第34話 Lion③
「もう寝たいんですけど」
寝巻き姿のノアはベッドへ腰掛けると、迷惑そうに私を見上げた。
「お前、ちょっとは私に協力しろ」
「昨日まで『誰を選んでも余裕』と言っていたのは、どなたでしたっけ」
「昨日の私は昨日の私だ。今日の私は危機感を覚えた」
ノアが怪訝そうに眉を寄せる。
《イベント補正》自体は成功した。ルシアンに求婚された途端、リオンは私を渡さないとまで宣言したのだ。
問題は、その直後に余計な恋敵まで現れたことだった。
「リオンが取られる。ミレーヌとかいう女に」
「はい?」
ノアはしばらく黙っていた。やがて、心底どうでもよさそうに肩を落とす。
「知りませんよ……。というか、リオン様が本命なんですか?」
「そう。顔がいいし、一番金があるからな」
「最低な理由ですね。まったくブレなくて安心しました」
私はノアの感想を無視し、人差し指を立てた。
「まず一つ、提案がある」
「聞くだけ聞きます」
「ミレーヌと【運命交換】して、あいつをラスボスにして討伐しよう」
数秒間、部屋が静まり返った。
ノアはゆっくり瞬きを繰り返したあと、小さく首を傾げた。
「……何を言ってるんですか?」
「まず私と【運命交換】して、そのあとミレーヌと交換すれば、あいつをラスボスにできるじゃん。そんで討伐しよう」
私は身振り手振りを交えながら、完璧な作戦を説明した。
「いや、よく考えてみろよ。私の命は助かる。ミレーヌはいなくなる。世界も救われる。誰も損しない。完璧じゃん!」
「ミレーヌ様だけ、損しかしてません」
「あいつはいいんだよ。性格最悪のクソ女だから」
「そんなの、リゼだって大差ないでしょう」
ノアは額へ手を当て、大きなため息を吐いた。
「そんな非人道的な作戦に、私が協力すると思いますか?」
「ちっ」
「舌打ちしないでください」
却下らしい。
惜しい作戦だった。完璧だと思ったのに。
「じゃあ次。ルシアンに靡いているように見せる」
ノアが顔を上げた。先ほどよりは、まともな話だと判断したらしい。
「明日、私はルシアンたちと観劇へ行くだろ。そこで、ルシアンに気があるように振る舞う」
「ルシアン様を利用するんですか」
「私がルシアンと仲良くしているところを見せれば、リオンは絶対に焦る。男ってのは、手に入りそうで逃げる女を追いかけたくなる生き物なんだよ」
「経験談ですか?」
「失敗談だ」
前世でも同じ手を使い、元彼を焦らせるどころか、本当に別の女へ乗り換えられたことがある。
だが、今回は《イベント補正》でルシアンが現れている。同じ轍は踏まない。たぶん。
「今日も、ルシアンから求婚された途端、リオンは明らかに取り乱してた。方向性は合ってる」
「それなら、私は必要ないのでは?」
「リオンが私の想定を超えるヘタレだった場合、お前の出番だ。『リゼは本当は止めてほしがっています』とか、適当に吹き込め」
「ええ……面倒です」
「あとはミレーヌ。あいつが必要以上にリオンへ近づくようなら消せ」
ノアは再びため息を吐いた。さっきから、いちいち大きい。絶対に私へ聞かせるためにやっている。
「頼んだぞ、相棒」
「都合のいいときだけ相棒扱いしないでください」
◇
翌日。
この領地が誇る大歌劇場は、地方都市にあるとは思えないほど壮麗な建物だった。
白い石造りの正面には太い円柱が並び、階段の左右には歴代の名優を模した彫像が置かれている。王都の富裕層が観劇のためだけに訪れることもあるらしく、玄関前には紋章入りの馬車が何台も連なっていた。
王家の馬車が到着すると、劇場の支配人と使用人たちが一斉に頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました、リオン殿下、ルシアン殿下」
ルシアンが最初に馬車を降り、私へ手を差し出す。
「足元に気をつけて、リゼリア嬢」
「ありがとうございます、ルシアン様」
私は作戦どおり、いつもより少ししおらしい笑顔を作ってその手を取った。
ルシアンのエスコートは腹が立つほど自然だった。指先を重ねて馬車から降りる。それだけの動作で、周囲の令嬢たちから小さな歓声が上がる。
リオンを盗み見ると、案の定、面白くなさそうにこちらを見ていた。
よし。第一段階は成功だ。
「殿下、わたくしたちも参りましょう」
続いて降りたミレーヌが、当然のようにリオンの腕へ手を添えた。
リオンは一瞬ためらったものの、大勢の見物人がいる前で女性の手を振り払うこともできない。
「……ああ」
そのまま二人で階段を上り始める。
待て。何を普通にエスコートされているんだ、あの女。
ミレーヌは私と目が合うと、リオンの腕へ添えた指に、わずかに力を込めた。
……あいつ。絶対に泣かす。
◇
王族用の特別席は、舞台全体を見渡せる二階中央に設けられていた。
分厚い赤絨毯。金糸の刺繍が施された椅子。飲み物や軽食を置くための専用控え室。一般席とは壁で隔てられ、護衛と限られた使用人しか出入りできない。
着席する段階でも、私とミレーヌはリオンの隣を譲らなかった。結局、ルシアン、私、リオン、ミレーヌの順で横並びになる。
後ろの控え席には、地味な侍女服を着せられたノアが座っていた。私の支援役として、無理やり連れてきたのだ。
本人は無表情を貫いているが、面倒そうな空気が隠しきれていない。
やがて場内の照明が落ち、客席を埋めていた話し声も静まっていく。
今日の演目は、王位を巡る二人の王子と、一人の令嬢を描いた恋愛劇だった。
兄は才気にあふれ、国民からの信頼も厚い。弟は兄への劣等感を抱きながら、王太子として国を背負っている。そして令嬢は、二人のうちどちらか一人を選ばなければならない。
何この劇。状況に寄せすぎじゃない? 《イベント補正》が演目の選定にまで介入しているのではないかと疑いたくなる。
舞台上では、兄王子が令嬢の手を取り、堂々と愛を告げていた。
『私ならば、君の望むものをすべて与えられる』
隣でルシアンが小さく笑った。
「どこかで聞いたような台詞で、耳が痛いな」
「ルシアン様は、あの王子以上に何でも持っていそうですけど」
「君が妻になってくれるなら、足りないものはなくなる」
私の耳元へ顔を寄せ、低くよく通る声で囁く。王都中の令嬢が聞けば卒倒しそうな台詞を、平然と口にする男だった。
私は逃げずに微笑み返した。
「まあ。お上手ですこと」
視界の端で、リオンの肩が強張る。こちらを気にしているくせに、何も言わない。舞台へ顔を向けたまま、肘掛けを強く握っている。
(止めろよ、ヘタレ野郎)
昨日は兄上には渡さないと宣言した。それなら今すぐ、私から離れろとルシアンへ言えばいい。
ところが、リオンは時折こちらを見るだけで、口を開こうとはしなかった。反対側からミレーヌが何かを囁けば、曖昧に頷いている。
苛立ちがじわじわと腹の底へ溜まっていった。
第一幕が終わり、場内に休憩を告げる鐘が響いた。緞帳が下りると同時に客席はざわめきを取り戻し、貴族たちは談笑しながら廊下や控え室へ散っていく。
私は席を立つふりをしながら、リオンを盗み見た。
……動かない。座ったまま、難しい顔で舞台を見つめている。
《イベント補正》で執着は刺激されているはずだ。それなのに、私に声をかけることすらしない。
「リオン殿下。少し外の空気を吸いませんか? こちらの中庭は美しいそうですわ」
ミレーヌが身を寄せ、当然のようにリオンの腕へ手を添えた。
「……ああ」
リオンが腰を上げる。ミレーヌはその腕を取ると、こちらへ勝ち誇ったように微笑んだ。
私はすぐさまノアを手招きした。
「ちょっと」
「何ですか」
「リオンのヘタレ野郎、全然来ない。それどころか、ミレーヌに持っていかれそう」
「思った以上に重症ですね」
「今すぐ引き剥がせ」
「面倒です……」
「うるさい。早く行け」
私はノアの背中を押し出した。不承不承といった足取りで、ノアがリオンのもとへ向かう。
その背中を見送っていると、隣からルシアンが声を掛けてきた。
「リゼリア嬢。控え室で少し話さないか?」
「喜んで」
私はリオンに見せつけるように、差し出された手を取った。
その瞬間、ようやくリオンがこちらを見た。
視線だけは追いかけてくる。それでも、ミレーヌの手を振りほどこうとはしない。
(もう知らん)
これで来なければ、本当にルシアンへ乗り換えてやる。
私はルシアンの腕を取り、そのまま控え室へ向かった。




