欲望の進撃、守護の砦 ⑤敵軍撃退
輿の上に陣取るムタレン将軍は、戦場の混乱と同様に荒れていた。
豪華な輿の周りでは、愛人たちが恐怖に震えて跪き身を縮める。
「何だこのざまは!愚か者どもが!タキミンは何をしている!」
「申し上げます!督戦部隊の生き残りが戻ってまいりました!」
その言葉にムタレン将軍は冷たい目で側近を見下ろした。
「戻ってきただと?ふざけるな。
督戦部隊は逃げる兵を追い討つのが役目だろう?
何故戻ってくる?」
「タキミン殿が…撃破され、部隊は壊滅状態です…」
「何だと?貴様、何の冗談だ!
…まあいい!次の指揮官は誰だ!」
「そ、それが…た、ただいまの報告では、
迷路のような罠に閉じ込められ…
部隊も崩壊し、兵士たちの士気が著しく低下しており…」
「つまり、言い訳をしに逃げ帰ったというわけか…
大言を吐いておきながら…こんな砂の城一つ落とせんとは
全軍突撃だ!残りの兵を全て投入しろ!」
だが、将軍の命令に恐怖に怯えながらも誰一人として動かず
兵士たちは互いに視線を交わし、不安げに俯くのみだ。
将軍以外の誰もが理解していた――この戦いは既に決していると。
砦の一角では戦いを終えたばかりの負傷者たちが次々と集められ、治療が行われていた。
――折れた骨が皮膚を突き破り、血に濡れた腕からの激痛が、彼の体を蝕んでいた。
「これなら大丈夫…逞しい腕…」
甘く柔らかな声が耳に届き、負傷した腕が突然ぬくもりに包まれた。
呻き声をあげかけるが、むしろ快楽に似た心地よさが広がり
痛みが溶かされ、彼の体は力なく緩んでいく。
――腹を押さえ、血に染まった手でなんとか出血を止めようと必死だった。
視界はぼやけ、命の灯火が消えようとしたその時、柔らかな唇が耳元に触れたような気がした。
「ほら、そんなに力を入れないで。全部私に任せて」
指先が傷口をそっとなぞるたび、体の内側から熱い快楽の波が押し寄せ痛みが消えていく。
腹の傷がゆっくりと塞がり、彼はその快楽と安堵に身を任せ眠りに落ちた。
――世界が闇に包まれていた。
目を開けても、何も見えない。彼はただ、耳に届く音に集中するしかなかった。
聞こえるのは周囲の男たちの甘い呻き声と恋人同士が愛し合っているかのような水音。
「…もう少し…我慢してね。すぐに楽にしてあげる」
突然頭を暖かく柔らかい何かに埋められ、甘酸っぱい匂いに包まれ
頭頂部から聞こえる溶けるような微かな甘い吐息に魂が抜けそうになる。
「…っん。ゆっくり目を開けて。私を見て?」
恐る恐る瞼を開き見上げると、ぼやけた視界の中に光に包まれた天女が映った。
視界が一気に鮮明になり、周囲の光景がはっきりと見える。
彼は感謝の言葉も出せず、ただ天女の顔を見つめたまま、涙を流した。
「セレナ~、落ち着いたら仕上げお願い~」
遠くの声に反応した彼女は周囲を見回しながら立ち上がり、声の元へと去っていく。
治癒を受けた兵士たちが彼女の残り香に釣られるように後を追い
天幕から出た彼らは目の前の光景に目を疑う。
広場では焚き火の明かりが場を照らし、芳醇なスパイスの香りが鼻をつく。
彼らと同じように投降した味方の兵士たちが敵軍と祝宴を繰り広げていた。
「お前らもこっち来て座れよ」
誘われるまま囲いに入り、差し出された椀を受け取る。
進軍中もろくな食事にありつけないままだったので、ありがたいことだったが、
敵国の陣営に引き込まれ、食事を振る舞われるとは思いもよらなかった。
広場には巨大な鍋…いや、それは鍋ではなくメガトータスの甲羅だった。
甲羅がまるで大地の一部のようにどっしりと構え、
内部には濃厚なシチューがぐつぐつと煮立っている。
沸き立つ湯気は、甘い香りと濃密な旨味を含んでいて、それだけで胃が鳴る。
…恐る恐る木のスプーンを取り、一掬いしてみた。
まず感じるのはそのとろけるような舌触り―
メガトータスの肉は、長時間煮込まれているらしく、ほぐす必要さえない。
噛む瞬間には、じゅわっと溢れる脂と出汁が口の中を包み込む。
「ああ、…まるで大地のエキスを飲んでいるようだ」
口の中に広がる味は濃厚だが、それでいてしつこくない。
野菜や香草の風味が絡まり、複雑なハーモニーを奏でる。
一口飲むごとに身体の奥から温かさがじんわりと広がり、
寒さで縮こまっていた体が解けていく。
ある兵士は目を閉じ、感謝の言葉を呟きながら、
もう一口、そしてもう一口とシチューを口に運んだ。
次に渡されたのは、グレートボアの巨大な丸焼きだ。
じっくりと焼かれたその肉塊は、香ばしい匂いとともに、じわじわと油が滴り落ちている。
外側の皮はカリカリに焼かれており、無心でかぶりつくと湧き出る肉汁が湯気となって舞い上がる。
口の中に広がるのは、まず最初に甘みと香ばしさ。
皮のパリパリとした歯ごたえが心地よく、
それが割れた瞬間に溢れ出す肉汁が、味覚を一気に刺激する。
「うわっ、これ、何だよ。脂が口の中で溶けやがる…」
グレートボアの脂は通常の肉とは比べ物にならないほど濃厚だが、後味は驚くほどさっぱりしている。
スパイスが絶妙に効いており、中の肉は柔らかく、
ジューシーでありながらも、繊維がしっかりと感じられる。
兵士は目を見開き、仲間と顔を見合わせ言い合う。
「…信じられねぇ…」
普段の粗末な軍の食事とはまるで別物だ。
骨までしゃぶるようにして食べる兵士も多く、皆、無心で食事を楽しんでいた。
「なあ、あの鍋のシチュー、もう少しもらえねえか?」
「丸焼きの皮、もう一切れだけ頼む!」
「こんな美味いもんを食えるなんて、投降してよかったぜ!」
敵も味方もなく、一緒になって肉を喰らい、酒が注がれ、笑い声が夜空に響き渡る。
見張り台の上、手柄を上げられなかったハンター達が広場の喧騒に舌打ちする。
「クソッ。乗り遅れちまった」
「化け物と一緒に突っ込んだのが運のツキだ。
あいつらこっちに獲物を残しやがらねえ」
「おかげで怪我もねぇが、こっちはハズレクジだな」
そんな一団の中に、マウロとデイルもいた。
「化け物ってみんなもじゃねえか」
「俺なんか目の前でイツカさんが敵の大将を吹っ飛ばすの見たよ」
「やっぱりベテランは違うよな」
見張りながらそんな話をしてると、周りが何やら騒がしい。
「お前らも一口乗るか?」
声を掛けられ何事かと集団の中に入る。
「このまんま見張りなんてやってられるかよ。
向こうはほとんど全滅してんだ。
このまま本陣に忍び込んで敵の大将の首とらねぇか?」
「乗った!今夜は月もねぇし忍び込めるだろ」
「向こうの大将は、腕は大したことないんだよな?」
「叩き上げのじゃねぇ、血筋と謀略で将軍になった野郎だ」
「じゃ決まりだ。…おめぇらどうするよ?」
聞かれたマウロとデイルはお互い目で合図し頷いた。
「やります。連れて行ってください。」
「おっしゃ。行くやつは下に降りるぞ」
「黙っててやるから死ぬんじゃねぇぞー」
「明日で取り返しゃいいのに、よくやるぜ」
砦の上からの声に手を振り、降り立った十数人のハンターは敵陣へと駆け出した。




