第五話:同じ空の下~晴翔、二〇一六年初夏~①
「そういやトワ、明日から修学旅行やったっけ?」
クエストを終えてグランシャリオへ戻ってくると、いつもの月桂亭のテラス席でレナは僕にそう聞いた。
「うん、そうだよ。明日朝九時東京駅集合で十時前の新幹線でそっち行くことになってる」
「あれ、それじゃあまだ寝なくて平気? もう二十三時回ってるよ?」
ゲーム内の時計は二十三時七分を示している。明日は朝八時前には家を出なければならないし、絶対に寝坊できないのでレナの指摘はもっともではある。
「大丈夫。寝るなら新幹線の中で寝るし、修学旅行中しばらくインできないからもうちょっといようかなって」
僕は明日からの修学旅行で、奈良と京都へ行く。つまりはレナの住む街へ行くということだ。
冬に行ったレナのスキー合宿とは違い、今回僕は市街地で行動することになる。それはリアルのレナと出会える可能性はゼロではないということでもあった。
(せっかくだし会おう、って言えたらよかったんだけどな。だけど、そんなこと言ってキモがられても嫌だし)
それにそもそも現地では班行動だ。レナに会うためにこっそり抜け出そうもんなら、教師に説教を食らうであろうことは火を見るより明らかだ。
「それにしても、トワ三日もいないのかー。さすがに一人でインしても暇やし、勉強でもしてようかな」
「勉強?」
レナが口にした言葉が信じられなくて、僕は思わず聞き返した。レナはあまり勉強が得意でなく、先日の中間テスト前ですらうだうだと管を巻いてどうにかテスト勉強から逃れようとしていた。お互い今冬に受験を控えているとはいえ、テスト前ですらない今の時期に自発的にあのレナが勉強などするとは思えなかった。これは現地で季節外れの大雪にでも見舞われるのではなかろうか。
「あたし、プログラミング興味あってさ。今年入ったくらいから基礎の勉強してるんやけど、まとまった時間が取れるこの機会にがっつり勉強進めちゃおうかなー、なあんて」
「そうなんだ。っていうかレナがプログラミング興味あるなんて初めて聞いた。もしかして、前から高校は商業行くって言ってたのは、偏差値云々とかじゃなくてそういうこと?」
「そういうこと。最近、VRとかARとかよく聞くようになってきたやん? あと、AIとかもさ。そういうものがゲームの世界に入り込んでくるのも、もうきっとそう遠い未来の話じゃないから。“そのとき”が来たときに、最前線で活躍できるゲームプログラマーになりたいなあ、なんて最近思ってる」
レナが将来のことをきちんと考えているのが、意外だった。以前にセケルが中学の数学教師になりたいと言っていたのは意外でもなんでもなかったが、彼女がそんなふうに未来のことを考えているとは思わなかった。
僕は将来どころか、どこの高校に行くかという直近のことすら決められてはいない。親からはなるべく遠くない、徒歩か自転車で通える範囲内で自分の偏差値にあったところに行くように言われているが、それだけだ。
「何か、意外。レナがそうやってちゃんと将来のこと考えてるの」
僕が小さく呟くと、ヘッドセットの向こう側で失礼やなあとレナが笑った。
「トワにはないの? やりたいこととか、なりたいものとか」
「僕はないかなあ……」
「じゃあさあ、小説は? この前、SSをテーマにした二次創作の小説見せてくれたやんか。あれ結構面白かったよ。将来、小説家目指してみるとかっていうのはどう?」
「それこそないよ。今の日本って、人数だけでいえば学校のクラスに一人は小説家志望がいるような状態なんだよ。それに僕くらいの文章を書ける人なんて世の中いくらだっているし、僕は趣味でやるくらいが丁度いいよ」
もったいない、とレナは呟いた。その声色からはどうやら彼女は納得していないらしいことがありありと伝わってくる。
いつの間にか、ゲーム画面に表示された時計は二十三時四十分を回っていた。いい加減にそろそろ寝ないと明日に響きそうだった。
「ごめん、レナ。さすがに僕そろそろ寝るね」
「ああうん。おやすみ。修学旅行楽しんできてね。前に教えてもらったあの無茶なプランやと、どれだけ楽しめるかわからへんけど」
「まあ、どうだったかはまた帰ってきたら話すよ」
それじゃおやすみ、と告げると僕はシステムメニューを開き、SSをログアウトした。頭からヘッドセットを外すと、僕は机の上に置いていたスマホを手に取り、アラーム画面を開く。
僕は七時から七時半にかけて、五分刻みかつスヌーズありでアラームをセットしていく。七時から順に「起きろ」「二度寝厳禁」「マジで起きろ」「そろそろ朝飯は諦め」「そろそろやばい」「遅刻フラグ」「人間失格」と僕はアラームにラベルをつけていった。起きたときにスマホの画面に表示されているのが「人間失格」でないことを祈りながら、僕は部屋の電気を消してベッドへと入る。
先ほど、レナと交わした将来についての会話が小骨のように引っかかっていたが、今は気づかないふりをして目を閉じる。京都へ行くのはこれが初めてなので、レナが普段暮らしている街はどんなところなのだろうと心が逸ったが、それについても今は考えないようにする。あれこれ考えていては寝られるものも寝られなくなってしまう。
思考を空っぽにして、マットレスの感触と瞼の裏の闇に身を委ねていると、意識の彼方から眠気の気配が顔を出す。かすかな眠気を意識の隅に感じ続けるうち、僕は緩やかに眠りの中へと落ちていった。




