【その夜二人は夢を見る】
【少女の夢】
少女は領主の娘だった。ある日森で迷子になり、ボロボロの姿で帰って来ると、腕になにか毛玉を抱えていた。
「この子が助けてくれたの」
「ひっ……そ、それは魔獣の子だよ、フィーラちゃん」
「魔獣?」
狼の子のようなその魔獣を抱きながら娘は首を傾げた。父親は腰を抜かした。
「返して来なさい」と言う父に「いや。ずっと夢だったんだもの。知らない世界で未知の動物を飼うの」と言って譲らなかった。日頃から変わった言動の多い娘だった。
娘はなんの魔法も使えなかったけれど、動物をしつけるのも懐かせるのも上手かった。賢いその魔獣は娘の言うことをよく聞いた。人々は平和な時世の中で、魔獣に対して危機感が少々薄れていた。次第に魔獣に慣れ、受け入れられ、彼らは家族のように育った。
10年程すると、その魔獣の子は、人型に変身した。それは大層家族を驚かせた。金色の髪と白い肌を持っていたけれど、その顔は人外に美しかった。彼らの心に忘れられていた、魔族、という言葉が頭をよぎる。
領民の視線はそれを境に少し変わっていったけれど、娘との仲の良さは何も変わらなかった。人型になっても、その魔獣はおとなしく人々の言うことに従った。魔獣は多くの時間を人型で過ごしたが、それは娘と共に学び会話するためだった。
「ねぇ。なんの花が好き?」
「お前が好きな花が好きだ」
二人になるといつも他愛もないことを話していた。
「またそんなこと言って。何の花が好きか知らないでしょう?」
「知っている……フィンフィラだ」
「うん……」
「どこにでも咲いている小さな白い花……可憐でたくましい。フィーラの名前の由来である、この花が俺は好きだ」
魔獣は娘への好意を隠したことはなかったし、娘もまたそうだった。二人は笑顔で抱きしめあう。
「花言葉は、あなたの幸せを願ってる、よ」
「知っている」
娘は花冠を作るたびに魔獣の頭に掛けた。けれどそれは少女時代までだった。
国からの命令が下りた、と父親が言った。隣国との戦争、そしてこの領地へも出兵命令、魔獣を指名していた。
「人の争いに彼を巻き込んではいけません」
「フィーラちゃん、最初に巻き込んだのは僕らなんだ。共に生きてはいけないと分かっていたのに」
娘の反対をよそに、魔獣は望んで行くと言った。
「フィーラが守ってくれたように、フィーラを守るために出来ることはなんでもしたい」
二年の戦争が終わると、魔獣は戻ってきた。
大きくなり、たくましくなったけれど、美しい容姿はそのままだった。
けれど表情に影が差していた。心配する娘に、彼はポツポツと語った。自分に対しての侮蔑や嫌悪を隠すことのない人々の中で、命を懸けて戦った日々であったこと。殺そうとしてるかのような嫌がらせを毎日のようにされていた、敵からも味方からも狙われていた、と。
自分のせいでこの領地すらも、魔獣が闊歩する恐ろしい場所なのだと、噂が流れてしまっている。隣国の魔物との壮絶な戦いの影響はこの国にも及んでいる。もう領民にすら自分は恐れられている。人の中で暮らすことは無理なのだろうと理解したのだと、彼は初めて心情を吐露した。
娘は彼を愛していた。魔獣も娘を愛していた。
領地で二人きりでいられるならばそれだけでよかったけれど、世界は二人きりにはしてくれなかった。だからこそ、お互いの幸せと身の安全を願って、二人は別れを決意した。
――――――
【魔獣の夢】
親の記憶は持ってなかった。気が付いたらその娘に拾われていた。ただの動物のように育っていたけれど、知性を持っていた。彼女の言っていることを正確に理解している。10年ほど経つと人型になることが出来た。
そうして学べば学ぶほど、この世界に、魔獣はただの一匹たりとも人と共に暮らしていないことを知る。よくもまぁ、恐れられる魔獣を、ただの犬のように拾い育てたものだと、娘に呆れるし、実際まわりにも呆れられていた。問題が起こらなかったからいいじゃないかとあっけらかんとしている。
けれど、人間の社会はそう簡単ではない。自分の異質な存在が、人を怯えさせ、また、彼女の安全までも脅かす。
隣国への出兵は酷いものだった。
隣国は魔物に領地の多くを奪われ、資源を求めて戦争を始めたのだ。死に物狂いで攻めてくる。次第に獣化して人々を倒しているうちに味方の誰もが自分に怯えていた。
悪魔、とそう呼ばれていることを知っていた。そうして人にとっては、自分はそう呼ばれるだけの存在だと知っていた。
戦争が終わると、彼女のそばにいるべきではないと、自然に思っただけだったのだ。
もともと生まれただろう場所へ、住むべき世界へ帰ろうと。
魔獣は彼女に別れを告げると、隣国との境を目指し、魔の森に向かった。
純粋に、まだ出逢ったことのない同族に会ってみたかった。容易く、魔物、魔獣、魔人……様々な『魔』の物に出逢うことが出来た。
そして驚愕する。
『なんだこれは?共通認識?』
彼らの思考は、根っこで一つに繋がっているのだ。だから言葉が必要なく、何か伝える必要があるときには、一つの個体からの情報は、周りの個体へと広がっていくように伝わっていく。知性の高いものもいるが、はっきりとした個がない。全体意識が彼らの大元であるから、個々が強い意志を持つ必要がないのだ、というように。
――魔物の中でも、魔獣は異質。
決して手放せない感情と想いをその心に持つ魔獣は完全にその輪から外れていた。
魔物は本来、生まれた時点でその親とともに全体意識に繋がるようだったが、魔獣はそれを知らなかった。彼は人間と同じように、明確な個を持ち生きて来た。
けれど、繋がる事は出来た。繋がることで不思議と安堵に包まれるその感覚は生まれて初めてのものだった。
魔物たちと繋がったことは、彼らに大きな変化をもたらした。高い知性と、強い意志と決断力を持つ魔獣に彼らは従った。まるで王が現れたかというように、魔獣を敬い、支持し、決断を委ねた。そうして、魔獣の知識をも吸収していった。いつしか魔獣は魔王と呼ばれていた。
魔獣は魔物たちを統べ、この地を支配するものとして、隣接国に交渉を始めた。脅かさない代わりに、わずかばかりの取り決めを求めたのだ。それはお互いのためになることなのではないか、と魔獣は考えた。長い争いが終われば、少女も幸せに暮らしていけるだろう。話し合いで解決に至りそうだった。
誤算だったのは、別れた少女のその後を知らなかったことだった。本来、娘の国とは最初に交渉するべきだったのだ。
娘が魔獣を呼び寄せたから、国が魔物に乗っ取られるのだと……そう信じた人々の心には耐えられないほどの恐怖が膨れ上がり、その狂気が爆発するように起きた暴動で少女が命を落としたところだった。
魔獣が駆け付けたときには「あの女が魔を引き寄せた」だとか「魔女だったのだ」とか「騙されていたのよ」と口汚く罵られる少女の亡骸が横たわっていた。包み込むように咲き誇ったフィンフィラの花には、少女の血が染み渡っていた。
――「あなたの幸せを願ってる」
人も魔物も世界の全てを破壊したい衝動に駆られながら、娘がそんなことを望まないことを知っていた魔獣は、亡骸を抱えると、この土地と引き換えに、魔族側からは人間に争いをしかけないことを約束し、その世界から姿を消した。
フィンフィラの咲き誇るその場所を失った王国は、長い年月の中で歴史からも消えた。
――――――
【記憶の断片】
もう一度出会えるようにと、命をかけた魔獣
何度生まれ変わっても魔族ではなく人間に殺される少女
時の流れの中で聖女が生まれる
聖女に会いにいき拒絶される魔獣
そうして繰り返す時間の中で、魔族らへの全体命令を残して全てが忘れられていく……