逆転している。

「スーザンさんは?」

 家の中をきょろきょろと窺って、なつかしい顔を探していた。

「スーは結婚して所帯を持ったわよ」

「それはめでたいです。よかった。セアンお嬢様はトニーさんといつ?」

 なぜだか少し構えるように訊いてくる。

「魔法かなにかで予知しない限り、まだ私も知らないわね」

 彼の沈黙を、勝手に解釈したセアンは急いで言い足した。

「べつに、あなたに言われて仲良くしてるんじゃないわよ。向こうが勝手に通い詰めてくるんだから」

 かえって図に乗るようにサリアックが頭をもたげる。

「ほらね、善い奴だって言ったろ?」

「……そうね、あなたよりはね」

 十年も何の音沙汰もなく、十年たって前触れもなく現れた男に、自分の時間を譲ってやるようなお人よしだ、彼は。

「そりゃあね」

 それに比べて。

 セアンの生活も、余生の方針もめちゃくちゃに変えてしまった、デリカシーのないお節介な魔法の国の王子様ときたら――。

 なんとなく不機嫌をつづけているセアンを、サリアックはひょうひょうと覗き込んだ。

「成人された婦人には、ちゃんと許可を取りますよ」

 と、言う。いちおう、言いはしたが。

「用意はいい?」

「ちょっ、ちょっと、何をするのよ、いや……!」

 慌てふためくセアンを掬い上げ、いつかのように問答無用で軽々と歩きだした。

 だけどその横顔は、あのときみたいに怖くない。

 楽しそうに笑っていた。

「あの水栓、一カ月もったかい?」

 テラスを降りたところで、丈夫そうなシャワー栓が建っているのを指して、ばつが悪そうにするので、

「水圧式の水道がきたから」

 セアンは海辺の家で始めた活動のことを話した。

 浜遊びの基地として機能するようになった家のことを。

「あれから数えきれないくらい浜に降りたんだから」

 まとわりつくポイと一緒に砂浜をあるいて、一直線に海を目指す。

「水の中にはまだ入ったことないだろ。震えてるもの」

 セアンと目を合わせて、サリアックは弱みを見抜くように言ってくる。

「待ってよ、待って。心の準備が……」

 しがみついたセアンの強い抵抗に、目を細めながら笑いを漏らして、そして頷いた。

「わかるよ。もう少し待ってみよう」

 こういうことは、長くかかるから。

 そう呟いて、目の奥で頷いた。

 それが、彼の感謝だった。たぶん。

 十年前、サリアック王子の身柄が北コロニアからヤーヘル王国へ返還されて、三カ月くらいが過ぎたころ、セアンはポイが喋らなくなったことに気づいた。ポイは普通の犬に戻っていた。ああ、ダイモーンはいるべきところへ帰ったのだな、と、思った。

 恐怖の克服は、簡単なことではない。だけど意志を捨てずに向き合っていれば、なんとかなってしまう日が、きっとくる。罪を背負った彼には、克服すらが、罪悪感を強くする枷のようなものなのだろうけれど。

 それでも逃げずに立ち向かえたこと。

 本当の意味で罪と向き合う日々を選択できたこと。

 セアンがいなかったら、その全部がありえなかったかもしれないと、サリアックの碧色の瞳が語った。

 彼のその瞳は、見抜くだろう。セアンの中にも、あの言葉をくれたサリアックに対して同じ気持ちがあること。

 人と人は、助け合って生きていくものだ。

 人とダイモーン、人と犬のように――。

「いつかでいい。ヤーヘルの海にも子供たちを連れてきてくれ。魔法があってもなくても、海は関係なく、きれいだから」

 すぐ近くにある碧い海の色に、セアンは自分の微笑みを映す。

 もうちょっと意地悪く見えたほうがいいのに、と思いながら。

「ええ。……基金のお金の集まり次第でね。まだまだ軌道に乗るには程遠いから、十年くらいは無理だけど」

 約束さえあれば、きっといつかまた会える。

「待ってるよ」

 ぐる、ぐる、ぐる、と空がめぐる。

 雲一つなくて、目に見えない緊張だって過去のものにした空。

 ヤーヘルにつながる北コロニアの空。

 世界中がこうとはいかないけれど。まだそれは夢物語だけれど。約束して、歩いていけば。そう、気難しい海とだって、万物の精霊とだって、会話して仲良くなろうなんて考えて本当にしてしまった人はいるのだから。


 行こうと思って行けない場所なんて、どこにもないのだ。




                                           〈了〉

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