第5話 世界を救う前にヒロインを洗浄します
「うわぁ……」
浴室へ連れてきた瞬間、ノアが目を輝かせた。
「広い……」
「王族仕様だからね」
王城の浴室は無駄に豪華だ。磨き上げられた大理石に、やたら広い湯船。金ピカの蛇口。前世が日本人だった身としては、やはり風呂文化は偉大である。
「ほら、服脱いで」
「あの、リゼリア様、私……」
「リゼでいいよ。みんなそう呼んでるし」
ノアは居心地が悪そうに俯いている。まさか照れてんのか? ガキのくせに。
「いいから早く」
私が睨むと、ノアは観念したように寝間着を脱ぎ始めた。
……細い。痩せすぎだ。肩も腕も、肋骨まで浮いている。そのうえ白い肌は傷だらけだった。擦り傷、切り傷、火傷痕。鞭の痕みたいなものまである。
「…………」
私は一瞬だけ黙った。その沈黙を不審に思ったのか、ノアが不安そうにこちらを見た。
「……どうしました?」
「いや、別に」
なんか、思った以上に重い過去が垣間見えて気まずい。
「私も入るか」
フェリクスに浄化してもらったとはいえ、昨日は酒臭いまま寝落ちしたのだ。さすがにもう一回ちゃんと入りたい。
服を脱ぎ始めると、ノアがぎょっとした顔でこちらを見た。
「リゼも入るのですか?」
「私も昨日まともにお風呂に入ってなかったから、ついでにね」
するとノアは、なぜか露骨に視線を逸らした。
……さっきから、なんだこいつ。
「とりあえず洗うよ。座って」
「は、はい……」
容赦なく温かいシャワーをかける。泥と煤の混ざった黒い水が床へ流れていった。
「うーわ……」
「そんな引かなくても」
「いや引くわ」
どんだけ汚れてるんだ。
髪を濯ぐと、泥の下から、艶のある白い髪が現れた。素材はいい。いや、かなりいい。
「……普通に美少女じゃん」
「?」
ノアが不思議そうに長い睫毛を瞬かせた。私はそのまま背中にもお湯をかけ、洗おうと手を伸ばした。途端に、ノアが身を引く。
「……っ、な、何するんですか!」
「え? 背中洗おうかと」
私は首を傾げた。さっきから様子がおかしい。妙に目が泳いでるし、耳まで真っ赤だ。
「……お前、なんでそんな挙動不審なの?」
「い、いえ別に」
「あるだろ」
ノアはしばらく黙り込み、湯気に紛れるように顔を赤くしたまま、やがて観念したように小さく呟いた。
「……女性とお風呂に入るの、慣れてなくて」
「は?」
「前世では男だったので」
「は???」
私は思わず二度見した。
「早く言えよ!!」
慌てて胸元を隠す。
いや待て。ついさっきまで普通に全裸を晒していたんだが?
改めてノアを見る。
華奢な肩、白い肌、長い睫毛。どう見ても美少女だ。これで中身男とか脳がバグる。
「……あんたが?」
「はい」
「元男?」
「はい」
「まじで?」
「はい、男子高校生でした」
頭が混乱する。
だが言われてみれば、私の攻略対象にも全く興味がなさそうではあった。
「……いや待って」
私はそこで、あることに気づいた。そして、じっとノアを見る。
「?」
私はノアの顎をぐいっと持ち上げた。
「ちょ、何を――」
そのまま至近距離まで顔を近づけ、目を合わせる。
《対象:ノア・エルフィード》
《感情誘導:忠誠心》
《――失敗》
……だめか。接触して目まで合わせたのに、反応なし。そして私の【魅了補正】は“異性”にしか効かない。
「……つまり、肉体判定ってことか」
「?」
「いやこっちの話」
にしてもこいつ。この超絶美女のリゼリア様が至近距離で裸なのに、ちょっと照れてるだけで冷静すぎない?
「……お前。その……あれだ。見てて変な気分になったりしないの?」
ノアはきょとんとした顔をしている。
「変な気分?」
「だからその……欲情とか」
「しません。恥ずかしい気持ちはありますが」
返事に迷いはなかった。リゼリアの体にはかなり自信があるので、ちょっと傷つく。
「いや、でも前世男だったんでしょ?」
「そうですが」
ノアは本気で不思議そうな顔をした。
「前世の記憶は男性ですが、目覚めたら女の子の体でしたし……そのまま女性として生きてきたので」
ノアは淡々と続ける。
「そもそも、自分が男なのか女なのかも、よく分からないんです」
「……」
「あと、前世の頃からリゼみたいな派手でうるさそうなタイプは好みではなかったです」
「おい。失礼すぎるだろ」
私はなんとなく釈然としない気持ちのまま、お返しとばかりにノアの頭をわしゃわしゃと激しく洗った。
「痛っ、ちょっと! もう少し優しくしてください!」
「で?」
「?」
「あんたの固有スキルって何?」
ずっと気になっていた。フェリクスの言葉。
――あの子の“固有スキル”が鍵。
ぴたり、とノアの動きが止まった。
「フェリクスが言ってた。私の幸せを壊さないためには、お前の固有スキルが必要だって」
しばらく、浴室にはお湯の流れる音だけが響いていた。
やがてノアは、小さく目を伏せた。
「……今は、まだ言えません」
「なんで」
「それも言えません」
「じゃあ今すぐ裸のまま追い出す」
「脅しても言いませんよ」
ノアは冷静に言った。くそ、泥水を啜ってきたやつは覚悟が違う。
「でも安心してください」
ノアはゆっくり顔を上げる。濡れた白髪の隙間から覗く瞳は、不思議なくらい真っ直ぐだった。
「昨日、あの人たちを見て分かりました。リゼから無理やり引き離しても、私を好きになるわけではないでしょうし、誰も幸せにならない」
「……」
「だから、リゼがあの人たちを手放さなくても済む方法を探します」
「……え?」
予想外の返答に、私は思わず目を瞬かせた。
てっきり、『世界のためです。諦めてください』と言われ、泥沼の奪い合いになるものだとばかり思っていた。しかしノアは、自分の目的を曲げずに、私まで助けようとしている。
……こいつ。思ったより、いいやつでは?
そう思った瞬間、ノアは私の中で、少しだけ『逆ハーレムを奪いに来た敵』ではなくなった。




