29.均衡を壊す者
夜。
魔王城の結界が、わずかに軋んだ。
音にならない、ひび。
◆
「侵入ではない」
魔王が言う。
「測られている」
◆
その瞬間。
厨房の七つの神器が、同時に震えた。
包丁が、冷える。
鍋が、低く鳴る。
壺が、ひびのような光を走らせる。
「……来る」
◆
翌朝。
境界の村から、急報。
「子どもが倒れた!」
◆
駆けつけると。
畑の中央に、淡い黒い紋様。
その近くで、子どもが眠るように横たわっている。
「命に別状はない」
リーヴェが確認する。
「だが――魔力が吸われている」
◆
私は、まな板を置く。
受け止める。
でも。
黒い紋様は、弾く。
神器が、拒絶された。
◆
「これは、対抗術式だ」
魔王の声が低い。
「神器を解析し、
“逆位相”で組まれている」
◆
遠く、北の荒野。
黒衣の一団。
「成功です」
若い術者が言う。
「神器の調律波に対し、
共鳴反転を確認」
「奪えるか?」
「時間をかければ」
◆
村に戻る。
子どもの呼吸が、浅い。
私は、蒸し器を出す。
「無駄だ」
リーヴェが言う。
「相手は神器を読んでいる」
「うん」
私は頷く。
「だから、読ませる」
◆
蒸気を立てる。
茶碗蒸し。
あの日と同じ。
でも。
ほんの少しだけ、塩を強く。
◆
神器は、整える力。
ならば。
“揺らぎ”を作る。
◆
蒸気が、黒紋様に触れる。
ゆらり、と歪む。
「……崩れた」
リーヴェが目を見開く。
完璧な反転術式は、
予測不能な揺らぎに弱い。
◆
子どもが、小さく息を吸う。
黒紋様が、消える。
◆
荒野。
「術式が崩れた!?」
「なぜだ!」
「誤差……? いや……」
◆
長が、静かに呟く。
「料理か」
◆
村。
私は、ふらりと座り込む。
「読まれてるなら、
変え続ければいい」
◆
魔王が、私を見る。
「だが、相手は本気だ」
「うん」
◆
遠く、黒衣の長が空を見る。
「神器は、単なる道具ではない」
「ならば――」
ゆっくりと立ち上がる。
「持ち主を奪えばよい」
◆
その言葉が放たれた瞬間。
厨房の壺が、ぱきりと小さく鳴った。
警告の音。




