第一話 過労死OL、目覚めたら処刑予定の悪役令嬢でした
「……本当に、もう無理……」
深夜二時。
薄暗いオフィスで、私はパソコンの画面をぼんやりと眺めていた。
机の上には冷めきったコーヒーと、何度修正したのかわからない企画書の束。
三十九歳、独身。
勤続十七年の会社員。
後輩の仕事を引き受け、上司の無茶な指示に従い、取引先からの理不尽な要求にも頭を下げる。
断れば職場の空気が悪くなる。
誰かが困るくらいなら、自分が頑張ればいい。
そう思って、ずっと働いてきた。
気がつけば、趣味だったゲームを遊ぶ時間すら満足に取れなくなっていた。
唯一の楽しみは、休日に少しだけ遊ぶ乙女ゲーム『聖花のエターナル・ロマンス』。
美しい王子様たちとの恋愛を楽しめる、私のお気に入りだった。
けれど、最近は休日も仕事の連絡が入る。
睡眠不足が続き、食事も適当になり、身体はとうに限界を迎えていた。
そして、その日。
「……明日こそ、定時で帰りたいな」
それが、私の最後の記憶だった。
*
「……ん」
柔らかな感触が背中を包んでいる。
オフィスの硬い椅子ではない。
私はゆっくりと目を開けた。
視界に入ったのは、見覚えのない天蓋付きのベッド。
天井には繊細な金細工が施され、窓には美しい刺繍のカーテンがかかっている。
「……どこ、ここ?」
身体を起こそうとして、自分の手が目に入った。
白く、細く、傷ひとつない指。
私の手ではない。
慌ててベッドから飛び起き、部屋の隅にある大きな鏡へと駆け寄った。
そこに映っていたのは、金色の長い髪と、深紅の瞳を持つ美少女だった。
年齢は十六歳くらいだろうか。
透き通るような白い肌に、整った顔立ち。
まるで絵画から抜け出してきたお姫様のような容姿だった。
「……え?」
私は頬をつねった。
痛い。
もう一度つねった。
やっぱり痛い。
「夢じゃない……?」
そのとき、頭の中に大量の記憶が流れ込んできた。
ジュリア・フォン・ローゼンベルク。
ローゼンベルク公爵家の令嬢。
王国でも有数の権力と財産を持つ家に生まれ、何不自由なく育った少女。
そして――。
「うそでしょおおおおおっ!?」
私は絶叫した。
この顔、この名前、この世界。
間違いない。
ここは、前世の私が何度も遊んだ乙女ゲーム『聖花のエターナル・ロマンス』の世界だ。
しかも、よりによって私は主人公ではない。
主人公の恋路を邪魔し、攻略対象たちに嫌われ、最終的には魔女として処刑される悪役令嬢、ジュリアに転生してしまったのだ。
「待って待って待って! 私、死んだの!?」
記憶をたどる。
深夜のオフィス。
終わらない仕事。
重い身体。
そして、意識が遠のいていった感覚。
どうやら私は過労死したらしい。
「三十九年間、必死に働いてきた結果がこれ!?」
思わず天井を仰いだ。
せっかく生まれ変わったのに、また理不尽な人生を送るなんて冗談じゃない。
しかも、ゲームのジュリアには明確なバッドエンドが用意されている。
主人公リリアーナへの嫌がらせ。
王太子への執着。
身分を利用した横暴な振る舞い。
そうした行いが積み重なり、最後には王宮で断罪され、魔女の烙印を押されて火刑に処される。
「絶対に嫌! 今度こそ穏やかに暮らしてやるんだから!」
私は鏡の中の自分を見つめ、拳を握りしめた。
まずは処刑エンドの回避。
家族とは仲良くする。
主人公には絶対に嫌がらせをしない。
学院の生徒たちにも礼儀正しく接する。
そして何より、無理をしない。
「目指せ、平穏無事な第二の人生!」
こうして、元社畜OLの悪役令嬢生活が幕を開けた。
ただし、このときの私はまだ知らなかった。
自分が平穏を求めて行う普通の善行が、周囲にはとんでもない慈悲深さとして映ってしまうことを。
そして、冷静沈着で美しい第一王子が、私に恋をすることになるとは夢にも思っていなかった。




