純白の眠り姫:アルベール視点
初めての恋愛感情に浮かれていた私は、パルマンティエ王家が主催する新年祝賀パーティーでノエル嬢に告白したいと考えていた。
しかし、私の一存で事を進める訳にも行かず、ドラローシュ侯爵家のタウンハウスを訪れた。
私は曲がりなりにも、リネール王国の第二王子である。
どう解釈しようと公人だ。
好き勝手に嫁を取ることなんて、絶対に許されなかった。
少なくとも自派閥の参謀であるティエリー卿には、私の希望を伝えておかねばならない。
ここである程度の道筋が敷けたなら、次は我が父上であるジェラール国王陛下の承諾を得ることになる。
だが、私の望みを聞いたティエリー卿は、渋い顔になった。
そして浮かれ気分の私に、冷や水を掛けたのだ。
「ノエル嬢は他の令嬢たちと違います」
「まあ、普通ではないな。普通の令嬢であれば、モンスター討伐など引き受けやしないだろ。そもそも遊民の出だし……。それは承知している」
「そう言うことではありません」
「では、なんだ?」
「私が見る限り、そもそもノエル嬢には結婚願望がありません。恋愛や、きらびやかな社交界にも、憧れはないでしょう。王子殿下に言い寄られたら、迷惑に感じるかも知れません。それなのに、いきなりプロポーズなどしたら、断られる確率が高いと思います」
きらびやかなドラローシュ侯爵家の応接間から、一瞬にして輝きが失せたように感じた。
不安と失望が、私の胸を締め付けた。
「……っ。告白して、断られるのか……。それは考えていなかった。衆人環視のもとでプロポーズを断られたら、次の機会はないな。真正面から、そのように諭されると流石にショックだ」
私には、自分が王族であるとの驕りがあった。
ティエリー卿の意見を聞くまでは、プロポーズをすればノエル嬢に喜んでもらえるものと決めつけていたのだ。
とんでもない思い違いだ。
危なかった。
「卿の見解がそのようであるなら、私も軽率な行動を控えねばならん」
「それが良いでしょう」
最大の障壁は、ノエル嬢の意思だった。
派閥問題などではなく、好いた女に交際を断られると言った根源的な問題。
私は俗な恋愛劇で常に片恋の男が直面する、あの落ち着かぬ心境に突き落とされた。
「これは賭けに似ている。負けが込むほど止められそうにないな」
真に惚れた女が居るのであれば、どこまでもレイズあるのみなのだが、一獲千金を夢見た博徒はそれで破産する。
好いた女に溺れる男も、やがては破局へと突き進むのだろう。
だが最初の一手を進めた時点で、もう引き際などない。
「勝算のない賭けに熱くなるのは、おやめください。ここは勝ちに行きましょう」
「ムッ。何か良い方法があるのか?」
「手順さえ間違えずに駒を進めれば、勝てるゲームです」
「ほぅ」
「オルタンス夫人が、そのように盤面を配置してくれました」
「それはまた、何故に……?」
私は香りのよい茶を飲み、逸る気持ちを落ち着けた。
「このさい、オルタンス夫人の目論見はどうでもよいでしょう。大切なのは、ゲーム盤に示された勝ち筋だけです」
「確かに……」
「オルタンス夫人から、メッセージは受け取りました。ノエル嬢が新年祝賀パーティーで、社交界にデビューします。まだ、エスコート役は決まっていません。兄のレイモンにエスコートさせるのかとも考えましたが、どうやら違うようです」
「どこからの情報だ?」
「オルタンス夫人から手紙をもらったのです。養女のエスコート役を探しているけれど、二名ともなれば、なかなかに難しいと……。ウチの息子に、エスコート役を打診するような体を装い」
「露骨な誘いだな」
「はい。で、お返事は如何なさいますか?」
そんなもの決まっている。
この私が、ノエル嬢をエスコートしよう。
「私が引き受けよう」
「承知いたしました。では、殿下より、オルタンス夫人へ意思表示を」
「むっ、意思表示とは……?」
「ノエル嬢を嫁に迎えたいと、態度で示すのです」
「言葉ではなく?」
「デビュタントで身に着ける、装飾品などがよろしいでしょう」
なるほど……。
結婚の意思を伝えるなら、亡き母君のアクセサリーがある。
ノエル嬢には重いと嫌がられるだろうが、オルタンス夫人に私の決意を伝えるには丁度良い。
「分かった。適切な助言、ありがたく思う」
「どういたしまして……」
私はティエリー卿の助言に従い、オルタンス夫人を味方につけた。
その後もティエリー卿は、『ノエル嬢にプロポーズをしてはならない』と、しつこいほどに繰り返した。
先ずは、外堀から埋めろと……。
だがしかし。
私の真意を伝えるくらいなら、構わないのではないか……?
好きだ。愛していると。
◇◇
「ノエル嬢とは、ノバック家の養女か?」
「はい」
「よい。お前の好きにせよ」
病床にあるジェラール国王陛下は、優しげな笑みを浮かべた。
「よろしいのでしょうか?」
「ん。何がだ?」
「ノエル嬢の出自は、遊民です。しかもノバック家は、兄上の派閥に属します」
「構わん。何も気にすることなどない。オルタンス夫人が拾った娘であろう。その上で、お前に誘いを向けてきた。であるなら、遠慮などせずに娶るがよい」
「ありがとうございます」
私は結婚の許可を与えてくれた父上に、深々と頭を下げた。
「ここ数年の内で、最も良い知らせだ」
「……?」
「ユーディトが逝き、レオミュール伯爵令嬢が暴漢に襲われて亡くなり、お前は鄙びた領地に沈んでしまった。国政にも背を向け、もう二度と浮上することはないかと諦めておった」
「申し訳ございません」
「いいや、気にするな。お前たちを守ってやれなかった、私にも落ち度があろう。王としても、父親としても、力不足であった」
「そのようなことは……」
「何も言うな。私は嬉しいのだ。ユーディトの産んでくれた子が、自発性を取り戻したのだからな。ただ、慎重に行動するのだぞ。ノエル嬢とやら、おそらく只者ではあるまい。オルタンス夫人の顔色を常に窺い、引くべき場面では迷わずに引け。そこは、お前の得意分野であろう?」
「ご忠告に感謝いたします」
父上は私の特殊能力に気づいていた。
私は対面した話者の心理をある程度の確度で読むことができる。
まあ、読みづらい相手は居る。
その筆頭がノエル嬢だ。
喜怒哀楽は隠していても拾えるが、思考となると私の解釈からずれてしまう。
あれは何を考えているのか分からない、不思議な娘だった。
父上の承諾を得た私は、王宮を後にした。
「さてと、作戦を実行に移すとしようか」
私は馬車の座席に腰を下ろし、従者のヴィクトルに告げた。
「承知……。ユーディトさまが愛用されていた装飾品とオルタンス夫人への書状は、既に揃えてあります」
「贈呈品の化粧箱と書状だけでは、見栄えが宜しくなかろう。よし。冬だが、このさい気前よく奮発して、瑞々しい花束を添えることにしよう」
「畏まりました」
ここからは時間との勝負だ。
他の誰かに、ノエル嬢のエスコート役をくれてやる訳にはいかない。
◇◇
そこからの展開は、あっけないほどスムーズだった。
ティエリー卿の読み通り、オルタンス夫人は私の申し出を快く受けてくれた。
しかし動機に関しては、読心のい能力を以てしても不明のままだ。
王族との繋がりに野心があるような気配もなく、どうしてノエル嬢のエスコート役に私を希望したのか分からない。
これに関しては、ティエリー卿が正しいのだろう。
オルタンス夫人の動機など、私の目的とは関係ないのだ。
ここは神に感謝して、ノエル嬢のエスコート役をやり遂げるべきだ。
「これを切っ掛けに、ノエル嬢から信頼を勝ち得ないとな」
親しい仲になるにも、手順は必要だ。
ノエル嬢に警戒されているようでは話にならない。
結婚を視野に入れた付き合いともなれば、手間暇がかかるだろう。
もしノエル嬢が、その他大勢の貴族令嬢と変わらない価値観を持っていたなら、ことはグンとシンプルになる。
ノバック家に婚約の話を持ち掛け、当主から承諾を得たなら完了だ。
第二王子の求めに応じない当主など、存在しない。
つらつらと考えてみたところ、私はノエル嬢が普通の令嬢であったなら、ここまで惹かれることはなかった。
ノエル嬢と親しくなるための手間暇は、私にとって喜びだ。
けちけちと、出し惜しむようなものでもない。
厄介なのは男に付き物の妄想と衝動だが、私は飼い犬より無作法な真似をする気などなかった。
ちゃんと待てはできる。
しっかりと紳士を演じ、劣情に流されたりはしない。
どれだけ滾ろうとも辛抱できる……。
はず。
「私は自分を信じたい!」
だが、そんな決意も、デビュタントの白いドレスを纏ったノエル嬢に会うと、頼りなく軋んだ。
清楚で可憐な外見をした薄暮のような少女は、あのデュラハンを瞬殺した戦乙女なのだ。
その想像を超えた隔たりが、私の心をときめかせる。
「ああ、思い出した」
幼い頃、母君が読み聞かせてくれた冒険譚に登場した、リリィと言う名の姫君。
ノエル嬢の姿を見ていると、絵本に描かれた姫君の姿が脳裏に蘇る。
絵本のタイトルは、【お月さまと姫君】だったように思う。
ノエル嬢は、ヒロインの色なし姫そのものだった。
「そうか……。ノエル嬢は、本物のリリィなんだ」
殺されても殺されても、使命を果たすために蘇る勇敢な姫君。
当時の私は、色なし姫の騎士になることを夢見たものだ。
母君を失い。
幼馴染のレオミュールが暴漢に襲われて死んだとき。
『リリィなら、僕を置いて逝かないのに……』と、何度も繰り返し思った。
これは私の初恋だ。
優しい母君に寄り添い、絵本で文字を教わっていた時分から大切に育ててきた思いだ。
こうなれば、なんとしても、この恋、成就させねばなるまい。
新たなる私の決意を他所に、ノエル嬢はデビュタントに乗り気でない様子。
ノエル嬢の心を会話で解そうと考え、美しい装いを誉めそやしたり、冒険者としての活躍を讃えたり、セリーヌ姫の件を持ち出して、感謝の意を伝えたりもしたが、返ってくる言葉は素っ気なかった。
エスコートのさいも絡めた腕はぎこちなく、異性との接触に抵抗があるように思われた。
馬車で移動する間に私の気持ちを伝えてみたが、反応は芳しくなかった。
ノエル嬢の耳元で愛を囁いてみるが、見事に撃沈。
撤退を余儀なくされた。
近づいただけで身を固くされては、なす術がない。
私は危険物を運ぶような慎重さで、ノエル嬢に接するしかなかった。
そんなノエル嬢だが、ダンスになると驚くようなステップを見せた。
互いの身体が密着しても嫌がる気配はなく、頬を赤らめて微笑んでいた。
まったく心が読めない。
エスコートはお気に召さないが、ダンスは好き。
その程度のことしか分からなかった。
常に誰かの助けを求めているような、そんな目つきが、ノエル嬢の特徴だった。
今にも泣きそうな顔とでも言えば、よいだろうか?
実際には悲しんでいないし、困ってもいない。
単に、そうした容姿なのだ。
だが、美しく可憐な乙女が、寂しそうな目つきをしてパーティー会場に立っていれば、嫌でも男どもを引き寄せる。
あわよくば、彼女の特別になりたくて……。
「そんなことは絶対に許さん!」
貴族が集う夜会は、公的な見合いの場であり、逢引の場所でもあった。
ノエル嬢を狙う男どものことを想像すると、私の気は休まらない。
慣習に反する行為だが、目元を隠すベールは正解だった。
ノエル嬢が空腹を訴えたので、私はテーブルに用意された料理を勧めてみた。
「ですから、コルセットで締め付けられていて、食べられないんです」
美味しそうな料理を見せびらかされて食べられないのは、ノエル嬢にとって拷問に等しいらしい。
身を捩る仕草が実に切なそうで、そそられた。
飢えているのは、私も同じだ。
「こうした賑やかな席は慣れないのでな。淑女方の隠された苦労も、今初めて耳にした」
「本当に苦しいんですよ」
ノエル嬢の上目遣いが、ベールを透かして見えた。
「あはは……。モンスターを討伐した英雄の口から聞かされると、申し訳ないが笑ってしまうよ」
「そうですか……」
意を決して救いを求めた結果、手酷く拒絶されたかのように、ノエル嬢はそっと瞼を伏せた。
ああ、やめてくれ。
そんな目つきで見られたら、思い上がった男どもが勘違いをして群がるに決まっていた。
多くの男たちは私と違い、ノエル嬢の感情を読んだりしない。
そんな能力は、持ち合わせていないのだ。
ベールを用意してくれた優秀なスタッフに感謝したい。
【大いなる意思】……。
それは初めて耳にする名称だった。
その名を口にしたのは、ティエリー卿である。
リネール王国に於ける宗教的世界観に、統合神は存在しない。
あれやこれやの神々が祀られているけれど、決まった上下関係などはなく、無造作に並置されている。
信仰も勝手なもので、それぞれの教会や神殿が各所に乱立していた。
大いなる意思は、統合神と解釈できる。
世界の調和を目指し、現実を物語として組み上げる神だ。
その物語の中心に居るのが、ノエル嬢だった。
そう語られると、眉を顰めるしかない。
『殿下もノエル嬢と関係を持てば、力の流れを感じるはずです』
ティエリー卿に真顔で諭され、目が細くなった。
正直なところ私は、ティエリー卿の言葉を真に受けていなかった。
だからと言う訳ではないが、ファビアン・ド・ヴァロワ公爵の孫、ステファン卿から自領への融資を持ち掛けられたとき、言葉を失うほど驚いた。
王都ロワイヤルの東に位置するウォルムス平原は、もともと王領でありながら目立った特産物もなく耕作地としても凡庸で、誰からも見捨てられた土地だ。
そんな場所に、融資をしたいなどと言う資産家は現れなかった。
迷宮だけはあるけれど、冒険者ギルドがない。
「あれは、王都ロワイヤルにある首なし騎士の迷宮より、しみったれた迷宮だぞ」
冒険者は、採算が見込めない迷宮を嫌う。
頻繁に探索されない迷宮は、ただ危険なだけだった。
「構いませんよ。我々はノエル嬢に、手つかずの迷宮を贈呈したいだけです。それだって名目にすぎません」
ステファン卿と仲間たちは、どれだけノエル嬢が好きなのか……?
大切な資産を平気でドブに捨てる。
管理費として提示された金額は、迷宮の占有権を主張するのに充分なものだった。
ノエル嬢のエスコート役として新年祝賀パーティーに参加しただけなのに、私の運勢は劇的に変わった。
私はティエリー卿の言葉通り、強大な力の流れを感じていた。
それは、滔々と流れる大河のようであった。
更に、兄との会見である。
長い間、互いに避けてきた兄弟が、ノエル嬢を理由にして私的な言葉を交わした。
ノエル嬢が居なければ、おそらくは起こりえない事態だった。
私と兄はわだかまりを解消し、完全に和解したのだと思う。
共通の敵も、薄っすらとだが見えてきた。
そして、ノエル嬢はホットワインを口に含み、あろうことか眠りこけた。
私の戦乙女は、滅茶クチャ酒精に弱いようだ。
もう二度と飲まさん。
カラカラと車輪の音を響かせ、舗装された道を軽快に走る馬車の中。
私は対面の座席に横たわるノエル嬢を見つめ、悶々としていた。
「チッ、忍耐力を試されているようだ」
こんな真似をされては、いつまで紳士でいられるか分からん。
ノエル嬢を介護するために同席した黒髪の侍女が、苦悶する私に視線を向けて、口を開いた。
「殿下……。わたくしが邪魔でしたら、遠慮なく仰ってくださいませ。席を外しますので……」
「余計な気を回すんじゃない。キミはそこに居たまえ」
とんでもない侍女だ。
自分の主人を守ろうともせず、私に過ちを唆すとは……。
おい。
私から顔を反らして、ニヨニヨと笑うのはやめろ。




