最後の夜
勇者は考え深げに私を見つめ続けた。否定をすることはなかった。
あの日彼は言っていた――『魔王になったら殺してくれるか』
本当なら彼はもっと悩み、苦しんでいるはずなのに……彼の吹っ切れたような態度が不安を呼ぶ。
「聖女捜索隊が魔の森に入ったときのことだが……」
彼は思い出すように語る。
「……本来なら人が分け入れないと言い伝えられている、迷いの森と呼ばれるそこに、俺が率いるとなぜだか簡単に入れたんだ。その時は東国の伝説の聖剣を持たされていたから、その影響ではないかと言われていたが……」
だが違うんだ、と彼は言う。
「結界が張られているのが俺には分かった……結界をまるで触れるもののように感じた。結界を払うように進んだ」
思い出すように自分の手を見つめて、表情を歪めるようにして手を握る。
「森を抜けた奥は位置情報を把握できない土地に切り替わっていた。ポツポツとフィンフィラが咲く大地が広がる。ああ、聖女はここにいると、誰もが思った。そして……この場所を進むことが出来る自分はただの人間ではないだろう、と確信した」
彼は皮肉気に笑う。
「魔族はたびたび見かけた。けれど彼らは一様に俺に視線を向ける。まるで指示を待つように。時々……王、そう呼ぶ意識も紛れ込み聴こえてきた。俺が剣を一振りするだけで慌てるように消えて行った。……魔族は勇者に恐れをなして逃げ出した、などと書かれているが大噓だ。戦闘になる別部隊もいたが駆け付ければ大抵は収まった。俺はただ、真実とかけ離れて勇者と称えられていった」
そんなことはありえないのに、と言う。
「皮肉なことだよな。……俺自身が勇者ではないと誰よりも知っているのに。何よりも望んだその呼称を、人が呼ぶ」
けれどそういう勇者の表情はとても落ち着いていて。
「ある夜、遠くに羽の生えた魔族が飛行しているのが見えた。『王よ城にお連れします』と思念を伝えて来た。城とはどこか、と答えると、ここではなくはるか南東の魔族領だと言われる。ではここはなんだ、と問うと、ここは人間から守る場所、だと答える。みはりに見つかり魔族は消えて行った」
短い邂逅はそこまでだった、と言う。
「しばらくするとフィンフィラが今まで以上に輝きだした。夜になっても光輝く……まるで美しい地上の星のようだった。花には魔族も寄り付かない。みな聖女を神のように崇めだした。聖女に守られていると。実際にそうだったしな。大した危険もなく進んだが……寒波がやってきた。広大な土地で、フィンフィラが雪に埋もれた。拠点に戻りながらの捜索は難航しだした。時間がかかってすまない」
「ううん……」
「そこからはお前の知ってる通りだ。お前に見えていた、塔の下の魔族は、どうやら聖女のために配属されていたようだ。俺たちが着いたときには食事の用意がされていたが、あれは人の食べ物だと思う」
魔法で届く食べ物は、塔の下の魔族たちの手作りだったのか?
「お前のおかげで、大きな負傷者も出さずに捜索は終わった。だが俺は……」
そう言ってから彼は私を見つめて、私の左手をそっと持ち上げた。
「ただお前のために」
そうして、私の薬指に口づけを落とした。
「……っ」
「ゲームの中で、この指に指輪をはめたあの日言った。お前が好きだと。何も変わっていない。俺は、お前を愛している」
あの日と同じ眼差し……だけど、今はその瞳は金色に光る。
「お前のためなら、なんにでもなろう。勇者にでも」
「……」
「だから、だめなんだ」
勇者はくしゃりと顔を歪めて泣きそうな表情をした。
「俺は存在していてはいけないんだ。俺は、魔族の血を引く、彼らに魔王と呼ばれる存在だ」
――やっぱり、と思う。
彼はずっと思い悩んでいたんだ。一人で考え続けて、一人で結論を出している。
真面目なこの人は、誰よりも綺麗な心を抱えていて、私たちのために自分を消せばいいと考えてしまうくらいの人なんだ。
「けれど……お前に俺を殺させることなんて出来ない」
ほら……彼らしいことを言う。
「勇者と称えられているうちに、姿を消そうと思う。自分の出自も調べて、魔族領の調査もしようと思う」
彼がお別れの台詞を紡いで行く。
「聖女を支える者は多くいる。俺がいなくても大丈夫だ。だから。どうか、元気で、幸せに……いてほしい」
ひとつひとつ言葉を選ぶように勇者は言ったけれど、最後は言葉に詰まるように黙り込んでしまった。
黙り込んだ私たちの間に、パチパチと火の燃える音がする。
彼の言葉を何度も頭の中で反芻する。彼は消えて行こうとしている。でも……それはちっとも解決策に思えない。捜索が危険を招くならば、聖女は助けられなくていいと、そう言っていた時の私と似ていると思う。
どう言ったら私の気持ちが伝わるんだろう。
「……馬鹿」
勇者は……馬鹿だ。大馬鹿だ、と。それだけは分かる。
一緒に考えようって言ったのに。いつもの思い込みの強さでつっぱしっていることに、気が付いてないんだ。人との会話が苦手で、気持ちを伝えられなくて、だからこそ、自分で全部抱えようとする。
「……ぶわっっか」
もう一度声に出してみた。勇者がビクリとしてちょっと引いている。
「勇者はさ、一体何を見てたんだよ!」
そういって、勇者の手をがっちりと掴む。
「私が誰にも存在を信じられていなかったとき……何が起こっていたか覚えてる?」
それはネットの黎明期から始まる孤独な日々のこと。
「私はここにいるって、どれだけ叫んでも誰にも伝わらなかった。本当のことなのに、信じられる情報がないからって。助ける理由がないからって。傷ついて寂しくて心まで引きニートになったよ。私は、私を否定する人たちと社会をごまんと見て来た。勇者も見てただろう?でもさ私が戦ってたのは……すごく不確かなものなんだよ。彼らが信じるものはなんだ?信じられる情報は一体どこにあるんだ?だって聖女と魔王の伝説なんて誰が詳しく知ってるって言うんだよ。詳しいやつなんているわけないじゃないか。だったらそれって、信じたいものや、常識から外れないものを選んでるだけじゃないのかって……ずっと思ってた。情報ソースはネット情報?……ふざけんなって言うんだよ!」
あ、思い出したら興奮してきてしまった。落ち着こう。
「でも……私たぶん聖女でしょう?」
「ああ……」
「私は確かにいて……そして、信じてくれたあなたたちと出逢えた」
勇者をまっすぐに見つめて言う。
「どうして諦めないでくれたの?」
「それは」
勇者の綺麗な瞳が揺れる。
「そうとしか思えない……聖女だと、俺の心が感じていた」
「うん」
嬉しくて笑ってしまう。
「私は聖女」
たぶん。
「貴方は……魔王かもしれない」
仮に。
「私たち二人が触れ合っていて……なにか嫌な気持ちになる?」
そういって彼を見つめると、彼は少し目を細める。
「触れ合うことはとても気持ちいいな……」
「……っ」
そうだ、こういうこと言うやつだった。こほん、と咳払いする。
「本当は……一目見たときから、あなたに惹かれた。話す会話の全部が、最初から好きだった。クレイグのこと……好きだとしか思ったことない」
勇者が私の告白に少し驚いている。そうだよね。そんな素振り見せなかったし、私はずっと心に蓋をしていて、自分でも気付かないようにしていた。時々ぽろぽろ言ってしまっていたような気がするけど。
「ねぇ、だったら、最初から聖女と魔王は惹かれ合う存在なんだよ」
仮初の空間で心に芽生えた、愛や恋のようなもの。それは確かに存在する。
「誰が言ったの?敵対する存在だって。魔王が悪い存在だって。情報に踊らされていないって言える?」
私は笑って言う。
「あの苦しかった年月が私に教えてくれた、一番大事なもの。心をまっすぐ見つめて、感じた心を信じること。私は何が本当なのかを、知らない誰かの言うことじゃなくて、自分の心で決める。たとえあなたが魔王だとしても、敵じゃないって、愛する人だと、私の心が伝えてくれてる」
まっすぐに彼を見ると、戸惑うように視線を伏せて「いや、だが……」と勇者は逃げようとする。
そんな彼を勢いよくドンッと押して床に倒した。大男が簡単に転がるから私も驚いた。油断していたらしい勇者が目を見開いて仰ぎ見る。ああ、金色の瞳は綺麗だな――この人の美しさはもしかしたら人でないものの象徴なのかもしれないけれど。
彼をまたぐように覆い被さると、私は彼の頭を抱えるようにして顔を近づける。
「……おい、なにを」
勇者が怯えるように狼狽えている。
「静かに……」
この状況は確かに恥ずかしすぎる。押し倒されてる勇者の濡れた髪がはらりと落ちていくんだよ。なんだよこの漂う色気。だからもう何も考えずに勢いで。
嚙みつくようにキスをした。本物のキスはこれが初めて。ああ温かいのか、とそんな当たり前のことを初めて知った。
「……っ」
唇を放すと、お互いにただ顔を赤くして見つめ合ってしまう。
「どう、思った?」
「……」
「私は、愛してる、しか、思わない。幸せでいて欲しいとしか、感じない。クレイグは違うの?」
言ってから、違うと言われたら泣いてしまうけど……と思ってちょっと笑ってしまう。
そんな私を見ていた勇者は、表情を変えた。食い入るように私を見つめる。
「でも、私は世間知らずだし、判断力も自信がない。自分の心だっていつも疑ってる。感じるものだって間違えるんだ……だから間違ってたら教えてもらいたい。一緒に考えてもらいたい」
本当は……心に感じるものが間違っているときが一番怖いのかもしれない。勇者が私とのキスを本当に嫌がっていたとしたら。私は恐ろしいことを彼にしているんだから。
「違うなら諦めるから……」
泣きそうになりながらそう言うと、
「変な顔で笑うな」
彼はそう言って、私の頭を押さえて深く口付けた。さっきとは違った。力強い彼が私を放さない。息が苦しくなる。こんなのは初めてだった。長く感じるそれが終わると、彼は言った。
「俺はこの女を本当の笑顔にさせたいと……ずっと願ってきた。そうか。これが俺の想いなのか……ハ、ハハ……ッ」
急に明るい顔で笑い出す勇者は、とても魔王なんてそんな存在に見えなかった。まるで少年のよう。
「愛している」
「私も」
「共にいてもいいのか」
「うん。一緒に考えよう」
それは私たちの今ここにある本当の想い。
――そうしてその夜、私たちは、お互いに求め合い結ばれた。




