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二-3


 汽車に乗って大陸を端から端まで横断したところに、セアンが生まれ育った北コロニアの首都、トーンソンはある。

 プシャー、プシャー、とブレーキを引いて減速した汽車の一等客室で、籠の中から小さな毛むくじゃらの頭がぴょこんと飛び出した。

「おうじはどこですか」

 車椅子の上で下車の身支度をしながら、少々呆れ顔になってセアンが答える。

「まだよ。まだ駅についたばかりじゃないの」

「あいすみません。なにしろこちらではみぎもひだりもまえもうしろもわからないもので。ぜんぜんけんぞくのこえがしなくて」

「眷属? 精霊(ダイモーン)のこと?」

 なにしろ魔法のことはセアンもよく知らない。純粋な興味から首をひねった。

「だいもーんはひのなかてつのなかからよばれましたもので」

「レミアック王に?」

「さりあっくおうじにです。だいもーんはおうじがうまれてはじめてないたときからおうじのなかにいます」

「おぎゃー、って泣いたときから? それが普通なの?」

「いいえ、やーへるおうけのみなさんは、とくにだいもーんとなかよしになれやすいのです。いちばんふるくからのおともだちですから」

「呼ばれて、憑りつくの? どうして? どうやって?」

 崖の上の家からずっと、ダイモーンはしくしく泣いたり焦ったりを繰り返すばかりでまともな会話ができなかった。そりゃあ、二十年もずっと一心同体だった相手の中から落っこちてしまったのだから、その心もとなさといったら、人間なら心に風邪を引いてしまうくらい大変なものなのだろう。

 やっと落ち着いた説明ができるまでに理性を取り戻しつつあるのは、だんだんと王子のいる場所に近づいていることを本能で感じているからかもしれない。

 ダイモーンに理性や本能があるかはわからないけれど……。

「火と鉄の中からというけど、火と鉄は別々のものじゃないの?」

「だいもーんは、ひとてつそのものではありませんが、ひとてつのことをよくしっています」

「あなたとサリアック王子の関係と同じように?」

「そうなのです。でも、ちがいます。ひとてつのなかにいたとき、だいもーんは、だいもーんではありませんでした。おおきなねむれるだいもーん、でした」

「どういうこと?」

 またまたセアンは首をひねった。

 それを見上げてポイも「きゅーん」と声を出しながら首をひねる。

「おうじはうみをみて、だいもーんとおなじだ、といいました。だいもーんはみずのいってき、おおきなねむれるだいもーんはうみ、といっていました」

「つまり、未分化なかたまりから、分離して生まれたのがあなた、ということかしら」

「おうじによばれて、だいもーんは、だいもーんになったのです」

 誇らしそうにかかげた頭が籠の蓋をもちあげた。

「はじめて、いしき、をもったのです」

 ポイは客室の壁を見渡し、窓ガラスや窓枠や車体の素材そのものに注意を向けるようにして、つぶやいた。

「かれらは、まだ、ねむっている」

 停止した汽車から降りるとき、一等客のセアンに車掌と駅員が優しい笑顔を向け、三人がかりで車椅子を抱え降ろした。

 帽子を取って見送ってくれた彼らの親しみと笑顔が、三等客車にいるかもしれない貧乏なセアンにもわけあたえられていてほしいと思う。

「めざめぬけんぞくよ、さようなら」

 スーが蓋を押さえている籠から、小さな挨拶がこっそり聞こえた。

 透かし模様の美しいガラスドームを屋根として六本の線路が敷かれた首都中央駅は、乗降客でごったがえしていた。静かな海辺の生活に慣れた感覚が、おしあいへしあいの人いきれに翻弄される。駅構内にはすでに迎えの者が来ていた。

 時間を無駄にすることなく家の車に乗り込むと、そう遠くない過去の日常を思い出す。チャリティー・クイーンのドレスをとっかえひっかえしてパーティからパーティへ、引っぱりまわされていたあのころ。

 これからしようとしていることも大して変わらない気がして、セアンは鼻のあたまにしわを寄せる。

 また自分の悪い癖が、復活しかけているのだとしたら?

「ダイモーンは、人に使われて嫌じゃないの?」

 籠の蓋の上に手を置いて、セアンは訊いてみる。

「とんでもない。だいもーんは、だいもーんでありたいのです」

 なんだか哲学的な答えだわ、とセアンは思った。

 車は『甘い蜜の丘』と呼ばれる地区へまっすぐ向かった。閑静な住宅地に邸宅がならぶ懐かしい道路を眺めながら、セアンは待ち受ける大人たちへの弁明(いいわけ)を練り込んだ。冬が近づき葉を紅く染めた街路樹は、北コロニアの国樹で、春先に採れる香り高い甘い蜜は東部の名産となっている。

 小さいころ、伯父と一緒にこっそりと蜜を採取して遊んだ街路樹は、今見ると整然と植樹されすぎているさまが、どこかよそよそしく感じられた。

『セアン、いつでも帰りたくなったら、意地なんて捨てて帰ってくるんだよ。父さんも母さんも、明日か、明後日かと心待ちにして待っているから』

 プライドをこじらせて遁走を決めた娘を、父は抱きしめながらそう言って見送ってくれた。母は着いていきたいと泣いていたけれど、政府高官夫人の役目を放棄するわけにはいかなくて。セアンだって、母に迷惑をかけたいわけじゃなかった。それこそ寄宿舎に入るのと同じだと思ってほしかった。

 セアンは帰ってきたのではない。

 でも、父と母がいて自分が生まれ育った屋敷は、たぶん二度は簡単に出ていけないだろう場所だからこそ、簡単に帰省できない気持ちがあった。

 どんな顔をして玄関に入ればいいやら。

「スー、あなたにまかせたわ」

「はあ、なんでございましょう、お嬢様?」

 きょとん、としたスーの背中を押して玄関の前に立たせたら、意図せず両開きの扉がひらき、人が飛び出してきた。

「やあセアン! やあセアンおかえり! なんだセアン、何年も見ないうちに背が伸びたね!」

 白髪の男性が飛びつくようにスーを抱きすくめて叫ぶ。

 抱きすくめられたスーが目を白黒させる間に、上体をそらした男性はまじまじとスーの顔を見つめて言った。

「顔もちょっと老けたんじゃないのかな?」

「伯父様、それはスーザンよ」

「ああ、失敬。なんて失礼をしてしまったんだ、許してくれスーザン!」

「ひゃあ、大統領に抱き着かれるなんざ、末代までの誇りにさせていただきますよ」

「その前に結婚しないと誇ってくれる子孫がつづかないぞ、スーザン。もっともこれは君の雇い主が悪いんだがね」

「私のことなの、伯父様?」

「もちろん。有能きわまりない家政婦を道連れにして隠居乙女をきどるセアンお嬢様のことに決まっているよ」

 ひょろりと背の高い白髪の紳士、レイモン・フランド伯父は、ハの字の髭をつまんで撫でながらにっこり笑んで、セアンの上に身をかがめ、頭にキスした。

「お義兄さん、親より先にセアンのただいまを受けるとは何事でしょうか」

 玄関に肩を預けてよりかかっている父と、その隣で目に涙をためている母が、伯父の肩越しに見えた。

「おかえり、セアン」

「セアンちゃん……!」

 父はセアンの頭をなで、母はセアンの両手をとった。

 セアンはふたりを交互に仰いで、何度も頷きつつ、……ただいまが言えない。

(だって……)

「思ったよりずいぶん大きな土産をもって帰ってきたね、セアン。電報をもらう前は、すぐ海の家に向かおうとしてたんだが――」

「叱りにいらっしゃろうとしてたんでしょう? でも、そのことは、ちゃんとくわしく事情をお話ししないと」

 玄関ホールへ入りながらセアンは早口に言い募ろうとしたが、伯父はたいして面識もないスーを相手にあることないこと冗談をとばしてからかっているし、父はにやにやと皮肉げな微笑みを見せるばかり。

 セアンは自分の性格が少なくとも半分は父譲りであることを知っているから、彼の言いそうなことはよくわかっていた。

「もちろん事情はすぐに聞く。でもねセアン、お前へのペナルティはもう決まっているんだよ。家族に隠しごとをして年頃の男との危険な同居生活を敢行していた罰として――」

「ちょっと、お父様!」

 あかくなってセアンは両腕を振った。

 年頃の男?! なに、それ?!

「問答無用。罰として――」

「『ただいまパパママ、私そろそろ観念して帰ってきたわ』と、言いなさい。――そうおっしゃるんでしょう?」

「そのとおりだ、セアン」

 勘のよさは鈍ってないね。という顔で父が微笑む。


 ――うきゃん!


 ばたばたと駆けつけてくる男たちの靴音とともに、凄絶な悲鳴が玄関ホールに響いた。

「大統領、魔法です」

 レイモン伯父を取り囲んだ警護の男たちが、手にした機械の箱を全方位にさまよわせて発生源を探す。箱の先に付いたアンテナは、ある種の電波を送受信している。魔法を封じるコード文を発信し、それと同時に封印反応を探知することができる機械だ。

 セアンはスーの提げる籠の蓋を開けた。

 中でポイが横倒しに倒れて動けないでいた。

 目玉と鼻先とふわふわの毛先が揃ってふるふると震えている。

「やめてください。私の飼い犬が金縛りにあってこわがっています。ポイの中に精霊が捕まっているんです。害はありません。私が何もされなかったもの」

「大統領は特別です――」

 警護の反論を制して、フランド大統領が籠の中を覗いた。

「ダイモーンを食して収めるとはゲテモノ食いだな」

 哀れそうに金縛りの犬を見つめ、警護に指図して電波の発信をやめさせた。

「……っはあ、っはあ、だいもーんは、だいもーんは、みちなかばでおわるわけには……おうじにあうまでは……」

「なんだか悲愴だな」

「悲愴にもなります。ダイモーンとは、とりついた人間と一心同体に在るものだそうです。このダイモーンは、サリアック王子を友達と……『なかよしこよし』と言いました」

 フランド大統領は白い眉を持ち上げ、籠の中身を指さしながらセアンに向いてたずねた。

「このゲテモノくんは、サリアック王子のダイモーン?」

「そうです。今はどういうわけか離ればなれになってしまっているのですが」

 大統領は思案げな表情を宙に向けてとどめた。

「そうなのか。何故だろうな。王子殿下はマゾっ気のあるヘンタイさんか」

「伯父様……?」

「わかった、まあいい。とにかくセアン、洗いざらい話してもらおうじゃないか。君がいったいどんな過程をたどって面倒くさいマゾっ気のあるヘンタイくんとイイ仲になっていったのか。もしくは最初から君の好みのタイプはヘンタイさんだったのか」

「伯父様っ?!」

 さっぱり理由(わけ)のわからない言い掛かりに声を上ずらせたセアンの視界で、セアンもその性格を半分は継いでいる生真面目な母が、皮肉な微笑みをたやさぬ父の腕をつねっていた。実兄の暴走をなんとかしてくださいと言いたげに――。




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