Mobius strip 28号
夏と言えばなんだろう。
海?
実は海水浴に行ったことはない。学生時代はそんなアウトドアな学生ではなかったし、そもそもそんな友達もいなかった。カレシ? 学生でカレシいる子なんてファンタジでしょ。会社の社員旅行で沖縄に行ったことはあるが、その時だって海に入ることもなかった。
夏と言えば賞与だ。
同僚たちが旅行の予定や、新しいブランドバッグの購入を検討している中で私は都心の大型書店へ向かった。
「か、買い過ぎた」
値段なんて気にせず、日々のストレスを発散するかのように、大量の書籍を購入。幸せな重みで真っ赤になった手をさする。
すでに書庫部屋の本棚は満席。
こんな時は溢れた分を実家に送ってしまうに限る。私自身が帰郷することはないけれど、私の本たちが代わりに実家へ向かうのだ。
「あっ、これ」
実家に送る本を選別していたら、とても懐かしいモノを見つけた。
『Mobius strip 28号』百葉創英高校文芸部刊行。
数年、いや十数年前に私が高校時代所属していた文芸部の部誌。
毎年、文化祭での配布をするために刊行されていた部誌だ。
「懐かしいな」
パラパラ、と頁をめくる。
すっかりと忘れていた過去の出来事。まるでバラバラなパズルのピースのような記憶が、私の頭の中にあふれ出す。
楽しかった思い出は特にない。
あの頃文芸部に顔を出していた部員たちは、私を含めて人付き合いは苦手だけれど、一人でいることも苦手な生徒の集まりだった。みんな自己肯定感が低いくせに、自意識と自尊心だけは無駄に強かったのだ。
「……それはいまもかわらないか」
自嘲気味な呟きが漏れた。
「あった」
ページを捲る指が止まる。
◇◇
『雑木林』作(作者名は私の親指で隠れている)
かつて私が書いた物語。
私の通っていた高校は部活への入部が強制されており、さらには同好会なんていうものは存在しないので、限られた選択肢の中から決めなければならなかった。
その中でも文芸部は人気のあった部活のひとつだ。
まず、文化系の部活は種類が少なかったこと。さらに文芸部は規則がゆるく日々の活動への参加も義務付けられていない、私の学年だけでも二十人近くが加入していたが真面目に文芸部員をしていたのは私を含めて数人だけだった。
部誌の発行は毎年文化祭。年に一冊のみ。私が入学する遥か以前は春夏秋冬の四回作っていたらしい。
原稿の依頼は一応全員に出される。しかし原稿を提出するのは十数人。さらに真面目に作品を執筆して提出するのは数人。
だから五十人以上は書類上部員がいるはずなのに、部誌は四十数ページの少々寂しいものとなっていた。
一年生の時の入学してから半年ほどで読んだ小説の感想をペラ一枚提出しただけだった。原稿を提出していた同級生、先輩たちのほとんどが映画、読書記録の類だったからだ。
「ねぇ、あたし今度の部誌に小説書こうと思うんだけど、あなたも書いて寄稿しようよ」
突然に声をかけられて顔をあげた。
文芸部の部室で小説を読んでいた私を同じく二年の文芸部員加藤さんが見つめていた。
「小説?」
「そう小説。せっかく文芸部入ったし、文芸部らしいことしたいなぁって。来年は受験もあるから忙しいだろうしね」
一応みんなにも声かけてるんだ、と加藤さんは付け足した。
「自分だけ小説書いてくるのはなんか恥ずかしいから、みんなで書けば恥ずかしくないもんね」
「そ、そうなんだ」
そんな加藤さんの声かけの成果だろう。この年の部誌は例年の二倍の厚さとなった。
ミステリ、恋愛、ホラー、エッセイ、SF、二次創作。多様な作品が揃った。
私の書いた『雑木林』は八〇〇〇字前後の短編。
内容は画家の男が数百円のお金の為に殺されてしまう。その死の間際、世の中への恨みつらみを叫ぶというお話。
高校生の頃の私は文学的なモノに焦がれていたのだ。
文芸部と言っても部員の子たちは東川篤哉や辻村深月、有川浩だったりライトノベルに傾倒していた。当時の私はそんな彼女たちを心の何処かで見下ろしながら、武田泰淳やドストエフスキーを愛していた。
もちろんどれもいい作品だ。
けれど、当時の高校生だった私がそれら名著を本質的な意味で読めていたかと言えば否だ。結局、それらを読んでいる自分に酔ってわかったつもりになっていたのだ。
印刷所から送られてきた部誌を読んだ私は、他の作品に比べて自分の作品が纏う文学っぽさを自画自賛した。
結局、文化祭で部誌は数冊しか売れなかった。それは例年通りなので、誰も落ち込みはしなかった。
文化祭からどれくらいだっただろう。おそらくは一週間後ぐらい。
再び部室には私と加藤さんだけだった。
その時、私はどの本を読んでいただろうか。それはもう覚えていない。
加藤さんは『Mobius strip』を読んでいたのは覚えている。
「ふぅー」
加藤さんはひとつ息をはいて、部誌を机に置いた。
なぜだかその瞬間のことは今も覚えている。
彼女は「まだ読んでなかったんだよね」と苦笑して、表紙を指先でなぞった。その動作がなんとなく色っぽく感じ、私は視線を逸らした。面白かった、とポツリと彼女は零した。その言葉に私は再び視線を戻した。
「知っている人の書いた小説って面白いね。どんなことが好きなのか、どんなことを考えているのか」
加藤さんは部誌を開いてこちらに突き出した。
「ほら、ナツミちゃんはこういう鬼畜系眼鏡男子が好きなんだぁ、とか」
相沢ナツミは私たちの後輩で、ライトノベルをいつも読んでいた子だ。
「——さんはさ」
次いで私の名前を呼んだ。
「こういうことを考えているんだね。なんだか意外」
何の気なしの言葉。
加藤さんはおそらく何も考えていなかっただろう。
けれど、私はその時強烈な羞恥心に襲われた。
しっかりと覚えている。
加藤さんはその後も何かを喋っていた。
私はその時の話を覚えていない。きっと当時の私には届いていなかったのだろう。
私は加藤さんの言葉で気づいたのだ。
私たちの小説家ごっこはそれこそファッションのように、量産された上辺を着飾るお話だったのだ。
それなら私はどんなファッションだったのだろう。
自分に似合わない丈の合わない黒いコートを着た滑稽な自分の姿。それを着て得意げな顔をした私。
「戸締りお願いね」
加藤さんはすっかり暗くなった廊下へと消えていった。
部室の扉は私を残して静かに閉ざされたのだった。
◇◇
私は部誌を棚に戻した。
これはここに封印しておいた方がいいのだ。
あれから十年以上が経って私はきっと着飾るのが上手くなったと思う。
そう言えば、あの時部室で私が読んでいた本は何だっただろう。
きっとその本をいつかこうして開いた時にまた、私はあの日の加藤さんを思い返すのだろう。




