二-2
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明くる朝。
一睡もしなかったセアンにとってはやっと来た朝だったが、いつも飽きることも間違いもなく太陽は昇り、今日は馬鹿みたいに晴れた空を演出した。そんな太陽の下、崖の上の家の玄関に、同時に二人の人影が立った。一人はマクビーじいさんの迎えの馬車に乗って帰ってきたスー。もう一人は、ゆうべセアンの寝室の戸口に来た警官。――彼は街の警察の本部長だった。
中年の警察本部長は、痛々しく腕を吊った家政婦のスーに招き入れられて居間に立ち、支度中の家の主人を待った。
「男が捕まりました」
現れたセアンを迎えて開口一番、そう言った。
車椅子が本部長と向きあう。「昨晩は失礼を」帽子をぬいで本部長は頭を下げた。車椅子に乗ることでやっと客の前に出られる状態になったセアンは、片腕のスーにも抱えることができるほど体重が軽い。
「現在、州警察本部へ移送中ですが、すぐに中央へ送られるでしょう」
「どこで」、とセアンが訊く。
どこまで彼は逃げられたのだろう。
「こちらから十キロほど北上した沿岸の林の中です。さしたる抵抗はありませんでしたが、逃亡の途中でした」
隊長は簡潔に答えた。
「軍の対魔法部隊が出てきたのじゃない?」
「警察の専門人員で対処しています」
それは上からの指図だろう、とセアンは察する。
政府が、ことをなるべく荒立てない方策をとって、各位に指示しているのだ。
それそのものはセアンのための動きではないが――。
「本部長さん、以前に巡回の挨拶にいらしたことがありましたね」
「はい、二年前にいちど伺いました」
父や伯父たちは、セアンの田舎暮らしの安全を遠くから見守り、さまざまに手を回している。これまでもうすうすセアンはそう感じていたし、今回もセアンの名前が政府に届いた時点で父たちは、崖の上の家と事件との切り離しをはかり、セアンの生活を守ろうとしているのだろう。崖の上の家から離れた場所で彼が捕まったのは幸いとされるだろう。もっとも、それはおそらく捕まった彼の意図したところでもあるのだった。
たぶんそのうち父が来て、セアンの判断を半分ほめ、もう半分は、彼女が陥った難しい状況をすぐに連絡して知らせなかったことを、叱るだろう。
(私は、連絡しておくべきだったのかしら)
彼を拾ったいちばん最初から迷っていたし、今でも迷っている。
伯父たちに任せれば少なくとも北コロニアにとって悪いことにはならない。
では、秘密にしつづけることでセアンが守ろうとしたものは何だったのだろう?
邪悪な魔法使いと呼ばれるヤーヘル軍人の男をかくまって……。
「お嬢様ぁ」
本部長が報告をおえて帰ったあと、やっと緊張をといたスーが抱き着いてきて、泣きだした。
「ご無事でぇ、よかったぁ」
それは私のせりふじゃないのとセアンは呆れ、スーの背中をぽんぽんと叩いた。浜辺での怪我の瞬間から途切れた時間を今とりもどすように抱きしめられて、胸が苦しくなった。
「サギ男がぁ、サギ男がぁ、まさかでしたぁ」
裏切られた、というような、でも信じられない、というような声で、スーが泣いていた。
スーを裏切っていたのは、セアンもなのだ。青年と同罪なのだ、本当は。
「スー、ねえスー、あなたに訊きたいことがあるの。サギ男を恨んでいる? サギ男は悪い魔法使いだと思う? 彼は、邪悪だったのかしら」
「お嬢様、サギ男は、あの人は魔法使いですよ、あたしはこの目で見ましたし、そのせいで痛い災難にもあいました。なによりお嬢様を危険にさらして! ……でもお嬢様、サギ男は、こんなもんをマクビーじいさんに渡して、あたしによこしたんです」
スーがよそいきの上着のポケットから取り出した紙切れは、家の修繕や水栓の修理のとき設計図を描く用に彼が求めて与えられたノートの一ページで、折り目をひらくと筆圧の強い大きめな字で、怪我させてしまったスーへの謝罪と今までのお礼をつづってあった。
「汚い字ですよねぇ」
「ほんとね」
「でも、お嬢様、なんとなくなんですが、邪悪な魔法使いは、こんな汚い字は書かないんじゃないかと思うんですよ」
「それはまたどうしてなの」
「ですからぁなんとなく」
「きっと契約のイメージがそう思わせるのよ。精霊との契約がこう汚い字で交わされたら、どこか間違っていそうで成り立たないわよ」
「気取り屋トニーなんてお嬢様へのお手紙にいかにも邪悪そうな気取った字で歯の浮くことを書いてきますけどね」
トニーの名前はちょっとセアンの心を苦しくした。
去りぎわの涙を思い出すと、よほど自分のほうが邪悪に染まっているように思えた。
「私の人を見る目は当てにならないらしいのよ。だからスー、あなたに訊いたの。サギ男が私たちと同じ、普通の心をもった人間なら、ヤーヘルの人たちも大概はそうだということよ。ヤーヘルの人たちのほとんどは魔法使いでもあるのだけれど」
「だけんどお嬢様、潜水艦の奴らはなんだか怖かったですよ、あたし」
「彼らは軍人だもの。戦時、敵地に侵入してきたのだからピリピリしてたのは仕方がないわ。純科学しか使わないコロニアの軍隊だって敵国から見れは同じようよ」
魔法圏を恐れて敵視するあまり南コロニアは対立を煽り立て、戦争に至った。先に攻撃をしかけたのは南コロニアだ。南コロニア軍による長距離艦砲射撃によって、魔法圏大陸沿岸部の軍港都市は灰燼に帰したという。それが戦争のはじまりの〈のろし〉だった。
ヤーヘル軍の大火魔法はこの総力戦争において必然的に選択された戦法であり、初手に喫した非道な殺戮への報復だ。
魔法を使おうと、科学を使おうと、人を殺すのに、また殺されるのに、何がどう違うというのだ。
「でも、もう何がわかったってどうしようもないわね。彼は捕まってしまったし、それはもう私には手も足も出ないことだもの」
父や伯父に知らせなかったのは、今たどり着いた答えが、すでに心の中には住んでいたからだ。
最初から青年がヤーヘル軍人であるとわかっていたけれど、だからといって通報されるべき罪をセアンは青年にみとめなかった。北コロニアは非魔法圏の一員であるとはいえまだ参戦はしていないし、邪悪な魔法使いがフィクションであることを、セアンは大昔に対面したある王様の姿と言葉に知っていた。
「手も足もといえば、スー、休まなくて大丈夫なの?」
「はあこんなかすり傷! 二十八のうらわかき体力にかかれば屁でもない。それよりお腹がすきましたよ、すぐ朝食にしましょうねぇ」
「簡単でいいわよ。……ポイの姿を見た?」
「いいえ。そういや、どこにもいませんねえ」
まさか外に締め出されたわけでもあるまい。
喉が渇けばそのうち出てくるだろう。まずは自分たちの日常を取り戻すことにした。
食堂で軽食をとったあと、鎧戸を全部あけると割られたガラス戸から風が吹き込むため半分しか日を入れられない居間でゆっくりお茶を飲んでいると、がりがりと木を掻くような音が聞こえてくる。
二人ともに、眉根をよせて顔を見合わせた。
テラスに向いているセアンが、鎧戸を払ってあるほうのガラス戸に覗いた毛むくじゃらを見て、あっと声を上げた。
「ポイったら!」
毛むくじゃらの体を砂だらけに汚した飼い犬が、セアンと目を合わせておとなしく座った。
スーにガラス戸をあけてもらいポイは居間へ入ってきた。が、途中でぱたりと腹ばいになってへたり込んだ。
あわてて水の皿を持ってきてやるスー。
「あんれぇ、どこまで行ってたんだかぁ」
スーが目を丸くするほどがむしゃらにポイは水にとびついた。
「サギ男を追いかけていったの?」
ずいぶん懐いて……というか、興味を持っていたようだったから。
わかるはずもない犬の心を想像してセアンは言った。
すると水からびちゃびちゃの鼻面を上げてポイがあくびする――
「「 いかにも 」」
大音声が居間中の家具とガラスを震わせた。
「ひゃあ~」
耳をふさぐセアンとスー。
「なに、なんなの……? 今、ポイが――」
耳を押さえる手に引っぱられて釣り上がった目尻に力を入れて、セアンはまさかとポイを見下ろす。
「……しゃべったの?」
「「 いかにも 」」
ふたたびの〈あくび〉。
空気を圧するほどに大きい音で耳が潰れそうだった。
「っ、どういうこと、おまえ……ポイじゃないでしょう?」
「「 おうじについてるだいもーんです 」」
紅茶のカップががかたかた言って琥珀色の中身があばれる。
「なんですって。精霊?」
「「 だいもーんなのです 」」
造花を飾った年代物の花瓶ががたがた揺れた。「もうちょっと音量を下げてくれるかしら」とセアンが頼むと、言われたとおりにポイが小さくあくびをした。
「もうしわけありません。だいもーんです」
「ダイモーンはわかったから」
「おわかりいただきました。だいもーんです」
「名前はないの?」
ポイの体で〈それ〉は胸を張った。
「だいもーんです」
「もういいわ……」
毒気を抜かれたようなスーの顔をちらりと見る。
犬の体に目を戻して、セアンは車椅子を近づけた。
「ダイモーンさん、いつからそこにいたのかしら」
「だいもーんはさくじつのゆうがたからかれしのなかにいます」
「昨日の夕方……」
「だいもーんはかれしからごきょうみをいただいておりましたので」
彼氏とはポイのことであるらしい。
なんだかその彼氏に拾って食われたような言い方だ、と思った。
「昨日の昼まではサリアック王子の中にいたのね?」
「もちろんだいもーんはおうじのなかにいました」
それがどうして――。
「だいもーんにもわからない。おうじはだいもーんのちからをつかいました。だいもーんははりきりました。だいもーんはふしぎとさむくなって、あつくなって、せかいがみえなくなりました。きがつくとだいもーんはすなのうえにおちていたのです」
やっぱり拾い食いされたのね、とセアンは目をほそめた。
「ポイの失礼はあとで叱っておくから。ダイモーンさん、理由がわからないってことは、剥がれてしまうとき、サリアック王子はあなたに何か言ったりしなかったの?」
ポイがポイらしくのんびりと、耳の裏をうしろ足で無心に掻いた。
「おはずかしいことですが」
同居している犬の仕草とシンクロしたような言葉がでてくる。
「さいきんはおうじとこころをかよわすことがむずかしいのです」
ふいとポイが腰を上げて立ち上がった。
身を乗り出すように前足をつっぱって。
「むかしはそんなことはありませんでした。だいもーんはおうじとなかよしでした。とてもなかよしでした」
芸達者に歌をうたう犬みたいに首を上下に振って、犬の声でも人の声でもないその音はポイの喉の奥から絞り出される。
「でもこのごろは、おうじはだいもーんがはなしかけてもなにもいってくれなくなったのです」
「その時期は、大火の魔法と関係がある……?」
「ええちょうど、そのころです。みすとれす」
「海に投げ出されたサリアック王子を助けたのはあなた?」
「ええ、みすとれす。だいもーんがしにものぐるいでやりました。うみのけんぞくはきむずかしいところがあるのですが、だからほんとにもうだいもーんはしにものぐるいでやりました」
「それはお疲れ様だったわ」
おそらく礼も言ってもらえなかっただろうダイモーン氏を今更だがねぎらう。
「そういう契約なのでしょうけど……」
「けいやくとは?」
ポイの首をかしげさせてダイモーンが疑問を向けてきたので、今度はセアンが首をかしげる。
「ダイモーンと人間は契約で結ばれているのでしょう?」
「いいえだいもーんとにんげんはなかよし。だいもーんとおうじはなかよしこよしです」
首をかしげたままセアンは考え込んだ。
(契約じゃない……?)
「みすとれす、おねがいがあるのです」
「なにかしら」
「だいもーんはおうじのところにいかなければなりません。おうじはつれていかれてしまった。おうじはどこにいるのでしょう。だいもーんは、だいもーんは――」
その訴えに、ポイの声できゅうきゅうと哀しげな音が重なった。
とりついたダイモーンに宿主がひきずられているのだ。
「元に戻りたいのね、でも――」
自ら剥がしたか、自然に剥がれ落ちてしまったのか。どういうものかは知らないが、原因がサリアック王子の心にあるだろうことは間違いない。そして一旦離れたものを、ふたたび受け入れられる精神状態に今の彼があるとも思いにくい。
「昨日のことをおぼえているでしょう? あなたが寒くなったり熱くなったり世界が見えなくなっていたとき、力は暴走していたの。サリアック王子の心の混乱のせいだと思うわ。あなたが剥がれ落ちてしまったのもそのせいなのじゃないかしら。彼はあなたの力を使うことを、とてもいやがってる。あの暴走のあとではもっと、こわがってる」
「だいもーんはおうじにあわなければ。だいもーんはおうじにあいたい」
つぶらな犬の瞳。
痛切な言葉の響き。
「つれていってください」
「無理よ、だって私……。だいいち、会おうとしても会えないわ。彼は特殊な立場で政府に捕まったのだから」
とっさに否定しか出てこない。
ポイのみならず、話している自分までがダイモーンに引きずられそうになりながら、だからこそ抵抗してセアンは首を振っている。同情はするが、セアンには何の力もない。
きゅーんとポイが鳴いた。ポイに責められているのか、ダイモーンに乞われているのか、見極めがつかなかった。
両方かもしれない。
「……お嬢様ぁ。サギ男はどうなっちまうんでしょう」
傍らに膝をついてポイの哀れそうな頭を撫でながら、スーが不安そうに訊く。
「南コロニアに引き渡されると思うわ。要請があれば断れない。何より、王子の身柄を人質にすれば南コロニアは優位な講和に持ち込めるかもしれない。捕虜を人質にするのは違法だけれど、この戦争はもうなりふりかまっていられないものになってきているから、水面下に交渉されるでしょうね。そうなれば、うまくいけば北コロニアは参戦せずに済むのよ。伯父様の選択肢は一つよ」
王子を迎えにきた少佐はそういうことを言っていたのだろう。
それでもサリアック王子は、あの艦に乗って故国へ凱旋しようとしなかった。
英雄になどなれなかったのだ。
「あの人は、あのとき帰るべきだったわ」
英雄になることを拒んだ彼は、祖国にとっても非魔法圏にとっても、大罪人となるしかない。彼の選択肢は二択だ。
セアンは膝に置いてある謝罪の手紙、その汚い字を見つめる。
「英雄なんかじゃないけれど、罪人でなんかないのに」
拒めない人生を生きていただけなのだ。
国と国民を守ることも、そのために他国と戦い、他国民を殺戮することも。
彼の望みではなかった。
ダイモーンが、ポイの中でわんわんと泣きだした。
たがのはずれた大音声に部屋中がゆれはじめて、隅の花台の上で花瓶が倒れ、床に造花をぶちまけた。その上に花瓶が転がり落ちて、盛大に割れた。白磁に描かれた湖畔で午睡する貴婦人の絵も無残に砕け散ってしまった。
――置物の猫ならよかったのにな
つくりものの置物だったらよかった。大火魔法に焼かれた家々の窓辺で、海を眺めて微睡んでいただろう少女や、その家のひとびとが。
……そういう意味だ。
フィクションならいいのに、と言ったのだ。
でも違う。大火魔法の殺戮は、現実に起きた。サリアック王子の、恵まれた魔法力によって。それは現実の、生身の体を焼いた悲劇だ。
本当の現実が辛すぎるから、現実にとても向き合っていられないから望まれるフィクションとは、なんて残酷な夢なんだろう。
現実の世界で起こした罪に耐えられなくて彼は、自分の本当の力さえ捨ててしまった。
「逃げてる、だけよ……。自分の現実から、逃げてるだけよ」
五年前のセアンはそうだった。
「人にはあんなにデリカシーのないお節介を言っておいて、自分は何なの」
知らずセアンは車椅子の肘掛けを強く掴んでいる。
「辛くたって、罪を塗りかさねたって、望まれているなら英雄になってみせればよかったじゃないの!」
英雄だってフィクションだ。
チャリティーの女王もフィクション。
魔法は現実。
そしてセアンの脚の不自由さは、今ここにある現実――。
嘘からも現実からも逃げた人間は、本の黴みたいに生きる人間よりも死んでいる。
「あたしゃ言ってやりたいことがあるんですよ、お嬢様。そのサイン、ごらんになってください。フラウドマン、なんて、人に謝るときくらい本名を名乗るべきです」
小さな目を三白眼にして、スーが憤然と言う。
「馬鹿にしてるったらありゃしない、まったく!」
「そうね、言ってやりたいことは私にもあるわ。ひとこと言ってやるだけなら、出来ないこともないわよ」
ポイとスーが一瞬だけ目をあわせて頷いた気がしたのは、どういうことだろう。
しかし何よりも、勢いのまま零れた自分の言葉にセアンは目を剥いた。
「うちのお嬢様はね、この国に影響力をおもちなんだから」
「そ、そこまでじゃないわよスー。伯父様は家族の前では冗談しか言わない人なんだから……」
「あんたは見る目がありますよダイモーンさん。あたしのお嬢様におまかせすればだいたいのことは間違いありません。だから泣くのはおやめなさいよ」
ぴた、と大騒ぎの泣き声がやみ、潤んだ犬の目が、めいっぱいひらかれてまばたいた。
「だいもーんは」
「わかったわよ」
ぱっ、とポイがセアンの膝に飛びついて、はあはあ息を荒くしはじめる。
「首都に行くわ。行って、『ざまを見ろ』と言ってやるの。でもそれが私の目的じゃないわよ。伯父様に直接つたえなければいけないことが出来たから、だから首都に行くのよ」
お父様にわざわざここまでいらしていただくのも悪いし――。
念の為に理由をいくつも付け足しておく。
スーはセアンの気が変わるのを恐れてか、さっそく切符の手配をしに立ち上がった。
なんだか怪我人とは思えないほど浮き浮きして見えるのは何故だろう。スーったら、首都に帰れるのがそんなに嬉しいのかしら。スーだって首都の暮らしが長くて向こうにお友達や仲間がたくさんいるのだし……。
そんなことをいろいろと考えることで、セアンは胸の真ん中にめぐる想いをごまかしていた。




